2017年6月24日土曜日

【陰隲録】功過格表106 生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ 三十善 冤罪を救おう⑧






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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)



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その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

三十善に相当する

◯一人の冤を白にす。







前回の続きです。
ヒャッハーしなきゃ生きていけない環境になったらどうするか?







こういう環境になった時の、対応ですが、身も蓋も無い言い方をすると、ハッキリ言って、事前の予防こそが一番大事です。

占術でも、「人は、腕を無くしてからどうすればよいかを聞きに来る。腕を無くす前だったら手の打ち用もあるのだが、無くしてからだとどうにもならない」
という言葉があります。


要するに、虫歯と同じで、なってしまったらもう遅いのです。

六道輪廻では修羅道は、地獄や畜生や餓鬼の三悪趣と一緒で、人間界よりも低い世界です。
※時代によっては人間界よりも高い世界扱いの時もあります。

理由は、こういう世界に入ってしまうと、他の三悪趣と同じで、善行とかのん気なことをやってる暇が無いので、下の世界から抜け出しにくいからです。

憎しみの連鎖とか、殺し合いの螺旋とか、よく語られますが、修羅道だとそれが因果律の連鎖になって、抜け出しにくいという理由があります。

これは、現世の修羅道でも同じです。
初めからこういう世界に入らなければ良い(そういう因果を作らない)というのがあります。

これが一番の対策です。
つまり、陰徳道に邁進していれば良いというわけです。
虫歯予防の歯磨きが、陰徳です。



蠱毒の壺


ところが、いくら転ばぬ先の杖と言っても、人間は後悔先に立たずで、そういう環境状況に置かれる可能性は、我々は当然あるわけです。


しかも、日本に住んでいれば、いつ大震災やら原発やら近隣諸国の攻撃やら、リスクがMAXなわけです。
我々が生きている時代に、ヒャッハーの時代にならない理由はありません。

我々の累計の業のステータスはオープンされていないので、場合によっては、我々が生きている間に、ヒャハーの時代環境に放置される危険性があります。

あのダース・ベイダーだって初めは善玉だったのです。
運命の流転が彼を、悪玉に追いやってしまったのです。

人を殺さなければこちらが死ぬ。

こういう状況になる可能性は決してゼロではありません。
自分と大事な人のために、殺さなければならない状況というのは、確実にあります。

むしろ、人類そのものや生命そのものがその環境です。
人類は長い間、ずーっと狩猟時代でした。
農耕が始まったのは数万年程度で、後はずーっと狩猟生活を百万年単位です。

要するに人類以外の生物(と他部族の人間も)を殺して食ってきたわけで、今でも家畜として殺しまくっています。

俺は悪行なんかしていないと言う人でも生きているだけで、万物の霊長たる人類の一員として、今日も、すき焼きの肉を食べているわけです。

生命の存在時代が、殺し殺されの修羅道です。
この地球という星は、宇宙船地球号であると同時に、蠱毒の壺なのです。
毒虫を殺し合いさせて、残った強力な毒虫が人間なのです。


まあ、他生物はともかく、いつ我々が隣人を殺せの時代になるかわかったものではありません。

明日にでも、中国人窃盗団に、家族が皆殺しにされるかも知れません。
敵討ちに傭兵部隊に入って数年後、殺戮マシーンになった皆さんの修羅道人生ルートが、絶対に無いとは言い切れないのです。


対応策

まあ、問題点ばっかり指摘するダメな野党思考では、前に進まないので、なってしまった場合の対応策を考えてみましょう。

①即死ぬ。(自然死版)

例えば、大震災でもミサイルでもそうですが、クラッシュ時に死ぬと、別に、その後の、ヒャッハー時代で罪を積まなくても済むわけです。

バブルの時代でも年金でも、売り逃げする連中や世代は存在します。
クラッシュ時にさくっと苦痛なく死ねれば(苦痛時に死ぬと成仏出来ない可能性が)、後腐れないわけです。

しかし、このタイミングの良い死に方は、やっぱり事前の陰徳具合なのです。
この機能が上手く起動しなかった場合を考えてみましょう。



②即死ぬ。(自死版)


ヒャッハー時代に悪行しない自信が無い!

というマイナス思考の自信のない方には、この対策案です。
せっかく、平時に陰徳を積んで、悪行を慎んでいたのに、戦国時代に突入してしまったという運の悪い方には、このプランです。

この方法なら、ヒャッハー時代の全ての問題を解決出来ます。

ただし、このプランの欠点は、自殺のカルマというのがどのくらいあるかがネックになります。

自殺を推奨する宗教は基本的にあまり無いのですが、自殺は重悪だの、成仏出来ないだのと、様々な宗教が脅してくれます。

ただ、自殺するほうが明らかに良い場合というのは確実にあります。

例えば、ヒャッハー時代に迂闊に出世してしまい、上役から、
「君ぃ?今度新しく出来た、強制収容所の所長をやってくれたまえよ。処分ノルマは一日一万人な!」
とか、言われた場合に、逃げられない場合は、自殺することで、カルマを積まなくて済むわけです。

ただし、やっぱり自殺のカルマがどのくらいなのか、わからないので、次の手の方がよいかも知れません。



③仮病


古典によくある手です。
乱世で、権力側にスカウトされても、病気だとか、無能を装うとか、狂人を装うとかの手です。

孔子も論語で、
「天下道あれば則ち見れ、道なければ則ち隠る」
泰伯第8-13
と、言っているくらいです。

乱世の時代のお偉いさんは、罰ゲームみたいなもので、ろくでもない役目がよく回ってきます。
それを回避するには、権力からエスケープするのが良い方法の時もあります。


この方法のリスクは、乱世だと権力を握らないと、食料とか安全が確保出来ないことです。
とかく、乱世は超格差社会になりやすいので、権力を持ってないとまともな生活が出来ないことが多いのです。
そのため、権力を持っていない底辺は、罪を犯しやすいのです。

まあ、権力サイドに居ても、後方支援にくらいだと食いっぱぐれが無いかもしれません。

また、能力があるのに、人を救わないのはそれはそれで罪なわけです。
乱世を統一した、戦国大名の三傑のカルマがどうなっているか、よくわからないのですが、ここらへんは不明です。

頼朝だったり信長だったり曹操だったりと、強引な力で乱世と統一した存在は、後世の悪評も高く、宗教業界だと大抵、地獄に行っている設定なのですが、こいつらがいなかったら、乱世はもっと長引いていたという評価も多いのです。



④我慢して生きていく


もしかしたら、乱世の時代で、殺さなくても何とかこうにか生きていけるかも知れません。
非暴力を貫き、奴隷として行きていったり、毎回、逃げて行けば、何とかなるかも知れません。

③と被りますが、運と知恵があれば、乱世でも罪を侵さず、行きていける可能性はあります。

どうしても、ダメだったら②の手がありますので一応、希望を捨てずに、生きてみることが大事かも知れません。

ぶっちゃけインフラ崩壊後の生活はかなりきついと思いますが、何事も住めば都です。
現代生活では感じられなかった、生きる喜びがサバイバル生活で復活するかも知れません。




⑤英雄として生きていく


そもそも、自殺するとか慎ましく生きていくだとか、よくよく考えてみると、何とせせこましいことでしょうか?
小さい、実に小さい器です。

男なら志を大きく持たなければいけません。

何度か菜根譚の天の賊の項で、紹介したように、天が大衆の中から、賢者や富豪を作る理由は、ひとえに大衆を守るためです。

天、一人を賢にして、以て衆人の愚を誨んとす。
而るに世は反りて長ずる所を逞しくして、以て人の短を形わす。
天、一人を富ましめて、以て衆人の因を済わん。
而して世は反りて有する所を挟みて、以て人の貧を凌る。

真に天の戮民なるかな。 

権力も同様です。
大衆を守るには平時よりも乱世です。
例え、自分が必要悪で悪業ポイントを貯めても、大衆を守る道を選ぶことです。

それで、地獄に堕ちてしまったならば、閻魔の前で、堂々と自己弁護を、言い返すべきです。
大抵、戦国大名は信仰心を持っている例があるので、生前守護していた神仏が弁護人になってくれるはず(たぶん)です。

豊河は、こういう比較衡量説はあまり信用していないので、懐疑的なのですが、もし皆さんが乱世の覇王となる才の自覚がありましたら、このルートを選んでみてもいいかも知れません。

もしかして自分はナポレオンの生まれ変わりなのではないか?
俺の前世は武田信玄だ!
とか言う 誇大妄想 自分に自身がある人は結構いますし。




⑥聖者として生きる



先程の英雄の生まれ変わりの 誇大妄想 自覚は、宗教業界でもよくあります。

イスラエルの入国者は毎年、一定の確率で、何らかの天啓を受けて自分がメシアだと自覚する 電波 自信のある人が出ています。

日本でも、釈迦の生まれ変わりだとか言う人が大教団を構えていますし、ある意味、雨後の筍のように存在する世界の宗教の教祖は、みんな神仏の秘蔵っ子を自称しています。

逆に言えば、このくらい 誇大妄想 自分に自信のある人でないと、宗教の教祖様にはなれないのです。
ある意味、恥を知らない存在なのですが、善悪の彼岸を隔たること三千マイリの境地にこないと、教祖様にはなれないのです。

あの慎み深いイエス(世間のイメージ)ですら、演説中にノリにのってくると、
「俺は絶対神ヤハウェだ!」
と本音が出て、一神教バリバリのユダヤ人から投石で殺されそうになって逃げてたりしますし、釈迦などは、生まれた時から、「天上天下唯我独尊」と口走る、傲慢野郎です。

まあ、宗教人の誇大妄想はどうでもいいのです。
※あんまり良くないのですが。

しかし、平和な時代には宗教など、それこそ、どうでもいいのです。
むしろ、乱世の時代にこそ宗教は必要なのです。

今のような平和な時代には、本来、宗教などいりません。
無神論を気取っているか、開運のために陰徳を積もうなどという、利己主義的な思考が幅を効かせるのです。

混沌とした乱世こそ、思考行動基軸を提供する宗教は存在の価値があるのです。

黄巾の乱とか一向一揆とか、乱世の時代の宗教をご覧なさい。・・・普通に、武力豪族に壊滅させられているような気もしますが。

イエスは、ローマ帝国支配下のユダヤ人に教えを説いたし、釈迦などは自分の国が滅ぼされています。

宗教の定義が人を救うためにあるのなら、乱世の時代にこそ、貴方の天命があるのです。

まあ、高確率で、迫害されて死んだりするのですが、布教は死ぬことがお仕事みたいなものですので、それはそれで天命のような気がします。



⑦隠者として生きる 

宗教方面として生きたいけど、布教みたいなアグレッシブな方はノーサンキューという方には、こちらがお薦めです。


そもそも、因果応報で、吉凶禍福の楽とか苦とか、外界の状況に右往左往するのは、小人の行動です。
大人は、どんな状況でも自分のプラスに変えるのです。

もっと言えば、全ての事象に善悪も吉凶もありません。
全ては自分次第なのです。

なんか、現代文明クラッシュで、今まで築き上げて来た物が全部パーになった!
となったら、むしろ、今まで自分を縛ってきた物が無くなってラッキー!
くらいに思わなくてはいけません。

人間は刺激を絶えず追わなくては生きては行けない度し難い生物です。
やれ美味しい物だとか、家族だとか仕事だとか、天命だとか、何だかんだ言っても、結局、やってることは死ぬまでの暇つぶしです。

諸行無常の法則に人間はどうしても勝てません。
そもそも、マクロで宇宙の星々や地球がぎゅいぎゅい動いているし、ミクロでも、自分の体の原始や分子がこれまたガンガン動いています。
一時たりとも、止まること無く動いているのです。
※そもそも、呼吸や血液循環が・・・。

サメと同じで、止まると死ぬ生物なのです。
で、それを誤魔化すために、色んな外界の行動で理屈付けをしているだけなのです。

社会のクラッシュは、この凡人の思考行動様式を一新するチャンスなのです。
思い立ったが吉日なのです。
そうだ、出家しよう!とJRのCMのように動くチャンスなのです。

人生は空しいものだと古人はよく闘争の果てに貴族も武士も出家しましたが、社会クラッシュは、またとない人生のリフレッシュのチャンスです。
どうせ、ヒャッハーの時代なのですから、野盗側にまわるか、種籾を奪われるカモの側にまわるか、世紀末救世主になるかくらいしか選択肢はありません。

ヒャッハーの時代に、神社仏閣が機能しているか定かではありませんが、山に隠遁して大人しく出家しておきましょう。

ただ、ヒャッハーの時代ですので、山に入っても、山賊が来たりするので、僧兵がいるところの方がいいかも知れません。
しかし、僧兵がいても、信長とかが来て、焼き討ちしたりするので、厳密に言えば、安楽の地ではないのですが・・・。

まあ、焼き討ちされても、
「心頭滅却すれば火もまた涼し」
と名言を残せる可能性もあるので、何事も、ピンチはチャンスだと考えて、たくましくヒャッハーの時代を生き抜きましょう。









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