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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
三十善に相当する
◯一人の冤を白にす。
前々回から、因果応報が発生する理由として、自他の区別があること。
そして、自他の区別があることの前段階として、一つの完全体があった話でした。
この完全体は、宗教では人気があり、よく使われます。
この話をもうちょっと敷衍してみましょう。
お前の中ではな!
元々、世界は自他の区別が無い完全体であり、そこから分裂して今の多様な世界になったという話でした。
しかし、よくよく考えてみれば、進化論を考えるまでもなく、そんなことは夢物語です。
要するに、人間が考えた与太話であり、唯一全知全能の絶対神くらいアホらしい妄想です。
世界というよりこんなことを考え出す人間の認識の問題なのです。
カントの認識論ではありませんが、世界の実相がどうこういうより、人間側の認識論なのです。
では、なぜこんなことを人間は考えだしたのでしょうか?
ここに至るまでの、人類の思考経路を辿ってみましょう。
不老不死を求めて
人生は実に虚しいものです。
どんなに頑張っても100年もすれば死んでしまいます。
まあ、科学が発達すれば電脳とか遺伝子改良で1000年くらいは生きられるかも知れませんが、そこまで生きると、逆に死にたくなります。
死を嫌がっても死ぬし、死ななくなると逆に死にたくなって自殺してしまうのです。
結果はろくでも無い結果なのです。
要するにリアル人生ゲームは、クソゲーなのです。
とにかく、諸行無常の法則のせいで何をやっても台無しになってしまいます。
昔の賢人は、この如何ともしがたい諸行無常をどうしたもんかと考えました。
※別に諸行無常は釈迦だけが発見したものではありません。
真善美が、世界で固定化するように何とかこうにか考案したのです。
逆の偽悪醜は誰でも嫌うものです。
いつ死や病や災難が自分に襲いかかってくるか不明確なままでは、枕を高くして眠れません。
特に、権力者であればあるほどそうです。
偉くなればなるほど、不老不死の妙薬を権力者は探し出します。
エジプトのファラオから中国の皇帝まで、とかく不老不死は大人気なのです。
そのため、真善美が永遠に固定化出来るように、常住不変の存在を人類は求めてきたのです。
古代ギリシャ人の憂鬱
古代ギリシャ人は、移ろいゆく世界を観察した結果、たしかに自然現象は変化してやまないが、それでも変化しない物があることを発見しました。
一つ目は原子論です。
今でも科学の現場で使われている概念です。
もちろん現代では、原子よりもさらに細かい存在や量子の不確定な存在など課題はありますが、流転する世界の中で、原子は壊れない存在として、存在していると古代ギリシャ人は考えました。
しかし、これは、所詮、小さぎます。
原子は不変としても、それが構成された現象はやはり諸行無常です。
二つ目は、イデア論です。
現実の背後に存在する常住不変の世界です。
いや、現実の背後ではなくて、現実こそ、このイデアの不完全な投影だと言うのです。
わかりやすく言えば、三角形という概念は、辺の長さがどれだけ変わっても3つの線が交わっていれば、三角形です。
大きさや角度がどんなに変わっても三角形です。
現実の三角形がどんなに諸行無常で変わっても、三角形というイデアは永遠不滅に存在します。
現実の世界は、諸行無常で何もかも変わってしまいます。
一番、悲しいのは真善美という善玉の三拍子が、変化してしまうことです。
人間の感情として、変わっては行けないものが変わってしまうのでは、安心出来ません。
しかし、イデアという現象の背後にあるものなら永遠不滅です。
このイデアの論は、諸行無常や諸法無我に対抗する論理として、よく使われます。
仏教は現象論のみであると。
【陰隲録】功過格表㊼ 希望の国から光の国へのエクソダス 五十善 仕事を世話しよう⑧
このイデアは、諸行無常する現実世界の対抗軸の論理として、主に一神教が採用しています。
※ギリシャ哲学をカトリック教会は中世神学に採用しています。
まあ、キリスト教としては、別にイデアなどという抽象的な物ではなく、生き神様としてヤハウェ様がこの宇宙のどこかにどーんと居るのが建前なのですが、論争だと諸行無常とかの論理にやっぱり負けてしまいます。
イデアというあやふやな存在でも常住不変の存在ならば、絶対神の理論根拠になるのです。
つまり、絶対神ヤハウェは現象の背後に存在するイデアなのです。
つまり、背後霊なのです。
で、このイデアの論理が、今回の、全体性の話に繋がります。
長くなったので、次回に続きます。
というより冤罪からどんどん話がずれてきていますが、いつものことですので、気にしてはいけません。
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