はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)
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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。
【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら
功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
三十善に相当する
◯一人の冤を白にす。
行ったり来たり
人間は、かつて全てが一つだった、究極の完全体のイデアを夢想しています。
今のように、分離した自他を持っておらず、カイジの兵藤会長が、
「わしは痛まない・・・!」と言えないような一心一体の世界です。
全てが内包されているため、何の不足もありません。
美食も美女も何でも揃っています。
家も車も何でも揃っているのです。
タバコも酒も薬物も何でも揃っています。
毎日、爛れた退廃生活が可能なのです。
ネトゲー廃人もこれなら安心です。
不満など在り得ようもありません。
そんな完全体の世界ですが、どういうわけか分裂して今に至ります。
陰陽に分裂したのをきっかけに、今のてんでバラバラな自他の分離している自然界になっているのです。
おかげで、この地球上(宇宙上)の生命同士で、殺し合ったり、愛し合ったりと、無駄なことをする毎日です。
なぜこんなことをする必要があるのでしょうか?
初めから全てが一体ならば、こんな無駄なことをする必要がありません。
今まで見てきたように宇宙はサイクルがあります。
宇宙は無から始まって、大きな一から分裂して無限に増殖し、また臨界点が過ぎると、今度は、逆行して統一の過程を歩み、また一に戻り無に戻るという、大きなサイクルなのかも知れません。
呼吸と同じで、陰陽の原理です。
拡大と収縮の陰陽が、全宇宙にも適用されているというわけです。
このサイクルが、螺旋のように、少しずつ進化しているのか、それともループしているのかは不明ですが、どちらにしても、中の生命が、無意味な苦しみの中で、日々を暮らしているということだけは事実です。
※また、昔から、この宇宙における生命は、データ収集のために一から分離されていて、死後はデータ回収のために収集されるという説はよくあります。
要するに、巨視的な観点で、同じことを億年単位(兆年単位以上?)でやっている可能性があるのです。
これを、無限のループを、輪廻と言っていいでしょうが、もし、全一の完全体から、分割して、また戻ってを永遠に繰り返しているのならば、宇宙ははっきり言って、意味のない存在です。
消滅と発生を永遠に繰り返しているだけの意味のない存在なのですから当然です。
やってることは蠱毒の壺です。
以前、地球が蠱毒の壺と言いましたが、宇宙自体が蠱毒の壺と言えます。
なにしろ、システム的に、全一の完全体という理想形があるのに、わざわざ意味もなく、バラバラに分かれているという時点で、すでに、このシステムの信用がなりません。
初めから完全体が揃っているのなら、わざわざ分割する意味はありません。
しかし、完全体は分割し、この世は、ご覧の通りの苦海の有様です。
もっと言えば、我々が目指すこの完全体自体が、言えど、全く信用ありません。
今後、我々が、何らかの方法で、完全体に戻るにしても、また意味もなく分割してしまう可能性は高いのです。
前科のある輩は信用がありません。
要するに、やはり釈迦の諸行無常、諸法無我、一切皆苦というのは真理なのです。
追い出されたその先に
キリスト教(他、一神教)は、終末になれば信じる者は救われて、天国に永遠に行く(そして信じない者は地獄行き)と言う教義です。
エデンの園から追放された現在は、イエスという代替人によって、許されたと。
今度こそ、人間は天国で永遠にウハウハ天国ライフを生きることが出来ると。
要するに、全てが満たされた完全世界のエデンの楽園に帰ることが出来るのです。
上記の考えです。
しかし、よくよく考えてみれば、このロジックは非常に怪しい。
聖書の創世記を読んでみればわかりますが、
【聖書を読んでみよう!】創世記① 創世記エヴァンゲリオン ~エデンの園追放~
ぶっちゃけアダムとイブの人間カップルは、大して悪くありません。
智慧の実を食べる前の、IQが低い下等生物だったアダムとイブに対して、責任能力を問うのは、刑法上問題があります。
そもそも、手の届くところに智慧の実を置いて、食うなよ?絶対食うなよ?と上島竜兵のように言う神は、ツッコミ待ちとしか思えません。
初めから手の届かないところに置いておくか、それ以前に猿同然の知能の、アダムとイブに命令したって意味はありません。
おまけに、高知能な蛇(悪魔らしいです)をこいつらの近くに放置しておくのがもっと問題です。
神の管理責任と言っても過言ではありません。
※それ以前に、神と天使は、悪魔を地上で放置するなよと言いたい。
要するに、人間は別に悪くないのに、理不尽な言いがかりで楽園を追い出されたのです。
こんな前科のある神を信用してはなりません。
終末になって、裁きの後に、天国に戻ったところで、また神から難癖をつけられて、エデンを追い出される二の舞いになるのは目に見えています。
まあ、これは、あくまでもキリスト教の聖書という戯画された物語ですが、
神の思惑とは関係ない、先の完全体の話の、呼吸の陰陽と構造は、同じです。
完全体(エデン)から分離、そしてまた完全体へ戻るという自然のサイクルです。
要するに永遠にハッピーなどというのは、極めて怪しいのです。
夢幻の如くなり
で、この完全体の話にしろ、エデンにしろ、永遠の天国にしろ、実は、同じ穴のむじななのです。
ここ数回、この完全体の話をしていて何ですが、この完全体は、当たり前ですが、人間が作った仮想概念です。
神の存在証明の話と同様で、確定していない以上、自然界に完全体や絶対神は存在しません。
要するに、人間の妄想なのです。
そして、なぜこのような妄想を作らざるを得ないのかは、簡単にわかります。
この世が諸行無常だからです。
もっと言えば、人間が不完全な生物だからです。
※厳密に言えば、完全な生物など無いのですが。
我々は、世界や未来を完全に知ることは出来ません。
全知全能で無いので、あらゆる災難を避けることが出来ないのです。
一寸先は闇の世界の中で、明かりを探すのは当然です。
諸行無常の世界の中で、確個とした拠り所を人類は追い求めます。
永遠に真善美が変わらず、腐敗せず、決して自分を裏切らない。
言ってしまえば、童貞が、アイドルを求めるような物です。
人間は、自分の理想の百パーセントのアイドル(偶像)を追い求めるのです。
多神教を偶像崇拝呼ばわりする、一神教は、結局、完全無欠の全知全能の神という、アイドル(偶像)を作ってしまいました。
神は木や石の偶像に宿るのではない。
言い得て妙です。
神は、人の妄念の中に宿る永遠のアイドル(偶像)です。
聖書と言うラノベに出てくる、絶対神という都合の良いテンプレ美少女キャラなのです。
つまり、偶像というアイドルの上に立つ存在。
アイドルマスターなのです。
※一応、一神教を擁護しておくと、創造者と被造物を峻厳した一神教は、世界を諸行無常とは別の意味で、俯瞰することが出来ます。
創造者の立場に立脚する視点は、世界をラディカルに見ることに繋がります。
体制やシステムに盲従して疑うことを知らない日本人的な発想とは、段違いの発想をすることが出来ます。
ユダヤ人の強さは、ここに一因があります。
我々は、開運のために陰徳を積んでいます。
しかし、開運して現世利益で安住してもそれはゴールではありません。
※別にそこでゴールしても一向に構いませんが。
究極には、一切の執着を捨てた境地に至らなければいけません。
最後には、神も仏も斬り捨てるのです。
陰徳も慈悲も何もかも切り捨てた、空の境地に達してこの輪廻という罰ゲームのループ物を終わらせることが出来ます。
ぜひそこまで目指して下さい。
現世利益で終わってはもったいないのです。
脱線しまくっていますが、ようやく次回から冤罪の話に戻りましょう。
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