2017年6月18日日曜日

【陰隲録】功過格表100 一寸先は闇法師 三十善 冤罪を救おう②





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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

三十善に相当する

◯一人の冤を白にす。






功過格表の記事も100回に達しました。
祝100回記念です。
功と過の合計100条項あるのに、数条項程度で、100回記事です。
全部終わるのに、どのくらいかかることやら・・・。

まあ、いっか!(思考放棄)


それでも僕はやっていない



世に数多ある冤罪の白眉は、何と言っても、痴漢冤罪です。
(別に白眉の根拠は特にありませんが)

最近では、痴漢冤罪用の弁護士保険まで開発されたようで、資本主義の需要と供給の美しいハーモニーが奏でられています。
痴漢冤罪の初動で、弁護士との連携が取れればかなり無罪に有利になります。

上に政策あれば下に対策あり。
とは、中共の諺です。

痴漢冤罪は、警察やヤクザなどが気に入らない人間を処分するための政策なので、庶民からすれば対策をとるのは当然でしょう。

およそ、全盛期には、日本はアメリカ型の訴訟型国家になる!と言われていました。
ただ、目に見えて、その傾向は無かったため、忘れられていましたが、よくよく考えると、アメリカ型の格差社会などがその証左ですし、この痴漢冤罪保険もその一つでしょう。


国家権力の犬


逆を言えば、日本は今まで、痴漢冤罪を始めとする多くの冤罪に対して無抵抗という時代があったということです。
現代の科学捜査が進んだ現在でもこの有様ですが、近代以前の時代は、冤罪というのはもう普通のレベルでした。

江戸時代には、毎年、大量の死刑囚がいましたが、ほとんどは冤罪とまで言われています。
日本に限らず、警察権力が徹底して腐敗していたからです。
およそ、警察は民の味方ではなく、金持ちの味方というのがデフォルトです。

もっと言えば、今でこそエリートの警察官ですが、昔は警察は邏卒、獄卒と呼ばれていました。
要するに被差別階級です。
犯罪者相手の穢れ仕事をやるのは、被差別階級だったからです。

庶民からすれば、チンピラやヤクザが十手を持っているような物です。
当然、庶民の訴えなどまともに聞きはしないし、むしろ大店廻りをして御用聞き(して小遣いを貰う)のようなことをしていたのが、実情です。

まあ、早い話が権力の犬です。
犬のおまわりさんと言うと、メルヘンな世界ですが、権力の犬というと、同じ犬なのに、印象度がまるで違います。



ガンダーラ




基本的に冤罪というのは、文明の発達によって減少します。
弁護士をはじめとする司法制度と、科学レベルの発達度により減少するのです。

捜査の科学レベルが低い時代には、わかりやすい証拠と証言と自白がメインでした。
被疑者の地位が低ければ、簡単に冤罪が発生したのです。

最終的には、人類が総電脳化したウルトラ管理社会でなければ、冤罪は無くならないでしょう。
まあ、その時には冤罪もへったくれもなく、初めから社会秩序を犯すような行為、つまり犯罪自体が無くなるような社会ですが。

それはそれで理想郷と言えます。
犯罪が無い社会なのですから。


一寸先は闇法師


しかし、仏教的に言えば、実はそれはまずい社会です。
六道輪廻の中の天道と同じ状態で、現状に満足してしまい、輪廻のエスケープである解脱への動機が起きないからです。

天道、つまり俗にいう天国は、居心地が良いので向上心が起きないという欠点があります。
一神教の天国地獄のように永遠に続くのならまだしも、仏教的世界観の天国地獄は有限です。
前世の因果の結果いるだけですので、業が尽きれば、また六道輪廻に戻ってしまうからです。

この人道(人間界)に、冤罪を含めた災難や不幸があるのは、ぶっちゃけ、天道のような天国と違い、向上心アップに役に立つ環境です。

人間界よりも下の六道輪廻だと、生存に厳しいので、修行する暇が無いのです。

冤罪を始めとするあらゆる災難は、六道輪廻の、生存への執着心を薄れさせます。

人間は、愚かなので何か無くならないと、世界の危険性に気づきません。
釈迦は天才なので、自分で生老病死という世界のシステムの危険性に気づきましたが、大多数の人間は死ぬまで、気づきません。

一寸先は闇というのが、この世界の実相です。
自分は罪なんて犯してないから安全♪
という、俗人の妄想を冤罪は木っ端微塵に吹き飛ばしてくれます。

冤罪自身は単なる、過去の自分の悪業の報いですが、この苦難は実は、仏教的に見れば、有り難い教師なのです。
世界は闇という仏教の教義を一発で理解させてくれます。

百の説教よりも一発の冤罪です。
百聞は一見に如かずとはこのことです。

我々、陰徳士も、いくら陰徳を積んでいるから安心などとは言えないのです。
何せ、溜まっている陰徳悪徳ステータスは見えないので、いつ冤罪他の災難が降り掛かってくるかわかったものではありません。

適当にこの世を楽しんだら、とっとと世界、つまり輪廻を脱出する志を持ちましょう。
これを出世間と言います。
なぜか、この言葉が転じて出世という現世内の成功に変わっているのですが。

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