2017年6月15日木曜日

【陰隲録】功過格表97 道化者たちのサーカス 三十善 無法者を教化しよう⑲




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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)



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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

三十善に相当する

◯一人の非為人を勧化し行いを改めしむ。










無法者の種類の続きです。

無法者には一応、存在意義があって三種類あるという話でした。

一つ目は、ただの犯罪。
二つ目は、比較衡量の問題。
三つ目は、社会的閉塞感の打破。

この3つです。

何で私が無法者の存在意義を擁護しなければならないのか、さっぱりわからないのですが、まあ、このブログは、お筆先なので、豊河に責任はありません。

悪いのは、豊河ではありません。ハイアーセルフです。
(責任転嫁)




今回は三つ目です。

社会的閉塞感の打破。

この話です。





桃太郎は鬼の財宝を強奪する盗賊集団



何事にも周期循環のサイクルがあります。


人間だと、生老病死のサイクルですし、
誕生、幼児、少年少女、青年、中年、老年、死のルートは、誰しもが通る道です。

まあ、世の中には粗忽者がいて、このルートを完走する前に、リタイアする者もいます。
しかし、途中で尽きようがどうしようが、このルート上にあるのは変わり有りません。

どんなおっちょこちょいでも、このルートを逆走は出来ないのです。
(精神だけ退行する場合もありますが、肉体は不可能です)


人間以外にも、このルールは適用されます。

一日は、太陽の軌道(厳密には地球の自転)のサイクルです。
夜明けから日中、夕方から日没、深夜と、やはり毎日のぐるぐると循環するサイクルがあります。
一月は月の満ち欠けがサイクルし、
一年は、春夏秋冬のサイクルが毎年やってきます。

これらのサイクルは、全て共通性があります。

春夏秋冬の四つのサイクルが一番わかりやすいですが、
四つを、もっとまとめると、夏と冬を一本の線の頂点とし、
上下に移動している様子が見えます。

一番下の寒い冬から、暑い夏に向けて上昇する途中が春で、頂点の夏から冬に向けて下降する途中が秋です。

象徴的に言えば、熱と寒の、繁栄と衰退の二極を行ったり来たりしています。
生と死の循環と言えます。
つまり、結局、陰陽なのです。


世界の全てがこの陰陽のサイクルに従っています。
宇宙も地球も人間も、ミミズだってオケラだってアメンボだって、
みんなみんな生きていますが、虫けらのように、やっぱり死んでいくのです。

この生と死の陰陽のサイクルからは誰も逃れられません。
陰陽は天地を貫く、生と死の法則です。
生き神にして死神なのです。



三界の狂人は狂せることを知らず
四生の盲者は盲なることを識らず
生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥し

空海「秘蔵宝鑰」



どんな人生も、結局はこの生と死があるだけです。
今までに、億単位の人間がこの地球上に生まれてきましたが、この生死の陰陽から外れた人間はいません。

釈迦もイエスも、偉そうなことを上から目線で言っていても、そこらの凡人と同じように、抵抗むなしく死んでいきました。

貧民も富豪も、同じように、子宮の穴から生まれて死んで墓の穴に還ります。
穴から生まれて穴に死ぬのです。
穴から生まれた穴太郎なのです。
私も貴方も穴太郎なのです。






法人生命説


このサイクルは、抽象的な生命である法人にも適用されます。
具体的には、一族や国家や企業などです。

商品に、賞味期限や耐用年数があるように、これらも、生まれたら、サイクルを経て、死ぬのです。


世界の歴史を見ればわかるとおり、どんな文明も大帝国も滅んでいます。
時代が変わると、システムが対応出来なくなってきて、新興勢力に滅ぼされたり、自壊したりするからです。

でかい図体の生き物は小回りが効きません。

これは、進化上で生き残るのが、環境に適応出来る生物なのと同じです。
巨大な国家レベルのシステムや、もっと小規模の大企業なども、ガチガチにシステムが固まっていると、時代の流れに対応できなくなり、消滅してしまうのです。


大抵の国家や法人は、創業期には、実力主義の人物が集まりかつ実力主義のシステムで、既存の権威を打破します。

しかし、自分自身が権威として確立すると、今度は、安定期のシステムになり、実力主義は減点主義になります。

自分たちが、批判してきた既得権益になるわけです。
構成員も、二代目三代目の世襲となります。

新しい事をやろうとするよりは、今までの方針やシステムを維持する保守的な思考となります。
既存のシステムで食っていけるのに、わざわざ、新しい事をする必要がないからです。

しかし、問題は、世界そのものもサイクルが回っており、常に変動しているということです。
固定したシステムでは、変化する環境に、対応出来なくなります。
絶滅した恐竜の如く、時代の変化に、為すすべも無く敗退することになります。

無論、変われれば、生き残る可能性はありますが、内部の膨大なシステムを改革することは容易ではありません。
大抵は改革することは出来ずに、最初から新しいシステムに対応した新興勢力に駆逐されることになります。




上記は、流動的な現代社会では、誰しもが知っている話です。

問題は、この変動期には、無法者が台頭するという話なのです。


時代の節目に鬼が出る


比較衡量の問題と被りますが、比較衡量の単純な汚れ仕事というよりも単純な弱肉強食的な状況です。

変動期には、無法者が積極的に動き、それが新しい権威として王朝を立ててしまうということがあるという話です。

変動期には、警察が泥棒になり、泥棒が警察になります。
価値観が逆転するのです。

歴史を見ると、歴史的な権威のシステムも、創業期を見れば、無法者が大半です。

釈迦もイエスも、当時の無法者です。
イエスなどは神殿で大暴れして破壊行為をするならず者で、最終的には死刑犯罪者です。

企業なども、創業期は脱法違法まがいの商法で成り上がり、地位が確立すると、何食わぬ顔で品行方正になるという例は枚挙に暇がありません。

我が国でも、つい最近の、明治維新も創業者はテロリストと大して変わりがありません。
もっとつい最近の、ロシアなどは、ソ連が崩壊すると、KGB上がりのマフィアが大活躍していました。

逆を言えば、システムが崩壊して新しいシステムを構築するのは、無法者でないと出来ないということです。

実際のシステムは旧システムの官僚が引き継ぐことが多いのですが、官僚は言われたことしか出来ないため、
無法者が表に立って、官僚と財界人を裏人脈で使い、新しいシステムに移動することが、歴史上多いのです。









道化者



基本、通常のシステムを混乱させ、破壊し、新しい価値観をもたらすのは、ユング心理学では、トリックスターと呼ばれています。

実際、このような道化は、時代の至るところで現れます。
日常の閉塞感をぶち破る効果があります。

そんな彼らが現れるのは、単純に、時代にシステムがあっていないことを、集合無意識が知らせてくれているということです。

ところが、彼らトリックスターは当たり前ですが、真っ当な存在ではありません。
真っ当な人間だったら、トリックスターの役割はしないからです。
既存の権威やシステムを無視し、突き抜けた言動をするトリックスターは、常人ではありません。

彼らは、退屈な日常では生きていけない連中です。
安定したシステムの下では、退屈で死んでしまうのです。
法の下には存在出来ないのです。

アクの強い創業者は、大抵このタイプです。
裏社会上がりの無法者が、混乱期に成り上がるのは古今東西の基本です。
秀吉も、劉邦も、劉備も、全てこの類です。



要するに、無法者とは、その無法ぶりから、変動期に存在を天から委託されている存在なのです。
上記に秀吉と書きましたが、むしろ信長タイプと言った方が適切かも知れません。

ただ、この無法者がやる創造的破壊。
当たり前の話ですが、犠牲者が出ます。

いくら天が使っているとは言え、これに関して、彼らの悪行が、因果応報的に罪にならないかというのは微妙な問題です。

もしかして、宗教の預言者含めて、天が遣わした存在は、汚れ仕事的な、罰ゲームの可能性もあります。

もしかして、天の使いというのは、政治家や企業が、ヤクザを裏仕事に使っているくらいの感覚なのかも知れません。





さて、無法者には三種類あるという話でした。

一つ目は、ただの犯罪。
二つ目は、比較衡量の問題。
三つ目は、社会的閉塞感の打破。


別に無法者の存在意義などどうでも良いのですが、一応、社会的な存在意義があるので、紹介いたしました。

皆さんが無法者になる時(があるのか?)には、参考にして頂ければ幸いです。



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