2017年4月2日日曜日

【陰隲録】功過格表㊴ 死に至る病 五十善 野ざらし死体を埋めよう⑫



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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら




功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

五十善に相当する

一の主なき骸を埋む




【DEAD OR ALIVE】


うららかな、光のどけき春の日の兆しが見える昨今、やれ死体だの乱交だの爽やかなテーマで語ってきましたが、さすがに今日で終わりです。

死体を埋めろというだけの話に、ここまでダラダラと書く必要ははたしてあったのか?
いや、無い(反語)

まあ、結局、死体というのは宗教的にはここまでの話題に展開する物なのです。

基本、宗教は死体が大好きであったと。

客寄せ観光パンダにしたり、そもそも死体が無ければ、彼らの葬儀ビジネスというメインコンテンツがなくなります。
洋の東西を問わず、葬儀ビジネスは宗教利権です。

宗教は、死体が無ければ生きていけません。
(No dead body,No life.)

少子化で、全国の寺が存続の危機にあるという話は前しましたが、冗談抜きで、死体が無ければ宗教は生きてはいけないのです。

麻薬患者がもはや麻薬無しでは生きてはいけないように、今更死体様無しでは、生きては生けないのです。

宗教の生存は死体の上に成り立っています。
宗教は、生死の二重奏のハーモニーの産物なのです。

人は生死の間に生きています。
精子から生まれ、製糸の服を着させられ、親からの教育で我侭を制止され、
学校で製紙された教科書で正史を学び、そして社会に出て、人間の実相を正視します。
やがて心拍が静止して死体になります。
信仰心があれば、死後は、阿弥陀の手下の勢至(菩薩)に極楽浄土に強制連行されるのです。





【土壇場での覚醒レベルアップ】


そもそも、死が必ず遭遇するイベントと言うならば、それに備えることは人生の一大事です。

人間は、どうも、死を意識すると途端に、人格が高貴になる傾向があります。
(低下する人もいますが)

武士の辞世の句や、特攻隊の手紙や、世界中の死の前のセリフなど名文美文に満ちています。

また、高山の登山者や戦場での夜間の暇潰し時の体験者は、みんな声をそろえて、
「娑婆にいた頃と違って、下らない本とかは読む気がなくなる。古典とか宗教書とかを読む」
という意見が多いのです。

なぜ、このような現象が起きるのでしょうか?
死にはなにか人間を高貴にさせる秘密があるようです。

と言っても、難しい問題のようですが、実はそんなに難しい話ではありません。

答えは簡単です。

ただの、締め切り効果です。

作家が作品を書く原動力にしている、あの締め切り効果です。
普段から勉強しない生徒が、試験前にあわててやる一夜漬けと同じです。

この締め切り効果の一夜漬けは、普段の集中力を遥かに凌駕します。
それと同じです。

走馬灯現象と同じように、死の前の集中力は、普段の比ではないのです。

これは人間は危機に陥ると、潜在能力を発揮するということです。
普段から発揮していればいいのですが、悲しいことに、人間は追い詰められないと、真剣になれません。

まあ、戦闘民族のサイヤ人だって、死の淵に行ったりしないと戦闘力をアップ出来ないし、スーパーサイヤ人になれないので、これは生物の基本なのでしょう。

逆を言えば、死にそうな状況に自分を置けば、潜在能力を発揮するという開運法でもあります。

この方法は、ショック療法で、人によっては効果を抜群に発揮します。

剣道では、人を斬ると段を上げる流派が存在します。
生死を賭ける実践を経ることで得られる物があるという認識でしょう。

このブログでは陰徳など、ゆるい開運法を提示していますが、そういうハードな開運法もあるのだと、意識の片隅に置いておいてください。
以前、話題にも出した通過儀礼はその一つです。



【】


上記のようなショック療法は効果があるのですがが、
そこまでリスクを犯したくなければ、手軽にイメージトレーニングでも、ある程度の効果はあります。

元々、今まで見てきたように、メメント・モリ(死を想え)は、宗教の基本です。

特に仏教は瞑想の対象を色々と設定しており、その中の一つに「死観」があります。
文字通り、死を瞑想の対象にする方法です。
死体を見るトレーニングと同様です。

基本、仏教は執着を否定するために、これらのトレーニングをしますが、
別効果として、死をイメージすることで潜在能力の発揮という開運効果は得られるかも知れません。

あと、単純に、上記の締め切り効果の余波として、後生の用意というのがあります。
人間は必ず死ぬので、そのための準備です。

チベット密教には、ポアという技法があります。
オウムで殺人指令の代名詞として有名になったポアですが、元々は、チベット死者の書に代表されるように、合理的な死に方というか死後の案内誘導です。
(高い意識への転移という意味もありますがここでは狭い範囲の意味に限定します)

どういうことかと言うと、生存中に解脱できたような人はもう後生が無いので、別にこんな行は不用ですが、解脱できない人にとっては、後生は、非常に重要です。

今、ラッキーな人生だからと言って、好き勝手に生きていたら、死後、はっと気づいたら、いつのまにか、閻魔大王の前に、ムキムキマッチョの鬼たちに連行されていて裁判開始とかになったら、大問題です。

まあ、このブログを読んでおられるような高徳の方々は、全然、心配してないのですが、世間の愚民ども(驕り高ぶる傲慢視点)は、皆さんのように陰徳を積んでいないので、死後裁きにあって、地獄行きとかよくある話です。

死後、不浄仏霊にならないで、速やかに極楽浄土とか天国とかに行けるよう、今から準備しておく必要があります。

特に、若い方で、日本人の平均寿命まで、まだまだ余裕があるから、俺は好き勝手生きるぜヘイヘイヘイとか余裕ぶっこいている人ほどリスクがあります。

いつ日本の国土上で、大震災や原発や隣国の戦争とかやってくるか、分かったものではありません。
そもそも政府自身が、次に東海か関東が来たら国家予算が吹っ飛ぶと正直に白状しています。

釈迦も言っているように、
「人間は必ず死ぬ」のです。

ごく少数の人だけが、不老不死を達成したり、科学の力で何とかなったりしますが、大部分の人には関係の無い話です。
大人しく、来世の準備をしておきましょう。

死ぬ前に慌てて、信仰したり、遺産をばら撒いて陰徳を積もうと思っても、後の祭りなのです。
※まあ改心しないで死ぬよりはマシかと思いますが・・・。

金融資産と同じで、若いうちから準備してきた方が良いのです。
早めに用意しておけば、老後には大きな資産になります。
お金も陰徳も同じです。


さて、今回で、長々と続いた、死体の話は終わりです。
というか、死体などという話で、12回もよく話すことがあるなと、自分で驚きます。

自分で自分を褒めて上げた・・・くないのですが。
なぜ、死体の話で延々と話を出来る自分を褒めなければいけないのか理解に苦しみます。

次回からは新しい善行の話に移りましょう。

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