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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)
なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
記事下のコメント欄や、メッセージやメールで、お気軽にどうぞ。
その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。
【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら
功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
五十善に相当する
◯一人の流離を救免す。
【前回のあらすじ】
所詮、この世は奪い合いの弱肉強食の世界。
猿から進化した万物の霊長たる人類も、所詮、畜生の同類です。
およそ、生物は、どんな高等な種族であれ、生存には食料が必要です。
食料が満ちていれば、争いは起きませんが、供給が少なくなれば、資本主義の原理により、価格は高騰し奪い合いになります。
他人を殺さなければ生きていけない修羅道が、あらゆる生命の現世の本質です。
少しでもIQが高ければ、そんな鬼畜修羅道のこの世の本質は見えてきます。
インドの王族のボンボンだった釈迦も、若い頃、絶対に死なず老いない不老不死を求めて苦悩した結果、出家しました。
人間の身体であれば、生老病死の危険性は常にあるからです。
他者との殺し合いや、食料(金)の奪い合い、怪我や病気や老化や死と言った不幸も同様です。
釈迦はIQが高かったので、こういった人生のリスクを把握し、解決方法を求めました。
しかし、21世紀の日本人は、すでに教養としては釈迦の時代を遥かに凌駕しています。
この生命のリスクも十分に知っているため、少しでも生存率を上げるために、開運を考えるのです。
このブログに起こし頂いている方々は、そんなIQの高い皆さんです。
長期的なリスクも認識出来ずにいる、世間の凡百共とは一線を画している方々です。
このブログでは、そうした人生のリスクを回避するための開運の方法として、陰徳を特に奨励しています。
その陰徳は、因果応報理論によって、構成されています。
善因善果、悪因悪果の法則です。
しかし、その法則は、前回考察したように、重要な問題を孕んでいます。
自業自得の結果になってしまうため、傲慢と薄情を喚起しやすいのです。
言ってしまえば、弱者を手助けしない嫌な奴になってしまうのです。
マクロ的レベルになると、カースト制度や自己責任による搾取にまでなってしまいす。
さらに、自業自得は、陰徳にも影響が出ます。
陰徳のために弱者や不幸な人をを手助けしようとすると、それが彼らにとって余計なことになってしまうのです。
なぜなら、彼らが不幸なのは、自業自得理論ですと、前世のカルマのためであってまさに自業自得だからです。
彼らは、前世の悪業の解消をするために、今の不幸な状況になっていると結論になるのです。
こちらの勝手な感情で、彼らを助けてしまっては、彼らのカルマが解消されません。
それどころか、助けられたことで、ただでさえ多い悪業のカルマポイントが、また無駄に増えてしまいます。
助けられるのは、助けられる方にとって善因善果のポイント消費であり、さらなる借金だからです。
つまり、こちらが陰徳を積もうとして、困っている人を助けるのは、彼らにとって余計どん底に落とすだけの悪業なのです。
世界の質量は一定であり、どこかが増えれば、どこかが減ります。
金は誰かが儲ければ誰かが損をします。
こちらの陰徳ポイントが増えれば、相手の陰徳ポイントが減ります。
弱肉強食の奪い合いの世界の真理は、ここにも適用されてしまうのです。
前回の話はこういう話でした。
弱肉強食の世界から逃れられるようにしてきた陰徳が、まさかの展開です。
奪い合いのルールは、どこまでも適応されるのでしょうか。
所詮、この世は穢土なのです。
では、我々の開運のための陰徳は、結局、自己満足の偽善の仮面をつけた搾取に過ぎないのでしょうか?
まあ、実際、たぶん、そうなのでしょうが、開運を目指す皆さんのために、豊河が頭を捻って、陰徳を正当化する言い訳を考えてみましょう。
【言い訳① 猶予期間(モラトリアム)】
日本において、本来、学問をするはずの大学生は、基本、遊んでいます(真面目に勉強する人も多いですが)。
現在のシステムでは、受験と社会人の間の猶予期間(モラトリアム)になるからです。
何事にも、この猶予期間はあります。
例えば、刑法でも初犯は、執行猶予期間はあります。
反省の余地があるからです。
再犯だと刑罰が厳しくなるのです。
因果応報理論だと、不幸にあっている、困っているというのは因果応報的に考えて、悪行の結果です。
自分がやったことの報いで、こうなっているのです。
しかし、因果応報はともかく、天は慈愛に満ちた存在です。
常に天が下の人間を許そうと虎視眈々と狙っています。
生命が苦しみに会っているのを看過出来ないのです。
スキあらば、助けようとしているのです。
自分の手駒(皆さんのような善人)を使い、彼らを助けようとします。
助けられた方は、陰徳で助けられたことで、猶予期間を与えられます。
その猶予期間に、今後は、前世の業を償うような、世界のために善行を積むようになれば、新しく積んだ善行でカルマの借金が相殺されるかも知れません。
つまり、陰徳で助けることはたしかに、カルマ的には余計なお世話かもしれませんが、モラトリアムの仮釈放で更生のチャンスを与えられたのです。
そのモラトリアム期間で、正しい道に歩んでくれれば、陰徳で助けた価値はあります。
【言い訳② 刑期終了のジャストタイミング】
そもそも、我々は因果応報の業(カルマ)の存在を認識出来ません。
そういうものがあるな程度にはわかりますが、細かいポイントはさっぱりです。
現状、天界サーバにある管理下の、自分たちのカルマポイントが、どのくらい貯まっているか見ることが出来ません。
PONTAカード(ローソンのポイントカード)ですら、WEBで見ることが出来るのに、カルマポイントは見ることが出来ません。
PONTAにすら劣っているのが、業システムです。
管理会社はユーザビリティというものをどう考えているのでしょうか?
占星術は天機を見る物なので、ある程度は見ることが出来ますが、それでも、陰隲録の袁了凡のように途中から陰徳で運命改善を志すと、運命は変わってしまいます。
その場合だとさらにカルマポイントはわからなくなります。
資産(貯金)が今、いくらあって、負債(借金)はいくらあるのか?
およそ、資本主義を歴史的に推進するのには、複式簿記という資産を管理するツールが必要でした。
資本の正確な把握は、投資や経営に必須だからです。
軍や国家のような大規模組織では、これは当然です。
糧秣や税金や予算を把握していない組織など、滅びて当然です。
「見える化」は資本主義の鉄則なのですが、
しかし、これが個人のカルマになると途端に見えなくなってしまいます。
そもそも論として、陰徳、冥律という、陰や冥々の存在だから仕方がないと言えば仕方がないのですが・・・。
要するに、こいつらは、目には見えないだけでなく、今どのくらい貯まっているのか把握出来ないのです。
で、要するに何が言いたいかというと、貴方が陰徳で助けた相手は、ちょうど相手の悪業のカルマの清算分が終わったタイミングだったのです。
要するに、貴方じゃなくても(貴方だということに何らかの縁があったのでしょうが)、どっちみち誰かが助かったり自動で助かったりする
タイミングだったのです。
カースト制度なども、一生、そのカーストで居なければいけないかどうかは、本人の業次第ですので、別に一生その身分でいるなどと、システムに固定された話ではないのです。
無論、一生、カースト制度に縛られた人は、そういう業だったのでしょうが、貴方がおせっかいでカーストをやめさせたとしたら、それはそれで、その対象の人はそのタイミングで「カーストの業がちょうど終わったタイミング」だったのです。
つまり、陰徳で、助ける側の我々が、相手の業の次第を気にする必要はありません。
相手が「なぜ自分を助けた!まだ償いが終わってないんだ!」とか、「く・・・ッ!こ、殺せ!(女騎士風に)」とか言ってきても気にする必要はありません。
どうせ、業のポイント状態なんか見えないのです。
もしかすると、その通りなのかも知れないし、そうでないかも知れません。
助けたあとで、相手が再び自罰の道に行っても知ったことではありません。
それこそ、自己責任というものです。
命を助けたことで、こちらは、善業百ポイントゲットをしているのです。
あとがどうなろうと、知ったことではありません。
※まあ、厳密にはその後のフォローはした上げたほうが良いとは思いますが。
そもそも論として、今、書いていて思ったのですが、別に陰徳の奪い合いでもいいではありませんか?(開き直り)
盗みは犯罪ですし陰徳のマイナスにもなりますが、陰徳を奪うのは間接的な盗みですが直接的ではないのでセーフと行っていいのでは無いでしょうか?(たぶん)
世の中、盗まれる方が悪いのです。(言い訳がめんどくなって思考放棄)
盗まれるマヌケはこの厳しい世界で生きてはいけません。
弱肉強食なのです。
世の中、食うか食われるかの二択です。
勝者は肉を食べて生き残り弱者は飢えて死ぬのです。
陰徳を盗むのです。
相手に善行を施して、相手の陰徳ポイントを減らし、こちらの陰徳ポイントを盗むのです。
「くそぉ、一足遅かったか。豊河教の信者どもめ、まんまと盗みおって。」
「いえ、あの方々はなにもとらなかったわ。私のために善行を施してくださったんです。」
「いえ、奴はとんでもないものを盗んでいきました」
「…?」
「あなたの陰徳です」
今日も長くなったので、次回に続きましょう。
(何事もなかったかのごとく)
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