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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)
なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
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その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。
【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら
功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
十善に相当する行為
◯一有徳人を薦引す
敵即斬
前回で敵陣営から見たら、有徳な人間の排除は、正義という話をしました。
平時と戦時では倫理がひっくりかえるからです。
一般に、人間とその他の生き物の陣営同士の関係は敵対関係です。
別に、人間同士仲良くというのが建前の人間も、他生物がからむと途端に、建前をかなぐり捨てて、殲滅に走ります。
今この駄ブログを読んでおられる皆様ですら、部屋にシロアリやダニやゴキブリが出たら、一心不乱の大戦争を始めるでしょう。
※いや、私は不殺生主義だから、しないという方がいたらすみません。
このように敵即斬は、生命界の掟です。
この掟を守らない生物は、淘汰されるだけです。
逆を言えば、人間はこの殺し合いの淘汰を経てきて勝利したからこそ、この地球上のトップを占めています。
しかし、このような生存競争の中で、不思議と共生している例もあります。
例えば、ペットや家畜です。
家畜に神はいないッ!
犬や猫は、本来、野生で獲物を取ってくる生き物ですが、人間の愛玩動物として、数万年単位で家畜化してきたので、すっかり人間のペットとして活躍しています。
彼らは、人間の庇護の元で、餌を貰って生存しています。
あるいは、家畜や養殖などは、もっと下位の共生関係(従属関係)です。
彼らは、自然界で他の外敵に殺されるような環境から、人間に守られる特権を持ちます。
本来なら、狩るべき食料も餌として与えられます。
しかし、それなりのリスクはあり、軽い物だと羊毛や乳などを提供させられるし、重い物だと、肉を提供させられます。
やってることは、ブラック企業や東南アジアの児童臓器工場と変わりません。
この共生関係が成り立つのは、ある条件があり、
①強者と弱者の関係であること
②従属関係の中で、お互いに有益な物を提供出来ること
この2つの条件です。
人間は幸い、他の生物に較べて圧倒的に強者(たまにウイルスにボコボコにされますが)なので、幸い、搾取する側に回っています。
上がってこい・・・オレ(神仏)のところまで・・・!
しかし、そんな人間も、所詮はこの広い宇宙の中では、頂点ではありません。
より上位の生命体から見たら、家畜程度なのです。
聖書にもこう言っています。
神は我らの羊飼い。と。
早い話が、我々人間は神の家畜であると言えます。
もちろん、神仏は、人間よりもIQや人格が高いので、人間が家畜に適用するな非人道的なことはしません(実は大局的には結構していますが)し、最低でも犬猫のようなペット程度の扱いです。
で、神仏が望むのは、当然、普通の人間が神仏に望むような善の存在としてです。
人間のレベルアップです。
要するに、神仏が望むのは、
「はやくオレのところまで上がってこいよ」
という、中二病のようなセリフなのです。
助けられる存在から助ける存在になれ、というのが神仏が望むことです。
ちなみにここで話を終わっておけばいい話なのですが、
まあ、豊河は正直者で嘘がつけないので、言っちゃいますが、
前にも言ったようにどうも神仏のエネルギー源は、人間の善のエネルギーです。
善意とか慈悲とか欲望を克服したとかそんな感じのエネルギーです。
要するに構造的には、動物を家畜にする人間と大して変わりはありません。
自分の餌となるエネルギーを人間で家畜養殖しているのです。
善のエネルギーの代わりに悪のエネルギーを餌とする生命もいます。
神仏に較べて悪魔とかそういう類ですが、実は、そんなに大して差はありません。
人間を家畜にすることには変わりはありません。
ちなみに、仏教でも禅とか上座部仏教だと、こういう存在を善でも悪でも十把一絡げに、悪魔扱いです。
仏教の悪魔とは、単に瞑想を邪魔したり、人間の生存本能などの煩悩です。
慈悲も善意も、利他も、人間の煩悩の一つです。
悪意に較べて良いエネルギーですが、それだけです。
生存のループに再生産されることには変わりません。
輪廻からの解脱を図る仏陀にとっては、神仏も悪魔も所詮、輪廻にしがみつく生き物に過ぎないのです。
利他の精神の神仏も、釈迦の目から見れば、救済という「欲」、つまり煩悩から抜け出ていない存在ということです。
まあ、とはいえ、別に解脱する気がないのなら、普通にこうした存在に手助けされる人生もいいでしょう。
少なくとも、幸福な人生でしょうし、もっと上のレベルになると、神仏候補生として、ハードな修行をさせられますが、死後は神仏(の下っ端)程度になれます。
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