2017年8月20日日曜日

【陰隲録】功過格表135 敵陣営の無能な臣を優遇して敵国の国力を弱める中共がよくやる六韜三略 十善 いい人を紹介しよう⑫











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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)



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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

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功格五十条(善行のプラス50項目)

・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

十善に相当する行為
◯一有徳人を薦引す



中心軸



有徳な人間(聖者か有能化かということ)は、自分たちの陣営にとっては有利です。

しかし、他の陣営にとっては、脅威以外の何物でもありません。

陰徳には、功過の陰陽がありますので、功過格には、今回の功の条項の逆に、この話の過の条項もあります。

それは、有徳人を排斥するというものです。
要するに、立派な人を失脚させることですね。
当然、悪徳です。
陰徳ポイントはマイナスになります。

もちろん、悪の行為で逆陰徳なのですが、平時と戦時では、倫理が逆転します。

平時では悪なことも戦時では善になります。
敵陣営の有能な人間が失脚すれば、自軍に有利になるのは当然です。

兵法にはこの手の謀略がたくさんあり、このタスクが有用なことがわかります。

およそ、組織はシステムがあるとしても運用者は人間です。
有能な人間を失脚することは、その組織にとって致命的なダメージとなります。

三国志で言えば、蜀軍で、孔明がいなくなったら烏合の衆になるのと同じです。

天命は土地やシステムだけでなく、主に人間に降りてくるので、人間がいなくなったら天の加護がなくなるのです。

ここらへんも含めて、マクロな目で、この条項を考えてみましょう。


生きてるって何?


生物は生存のために群を成します。

基本、他生物は敵ですので、徒党を組んで包囲殲滅するわけです。

人間がマンモスを狩るために集団でヤリを持って戦うのと同じです。

平時と戦時の倫理は逆転するため、この敵対関係の場合は、陰徳と逆のことをしなければいけないことが多いのです。

つまり、自軍に敵対するような脅威は取り除くという思考になりやすいのです。

幸い、人間以上に、知能を持った生物はこの地球上にはいないので、他生物からの有能な人間の排除は、ありません。

しかし、生物、生命のシステムは未だ解明されていません。
命とはなんぞや?
という、子供の質問に、我々は答えられないのです。

生命の定義をどこまで広げればいいのか、現在のパラダイムでは想定できないのです。

AI(人工知能)は生命なのか?
地球(ガイア)は生命なのか?

多神教と一神教の思考回路にも、直結するこの問いは、今後もセンシティブな話題として活発な議論を呼ぶ問いなのです。

そして、問題は、その生命に人間以外の知性があった場合です。

人間からすると下等な生命や、自然にしか見えない存在も、人間が認識していない意識を有しているという可能性です。

例えば、一匹レベルだと、本能のままに動いている生き物も、集団で共有する意識があるのかも知れません。

我々は、日本人ですので、この手のアニミズム的な多神教教義は、馴染みがあります。

森の中でトトロなどに代表される、「人間以外の生命の意識体」が、ある可能性を捨てきれません。
猫や狐ですら、齢を重ねれば、化けるという思想を持っている人種です。
それどころか、神として崇める思考回路もあります。

生物はまだしも無機物(だと我々が認識している)にすら、我々は、生命の存在を投影しています。

土地には土地神が居て、産土神として我々は挨拶(地鎮祭)などをします。
民族の集合体の神や皇祖神や国土神などの、抽象的な存在すら神としての知性の有る生命体を、構築しているのが21世紀の日本人です。

生き物の種としての知性を持つ生命体が、あれば、当然、人間という種への関係性が成立します。

それが、有効なのか敵対なのかは、状況によって変わります。



殺し合いの螺旋


この宇宙船地球号では、みんな仲良くというのが理想ですが、実際は、殺し合いの連鎖です。

一億六千万年前の恐竜たちが、仲良く平和に暮らしていた可能性は限りなく低いでしょう。

恐竜よりも歴史が短い、哺乳類の時代も基本は殺し合いです。

哺乳類の進化版の人間に至っては、殺し合いこそが人生です。

21世紀になってもまだ、日本の隣国と一触即発です。
基本、人間同士、生物同士は分かり合えないと思っていいでしょう。

人間は、意識や体が分割しています。
以前も書いたように、全てが一つだった時(そんなものがあるのか?)では、争いは起こりません。

しかし、全てが満たされた世界では、万物は発生しません。
男と女に分化されていない生物は、あらゆるロマンス物を作り出すことは出来ないでしょう。

あらゆる問題は、この分化した問題に端を発します。

掲示板のヘイトスピーチも、格差問題も、戦争も貧困も飢えも何もかも、分化しているからです。

そして、それゆえに、あらゆる存在やイベントが発生出来ているのです。

アダムとイブが、知恵の実を食べてエデンの楽園から放り出されたのは、善悪すら知らない無垢な生命から、進化させるためです。
何せ、恥すら知らなかった連中です。

世間知らずのニートを家から追い出すのと一緒です。
ぬくぬくと家の中にいるばかりでは成長しないのです。

あの釈迦だった、30歳の王宮ニートだったのを、家を出たのです。
まあ、その後も、出家として他人からお布施を貰っていたので、生涯ニートなのは変わらないのですが・・・。

ただのニートだと世間体は悪いのに、王族や出家者というと、ニートでも高級そうなイメージになります。

ニートの話に脱線してますが、長くなったので続きます。












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