2017年8月16日水曜日

【陰隲録】功過格表131 賄賂のススメ2 十善 いい人を紹介しよう⑧











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功格五十条(善行のプラス50項目)

・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

十善に相当する行為
◯一有徳人を薦引す




ガリガリ君



前回に続き、賄賂の話です。

賄賂は、いい人の推薦先となるのに大変効果的なテクニックです。

しかし、所詮、賄賂などという邪道の方法は、正道の前には敗れ去るのではないか?
という、日本人の民度の高い意見があります。

しかし、これは半分正しくて半分間違っている意見です。
人間の大部分は、賄賂が大好きなのです。

もっと正確に言うと、人間は、自分の快・不快と利害が、善悪の観念と分離出来ていないのです。

自分と言うものを客観的に見れる人間というのは、良く訓練された人間だけなのです。

つまり、人間というのは、自分に得をすることを善と考え、自分に不利なことを悪とする生き物なのです。

これを我利我利亡者と良います。
人間はすべからく我利我利くんなのです。







賄賂が有効な理由もここにあります。

賄賂で便宜を図る人間は、実は、自分が悪いことをしているという自覚に乏しいのです。

なぜならば、自分はいいことをしていると思っているからです。
善人に対して、恩を返すという義の行為をしていると思っているからです。

我々は、幼少時からの教育により、人に迷惑をかけるな、人に親切にしなさいという刷り込みを受けています。

そのため、他人から賄賂を貰うと、それが善行を受けたように錯覚してしまうのです。
つまり、この人は自分に親切にしてくれるいい人だと。

もちろん、まともな人はそんな手にひっかからないのですが、問題は、人類の中で、まともな人は少数だということです。

しかも、そのまともな人ですらも、恩義という鎖に縛られます。

返報性の原理は、今では有名ですが、それだけ強力な心理的要因なのです。

三国志で関羽が曹操の接待攻撃に恩義を感じて、後に曹操を助けてしまうのですが、一宿一飯の恩義と言われるように、たとえ、悪意のある賄賂でも、人から援助されるというのは、相当な心理的な縛りになるのです。


ましてや、まともな人間でない大多数の人間は、賄賂を貰うと、自分のとって快なので、その人を善と認識してしまうのです。

この快・不快、楽・苦のシステムは、前から言っているように、人間の認識の全てを支配します。
およそ、仏教でも苦のテーマが基本にして奥義なのと同じでう。
また、このテーマは詳しくやりましょう。
重要なテーマは何回もやります。





前回にも言いましたが、天に宝を積むという行為も賄賂の一種なのです。

陰徳も然りです。

そうすると、賄賂こそが、陰徳であり、善行なのです。

陰徳は、アフリカ難民にこっそり寄付するような見えない行為ですが、陽徳としての賄賂もやってることは同じです。

陰徳も陽徳も、両方やって陰陽の徳が揃います。

さらに言うと、人間の器の大きさというのは、この徳の量によってきまります。

一家を養う物よりも天下万民を養うことの方が器は大きいのです。
つまり、いかに賄賂の量を大きくするかが、人間の器の如何なのです。

百万円の賄賂を贈るよりも、百億の賄賂を贈る者の方が器は大きいのです。

何千兆円も陽徳陰徳で、世界の恵まれない子供に賄賂を贈るものがいたら、死後、神として崇められるレベルです。

人間、小さなままではいけません。

大志を抱かねばなりません。

少年でなくてもよいのです。
青年でも、中年でも、老年でもいいのです。


世界一、賄賂を贈れるような巨悪になるのです。

このブログでは、泥棒だのネズミ講だの悪党になる道を提示していますが、賄賂も同様です。
億の単位の円では小物なのです。
兆の単位、京の単位で、賄賂をするのです。











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