2018年10月31日水曜日

努力論












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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。





努力不足


皆さんは、自己責任と並ぶ、強者の弱者イジメの代表的なパワーワードである、「努力」という言葉をご存知でしょうか?


まあ、日本人であれば、知らない人はいないと思うので、説明は不要と思いますが、実質、努力という言葉は、強者が弱者に、
「お前が無能なのは環境でも才能でもなく、努力不足だからだ」
と、自己責任でヘイトする際に、使われます。

特に、これがマクロの話になると、新自由主義的なプロパガンダで、
「氷河期世代がフリーターや非正規なのは、努力不足の自己責任」
などと言う、使われ方をして、実際の格差や搾取を正当化してしまうのです。

つまり、弱者に優しくないわけです。
恵まれた人間が、貧困者を見て、努力不足だと罵るのは、美しくありません。
そのため、あまり、このブログでは、努力という言葉を使わずに、むしろ攻撃してきていました。

そもそも、努力などは、カルマの前では、全く無力です。
前世の悪業と善業の結果、今生の状況があります。

生まれた国や家、容姿に才能と言った、まさに先天的なものは、一生を左右しますし、後天的にも、運というのは正に決定的です。

それは、いくら努力しようがどうしようも無い話であり、だからこそ、業というものを重視して開運のために、諸悪莫作衆善奉行と言ってきたわけです。
要するに、陰徳を積んで、業を解消しましょうという話ですね。


ところが、努力というのは、実際は、因果応報の観点から見ても、一応、理屈は立ってしまうのです。

ここらへんは、バラモン教などの、苦行という形ですが、以前も、論考しました。

しかし、強者の理屈になりやすく、ブラック企業や格差がはびこる昨今の風潮から見て、如何なものかと思い、黙っていましたが、まあ、これだけ、さんざん、陰徳や業の差別論などを、やってきたので、そろそろ、努力という密教を開示してもよかろう(大げさ)と思い、努力について論考しましょう。


ということで、次回はその話です。







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