2018年2月11日日曜日

【陰隲録】功過格表179 十善 いい人を紹介しよう56 同じ国に(前世の業で)生まれたの ミラクルロマンス後編











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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)



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その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら



功格五十条(善行のプラス50項目)

・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

十善に相当する行為
◯一有徳人を薦引す





後編です。


国籍選択の不自由



マクロ法人は人間と同じ感じで開運出来るのか?

個々の人間の陰徳(因果応報)を、マクロ組織に応用して考えてみましょう。

陰徳の基本思想を色々と列挙して、考察です。



輪廻転生や前世の存在。


因果応報理論を説く人間は、(豊河含めて)当たり前のように、前世とか因果とか、電波なことを口走ります。
もう21世紀ですよ!?
21世紀。
来世紀にはドラえもんを送る時代ですよ!?

何だよ因果とか、近代以前の無知蒙昧な迷信か?


そもそも、平等であるはずの人間に、本人が知りもしない勝手な歴史捏造をして、現世の不幸を理屈付けしようとするのです。

この朝◯人のような下劣な人種差別思考は、現代の人権社会では到底許せるものではありません。

とは言え、一応、これが真理的な法則の論理の正だと仮定して、マクロ組織に応用してみましょう。

が、マクロ組織である国や企業は法人と言う概念と言えど、前世があるというのは、さすがに、無理があります。

法人の前世というのは想定出来ないため、個人と同じ感覚ではこの理屈は適用できません。

そのため、そのマクロ組織に属する、構成員の前世で代用するしかありません。

※厳密に言えば、明治の王政復古や、ルネッサンスなど、過去の栄光を真似た法人や政策は、プロパガンダとしてはあるので、それを前世としてもいいのかも知れませんが、とりあえず置いておきます。歴史は繰り返すという法則は前世と考えてもいいかも知れません。



わかりやすく言えば、そのマクロ組織に所属するような人間は、前世でそういうカルマを持っているということです。

六道輪廻と同じで、前世の業によって、現世の国や民族や組織に所属するように生まれるということです。



これは、カースト制度と同じ理屈です。
カースト制度は、国内での上下の身分の差を、前世のカルマと位置付けています。

まあ、当たり前の話ですが、普通に、現代の感覚では、アウトな思想なのですが、しかし、そうは言っても、人類の大半は、生まれた場所や身分で過ごしていたのです。

所属している国や民族や村単位の組織や職業ギルドで、大半の人類は、一生を過ごしたことを考えると、現代のように移動自由な時代の方が、つい最近のおかしい話なのです。

現代ですら、国籍や民族や性別や資本身分などは容易に変えられません。

いいか悪いかではなく、厳然として、生まれた場所による差はあるわけです。

平等なはずの現代でも、親の資本や、本人の才能や、努力(という才能)によって、獲得資本の差が存在します。




これらの格差や不平等は、なぜ生じるのか?

公平というものが世の中に存在するならば、それは過去現在未来で帳尻合わせがあるはずです。

特に、善が報われ、悪が裁かれるという公平が存在するならば、前世や来世による帳尻合わせを想定する必要があります。




で、マクロ組織の運命に話を戻すと、属している人たちは、似たような前世のカルマだからこそ、同じ国に生まれたわけです。

全く違うレベルの業でしたら、全然別の国に行っています。
まあ、日本に生まれたというのは、ある程度以上のレベルの善業を持っているということでもあります。

少なくとも、衣食住には最低限保証されています。
※ちなみに、保証されてない方は、役所に行きましょう。
※門前払いされたら、その街の政党事務所やNPOや法律事務所などに泣きつきましょう。
※10箇所くらい巡れば、どれかが助けてくれます。
※誰も助けてくれない民度の地域もあります。


ただし、ある一定以上の聖人は、日本に出ません。
聖人は天国には用は無いからです。
救済対象がいる地獄に用があるからです。

イエスも釈迦も、ろくでもない国に生まれています。
というか、釈迦の本国などは釈迦生存中に滅びています。


で、結果として、構成員の国民や社員の、個々のレベルの業の、総和で、国の運命が決まるわけです。




一般に、国や民族や組織は、歴史的な観点で見ても、因果応報の法則に適合しないような動きを見せますが、所属構成員の前世という考えならば、矛盾をクリアできます。

例えば、モンゴルは、一時期、世界を制覇しました。

彼らの巨大帝国は、中世にも関わらず、今だに世界二位の帝国版図ランキングです。
(一位は大英帝国)



しかし、モンゴル人の過去の歴史を見ても、別に、そんな巨大帝国を築けるような、善業は行っていません。

というより、基本、彼ら北方遊牧(騎馬)民族は、羊を追っているか、追っていない時は、酔っ払っているか、酔っ払ってない時は、南の農耕民族を襲ってるかの、どれかの行動パターンです。
(遊牧民族に対する偏見に満ちたヘイトスピーチ)

普通に、モンゴルの先祖代々の善業悪業を見ても、歴史イベントの興亡を説明出来ないわけです。




あと、米帝様(アメリカ)とかも同様です。

無理やり、因果応報で理屈つけるとすると、近代思想の押し付けが意外と高陰徳ポイントになっているとか、七代先までの運を一代に集める聖天信仰の西洋版(悪魔信仰)とかしているとかの可能性ですが・・・。

アメリカの民主主義の押し付け侵略戦争は、一般に石油強奪くらいのノリで語られますが、案外、高陰徳ポイントなのかも知れません。

なにせ、陰徳システムは、ブラックボックスなので、現象から帰納法的に実験観測するしか無いのです。

まあ、別な機会にもっと深く考察しましょう。



さらに、逆の、悪徳→不幸イベントの因果も同様です。

例えば、ユダヤ人は、紀元前から、ずーっと離散してきて、しかも、紀元後は、ユダヤ教の亜流のキリスト教に迫害されてきたわけです。
つい最近も、有名なところでは、ナチスにボコられています。

が、歴史を見ても、別に、そこまでされるほど、悪業を積んではいません。
(強いて言えば、ヤハウェに逆らうという悪業はしているのですが、それは悪業なのか?ヤハウェが因果を捻じ曲げたのか?)


我々は、因果応報で歴史を見ますが、単純に表の歴史だけ見ても、国の興亡は、当てはまらないことが多いのです。

これは、個人も同じで、現世で不幸にあった人の人生がそれほど、悪業を行ってないのと同じです。

個人の幸福も、物凄い幸福な人も、別に現世だけ見れば、それほどその幸福に匹敵する善業などを行ってはいません。

だからこそ、通常、帳尻合わせのために前世や来世が想定されるわけです。


で、因果応報のもう一つの軸の先祖軸(マクロで言う歴史)を見てみましょう。




先祖万歳万歳万々歳


②先祖代々の積徳


つい、さっき、普通に先祖代々の歴史を見ても、その因果の果報の原因は、歴史上に存在しないので、表に出ない前世を想定しなければならないと言いました。

で、その舌の根も乾かぬうちに、矛盾する論旨を張りますが、個人が成功・失敗するのは、前世の軸の他に、先祖の軸があるのは、昔から言われています。

今は、個人主義の時代ですので、こうした先祖関連は語られません。

開運は、やれ前世の解放だとか天命使命だとか言われます。
要するに、先祖軸から前世軸へとシフトしたわけです。

先祖からの怨念の祟りよりも、僕の地球を守るために、前世の光の戦士であることを思い出して、戦わなければならなくなりました。

今も、なろう小説を起点として、トラックに轢かれて、異世界転生がマルチメディアで大流行です。

先祖軸(子孫も)はもう相手にもされていません。

前世軸(来世も)という個人主義的観点に、霊的供養はシフトしているのです。


が、一昔前までは、開運と言えば、先祖供養でした。

これは、戦後、新興宗教がメディアを使ってプロパガンダした結果です。

実家の田舎の仏壇の代わりに、都市部の大量の上京者をターゲットにして、新興宗教が新しい仏壇を入れさせ、先祖供養を布教させたのです。

新興宗教組織の資本力により、メディアでオカルト番組が宣伝され、霊障や先祖供養は、もう開運の白眉になったのです。



オウム事件まで、この流れは続いていましたが、現代は、先祖供養のブームは光の彼方に過ぎ去り、個人主義的なスピリチュアルのブームになりました。

(と言っても長期不況で、パワスポなどの伝統宗教の神道や仏教が復興してますが)

長期的生命の流れの軸は、先祖軸から前世軸になっているのです。


例えば、このブログは、陰徳がメインですが、陰徳は因果応報を基本としているので、前世や来世の、あくまで個人的レベルの時間軸の話が、ほとんどです。

まあ、豊河が個人主義者であることも理由ですが、これは人間のセグメントを個人主義にまで解体した、グローバリズムの流れの一環でもあります。

地域や国家民族を解体してバラバラの個にして、世界市場の中に組み入れるのが、グローバリズムの基本です。
(今の日本政府の小さな政府化は、その一環です)

ただ、開運で考えると、やはりどうしても、このレトロな先祖軸の考えは、捨てきれません。


元々、積善の家には必ず余慶ありと言われるように、先祖の業が子孫に反映するというのは、古代からの一般的観念です。

今のように、住所や仕事が移動容易な時代と違って、村単位で閉じられた世界では、個人というものは無く、家単位のセグメントで識別されていたからです。


このブログの元の、陰隲録ですら、そういう儒教的発想の元に書かれています。
まあ、民代(日本の戦国時代)の産物なので当たり前なのですが。

しかし、これらは、単に封建時代のプロパガンダなのでしょうか?

現代では、もう廃れた考えかの問題ですが、しかしよくよく見て見ると、今の時代の現実を見ても、金持ちの家は代々金持ちですし、貧乏人の家は代々貧乏人です。

テレビに出るような、貴族皇族の家系図を見ると、一族みんな金持ちや権力者です。

日本の総理大臣は、みんな親戚と言われるのは、そこらへんの現実があるからです。

どう考えても、現代においても、この先祖軸というか家系単位の運・不運の問題はありそうです。


実際、遺伝子の問題で、優秀・非優秀の家系の格差の問題が存在しています。
しかし、先程も先祖問題で、モンゴルやユダヤの例で論じましたが、単純に先祖(歴史)だけを見ても、因果応報には当てはまりません。

厳密に言えば、不幸イベントの方は、陰徳を使い果たしたという観点でなんとか理屈付けられます。

生命に生老病死があるように、民族・国家にも死があるからです。

しかし、繁栄イベントは、正直、マクロの歴史では、陰徳理論では説明出来ないのです。



そもそも、この個人の先祖のカルマも、因果応報と言われると、正直、証明不可能な点があります。

理由は、ほんとに先祖が、善業・悪業をやっているのか確認がとれないからです。

因果応報の事実よりも、因果応報の理論で、勝手に子孫の我々が、先祖が何かやったのだろうと推測しているだけなのです。

先祖供養や先祖の祟りの話でよく言われる、七代先まで祟ってやる!とか、よく言いますが、そのトリガーの時代も、戦国時代とかもう、有名大名でなければ、検証不可能・証明不可能な時代が定番です。

ちなみに、豊河などは、霊能者に見てもらった時、戦国時代どころか、もっと前の、南北朝の時代の先祖の祟りだと、言われたことがあります。

※そもそも、戦国時代とか南北朝とか、七代どころじゃないような気がしますが。

で、この先祖軸は、謎に満ちていて、今の我々、一般人は、先祖のせいで子孫の我々に、因果が来るのは、理不尽極まりないという考えが一般的です。

個人主義の現代人としては、先祖がどうなろうが知ったことではないというのは当然でしょう。

因果応報理論では、自分のやったことは返ってきますが、逆を言えば、自分のやったことでなければ、返ってくる謂れは無いからです。








憑きの光に導かれ何度も巡り合う




で、それを、なんとか因果応報で理屈付けるとするならば、次のようなロジックです。

つまり、前世で行った業にふさわしい場所に転生する。
そして、その業に見合った「家系」「民族」「国家」に、転生する。
ただし、先祖やマクロの業の以外の、前世の個人レベルの業の割合は多いので完全に先祖の業だけではない。

こんな考えで、何とか説明は成り立ちます。
※ぶっちゃけ全く科学的根拠は無いのですが。



要するに、なんか一族総出で運が悪い人が、こりゃおかしいと霊能者に聞いた所、
「数代前の先祖が人を殺していて、その祟りで、子孫の家に障りがある」
となったとしましょう。
(なお、この場合の、霊能者の言っていることが正だと仮定した上での話です)

その子孫の自分としては、自分がやった罪でも無いのに迷惑千万だと思いますが、実はやはり、自己責任の因果応報なのです。

その子孫の人自身が、人を殺した前世の業があるという、理屈です。

自分がやった業があるからこそ、転生先として、
「先祖が人を殺して、その業が子孫に祟っている家系の子孫に生まれる」
という、ややこしい理屈です。


※前世物の話ですと、その加害者と被害者が、赦しと愛を学ぶために、家族で生まれるとか言う、鬼畜設定の話が、良くあります。

まあ、単純に考えれば、その人殺しの先祖というのは、前世の自分とかだと言う、オチということです。

これなら、因果応報理論に適合します。
ただし、先祖や歴史だけの因果だと、完全に、因果応報は適用出来ないのは先に説明しました。
そのため、運命において、ある程度の割合です。
同じ国民や家系でも、個別の運命は相当違いますので。




で、要するに、何が言いたいのかと言うと、先祖供養というのは前世供養でもあるのです。

実際に、前世と先祖が同一人物かどうかはともかく、少なくとも、その祟られる迷惑な家系に生まれたということは、自分のカルマが悪いということでもあります。

で、その迷惑(悪因悪果)を打ち消す一番良い供養は、善業と言う善因善果です。

まともな霊能者や坊主が供養浄霊したとしても、それがなされるのは、子孫の積徳が一定レベルを満たしたからです。

徳が貯まってなかったら普通に、滅ぼされています。


結局、やることは一緒で、陰徳なのです。




これは国家レベルでも同じです。

国家や家系が、構成員全員の集合体である以上、ある程度の人口が開運しないと、国家レベルの開運は無理でしょう。

文化や政策などマクロな範囲で、大量の人間が開運しないと国や家系の運命は、改変できないということです。

民度が低すぎて、慈善は悪だという魔界の住人が大半を占めるような国ですと、陰徳が積めずに、結果、繁栄しなかったり滅びたりしています。

厳密に言えば、国家や民族も、個人と同じで生老病死のサイクルがあり、滅びない国は無いのですが、徳がある国ですと、政体の形を変えて、しぶとく生き残ります。



ヒストリア



こうした、マクロの開運は、結局、大多数の構成員の運勢にひっぱられるため、個人レベルの徳が一番重要になります。

もっと言えば、マクロがどうなろうと、個人の開運さえ成功すればどうでもいいという結論にもなります。

六道輪廻を考えてみればわかるとおり、六道の他の世界に行っても、業が尽きれば、個人個人で別の場所に行くだけです。

そこに転生した場所は、ただの業の結果であって、別に執着を保つ必要は無いからです。

その所属世界の改変は、基本、出来ません。
地獄に生まれたら、とっとと脱出することを考えるべきで、地獄の住人の福利厚生とかは、変更不可能です。

人間は、自分だけしか救えないのです。

(ちなみに、陰徳の対象としては別です。地獄を天国に変えられるのでしたら一番いいのです。マクロな悪政を正せば、その徳は甚大なものになります)


所詮、最後は、自己責任、自業自得(徳)なのです。

今生の自分の所属している環境属性に拘ってはいけません。

例えば、一生懸命、自分の一族とか国家・民族とか人種とかを反映させた人生方針を持っている人がいるとしましょう。

他の一族とか国家・民族とか人種とかを、一生懸命排斥しても、死んで転生してみれば、なぜか、今度は、自分が排斥した側に、生まれ変わるとか、そういう悲しい結果になるのです。

わかりやすく言えば、バリバリにユダヤ人を迫害していたナチス当院が、生まれ変わったら戦時中のユダヤ人になるとかです。

よく陰謀論で出てくる欧米の超金持ちの王族とか財閥とかが、世界征服に成功したとしましょう。

で、せっかく、揺るぎない白人至上主義の、完璧な統制システムを作ったとしても、寿命で死んだら、次に生まれ変わるのは、自分たちが作ったカースト制度下の、有色人種に生まれるとかなのです。

社会システムの政策でよく言われる例で、ケーキを切る人と、選ぶ人は別にしろという、あれです。

まったく、この世界は、諸行無常の一切皆苦の世界なのです。
今の立場(属性に)執着するだけ無駄なのです。

人種、国籍、民族、性別、家系、全ては、ただの因果の結果の構築物であって、本質的な物ではありません。

一時的に、自分が持っているだけなのです。

さらに、あの世に持っていけるのは、因果の徳と業だけなのです。

逆に言えば、今の所属している国家や企業というのは、そのまま自分のカルマの反面教師なのです。

前世のカルマで、その業にふさわしい環境の六道に転生するように、自分のカルマにふさわしい国家や企業や家系に生まれ変わるのです。

ある意味、全ては、本人が望んだ結果なのです。

自分の業がそのまま世界そのものです。

世界の構成物は、全て自分が作ったものです。

唯物論や唯心論の言葉を借りれば、唯業論と言ったところでしょうか?

不幸があったとか、幸運があったとか、そういう特殊イベントだけじゃなくて、今、人間として、この星にいてこの国にいて、この家にいることが自分自身が成した業の結果です。

その意味で、世界は、自分が作っています。

世界は自分中心に回っているのではありません。

世界は自分が回しているのです。

世界は自分を中心とした天動説なのです。

ガリレオは間違っていたのです。

今、このブログを読んでいる皆さんは、世界の支配者なのです。

どんな権力者も英雄も資本家も成し得なかった、究極の世界征服を成し遂げた、世界の支配者なのです。



で、世界は自分の業が作っているという論理は、裏返せば、その環境を分析することで、自分の業がどんなものかは、大体わかります。

個々の運命はバラバラですが、大枠のマクロレベルでは似たり寄ったりだと言うことです。

差別思想のカースト制度みたいでアレなんですが、皆さんが、日本に生まれたということは、少なくとも、アフリカの難民に生まれるほどの悪業をしていなかったということでもあります。




で、何が言いたいかと言うと、所詮、国家や民族や人種や、家や企業や性別や趣味や主義主張や宗教は、いくら執着しても、所詮は、ガワの着脱可能な代物です。

今世で、たまたま外側で着込んでいる着ぐるみなのです。

豊河はバリバリのネトウヨなので、反日死ね朝◯人死ね日本をコケ(クジラとか)にする一神教の白人死ねと、いつも神仏に清らかな祈りを捧げていますが、最終的には生まれの肉体の所属組織は、所詮、魂のガワなのです。


あの世に持てる物は、業だけです。

どうせ、もっていくなら、悪業ではなく善業を、陰徳を持っていきましょう。

ちなみに、じゃあナショナリズム(ローカリズム)は悪で、グローバリズムは善なのかと言うと、現代のグローバリズムはただのグローバル企業の帝国主義なので、善でも何でも無いのがまた微妙なところなのですが・・・。

ちなみに、豊河はこんな個人主義的なことを言っていますが、別の記事では、人間は個人主義ではダメだとか言い出して、国家とかを救う人間になれとか言う可能性もありますので、気にしないで下さい。

で、相変わらず、無駄に記事が長文です。
まあ、短くしろという読者様のコメントも無いので、ま、別にいいか!



3 件のコメント:

  1. 陰隲録私も愛読しております。

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  2. クボカワジュン様

    コメントありがとうございます。管理人の豊河です。

    陰隲録は、現代日本にこそ、必要な古典と思います。
    昔の価値観だとあまりにも功利主義でしたが、今の現代人の思考回路ならば適合するからです。
    開運という入り口から、徳の世界に入る物としては最適かと。

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