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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)
極楽
前回、言い忘れていたのですが、念仏の極楽浄土において、重要な盲点である、極楽に行った後、俺たちどうしてんの?という点を追記します。
というのも、我々は、一般に極楽浄土というと、文字通り、一年中暇なニートの如く、ダラダラと続く夏休みのような、爛れた極楽生活を送っているものとイメージしています。
しかし、よくよく考えてみると、これは情弱にもほどがあります。
自分の労働環境を確認せずに、就労するような物です。
信じた就活先がブラックだったらどうする気なのでしょうか?
信じて極楽浄土に送り出したご先祖様が、アヘ顔ダブルピースになって帰ってきたらどうする気なのでしょうか?
で、具体的な極楽の状況は、阿弥陀経にその極楽生活が記載されていて、行った人は、金銀ギラギラの成金風味の環境で、生活を送ってるようです。
あまり娯楽がなさそうな状況ですが、まあ地獄に行くよりは遥かにマシです。
前回も言ったように、人間何が地獄行きになるトリガーなのかわかりませんので、極楽にゴール出来たら上出来でしょう。
しかし、ここに、盲点があります。
実は、極楽浄土とはゴール地点ではありません。
あまり、一般的には知られて無いのですが、浄土系もやはり仏教なので最終ゴールは解脱です。
しかし、現世ではそういう修行とかは民草は出来ないから、一旦、阿弥陀佛の権力で、極楽浄土に転生して、そこから解脱を目指しますというのが、実は浄土系の教義です。
今で言うと、日本だと最新の学問が出来ないから、アメリカに留学するようなものです。
最新の学問や教授や仲間が揃った最高の環境で勉強するぞということです。
そのため、極楽に行ってものんべんだらりとは出来ません。
上記の阿弥陀経には、次のような学習環境があります。
その時、仏は、長老シャーリプトラに告げて言うには、
「これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。
その仏国土には仏がおり、阿弥陀と号する。
いま、現にましまして真理を説く。
シャーリプトラよ。
かの佛国土をなにがゆえに名づけて極楽となすや。
その国の民衆は、もろもろの苦しみを受けず、ただもろもろの楽しみだけを受ける。
故に、その佛国土を極楽と名づける。
要するに、阿弥陀如来の仏法ブートキャンプなのです。
念仏を唱えていた我々のご先祖様は、今も、ハートマン阿弥陀の元で修行をしているのです。
また、シャーリプトラよ。
かの佛国土は、天の音楽をかなで、黄金が地をなしている。
昼夜六時(一日を昼夜に二分、それぞれをまた三分して、六時となる)に、曼陀羅華を雨降らす。
その国の民衆は、常に清々しい朝に、おのおの花を盛る器をつかって、もろもろの妙華を盛り、他方の十万億の仏を供養し、昼の休息をもって、本国に還到し、ご飯をたべ、座禅の眠気を覚ますためゆきつもどりつする。
シャーリプトラよ。極楽国土には、このようにすぐれた性質の荘厳を成就する。
「本国に還到」とかどこに帰るのかよくわかりませんが、まあ、上座部仏教の修行僧っぽい生活です。
で、教育機関ですが、結構、近代的に自動化しています。
また次に、シャーリプトラよ。
かの国には、常に、種々のめずらしい雑色の鳥がいる。
白鵠(白い鵝鳥)・孔雀・鸚鵡・舎利(鷺?)・妙音鳥(藪鷥に似ている鳥)・共命の鳥(雉子の類?)がそれである。
このもろもろの鳥、昼夜六時に、合唱する。
その声は、
五根(悟りを得るための機根。信根・精進根・念根・定根・慧根)・
五力(信力・信仰、精進力・努力、念力・憶念、定力・禅定、慧力・智慧)・
七菩提分(悟りに役立つ七つ。択法覚支・精進覚支・喜覚支・軽安覚支・捨覚支・定覚支・念覚支)・
八聖道分(=八正道)などのような法を教える。
その土の民衆は、この声を聞き終わって、みな、ことごとく仏を念じて、僧を念じる。
シャーリプトラよ。おまえは、この鳥は、実にこれ、罪報の所生(弱肉強食の世界における畜生)であるということだろうか。
いや、そのように見てはいけない。
それはなぜだろうか。
かの仏国土には、三悪道(地獄・餓鬼・畜生)がない(死者の霊の行く世界がない、餓鬼の境地が存在しない)。
その、仏国土には、三悪道の名は無い。
言うまでも無く、実体は無い。
このもろもろの鳥は、みな、これ、阿弥陀仏の法を説く声を広めようと欲して、仏の不思議な力で作りだされたものである。
シャーリプトラよ。かの仏国土には、微風が吹動して、もろもろの宝行樹および宝で飾られた網は、微妙の声を出す。
たとえば、百千種の楽を同時にかなでるようなものだ。
この声を聞く者は、みな、自然に念仏・念法・念僧の心が生じる。
シャーリプトラよ。かの仏国土には、このようにすぐれた性質の荘厳を成就する。
要するに、極楽浄土には、説話をスピーカーする鳥がいて、そいつらが勝手に、教説を日夜定時に、説いているようなのです。
何となく、阿弥陀如来が、直接教えてくれるのかと思っていましたが、やっぱり口頭だと、莫大な浄土人口をさばくことが出来ないのでしょう。
地球の大学講義も、今は講義室でなく、ブロードキャストで放送する時代です。
阿弥陀如来の説法も同様なのでしょう。
全浄土中の、億万といる元人間(全人類)たちは、定時になると、スピーカー鳥の説法を聞いているのです。
何となくシュールな光景ですが、実は、キリスト教の天国も実は、こんな感じです。
聖書のヨハネの黙示録には、天国の風景が出てきますが、変な生き物が四六時中スピーカーしています。
4:8
この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その翼のまわりも内側も目で満ちていた。
そして、昼も夜も、絶え間なくこう叫びつづけていた、
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者にして主なる神。
昔いまし、今いまし、やがてきたるべき者」。
洋の東西を問わず、天国は似たような物になるのです。
徹底的にハードな修行するぞ
で、極楽浄土という外部と遮断された閉鎖環境の中で、朝晩、説法鳥の洗脳を受けている元念仏信仰者ですが、基本、定時の説法以外は暇なはずです。
※もしかして24時間説法しているのかも知れませんが。
上記した阿弥陀経にも座禅という単語があるので、説法を聞いているだけでなく、修行をしているのです。
しかし、具体的にどんな修行をしているかは、明記されていません。
修行方法が明記されていない以上、どんな修行をやらされるかわかったものではありません。
そして、修行というのはいつの時代でもハードトレーニングの代名詞です。
安楽気楽な修行は修行と呼びません。
ハードだからこそ修行と呼ばれるのです。
この21世紀の日本では、そもそも修行というのは死語になっています。
修行をしているのは、板前か花嫁かオウムくらいです。
本格的な修行は、せいぜい、少年漫画の主人公がやるくらいです。
凡人には縁が無い世界なのです。
修行、それは禁断にして魅惑の黄金郷。
ああ!
魅惑の少年漫画のレベルアップ修行よ!
・大リーグ養成ギブス
・20キロの亀の甲羅を背負ってランニング
・一秒間に10回の呼吸が出来たら十分間息を吸い続けて十分間吐き続ける
・百八の殺人技習得のためカメハメハにボコられる
・荒波に向かってタイガーシュート
まあ、肉体修行は無いとは思いますが(たぶん)、そもそも、座禅と言っても、様々です。
座禅という用語は、禅用語ですが、禅宗ではないので、ここでいう座禅は、瞑想一般の用語と言った方がよいでしょう。
しかし、元々、南無阿弥陀仏(阿弥陀佛に帰依します)とか言わせて来た環境です。
相当な確率で、救い主である、阿弥陀佛を礼賛する瞑想でしょう。
閉鎖環境で、一日中、説法のBGMを聞いて、特定の人物(仏)を礼賛する修行をやらせられる・・・。
どうみても、洗脳です。
本当にありがとうございました。
なんだか、極楽浄土に本当に行っていいのか、疑問が湧いてきましたが、まあ、それでも地獄よりはマシ(たぶん)なのです。
大丈夫です。
阿弥陀仏を信じるのです。
信じるものは救われるのです・・・。
閉鎖空間
ちなみに、何かカルトみたいでやだとか言うご意見もあるでしょうが、実は、この閉鎖空間の修行というのは、仏教の伝統的な方法です。
カルトっぽいのではなくて、カルトが仏教の修行法を真似しているのです。
どんな仏教宗派もやってることは大して変わりがありません。
閉鎖空間で一日中、瞑想しているのです。
その瞑想方法はやり方に差異はあれど、トランス状態に入るのは共通しています。
単純なマントラの繰り返しや運動や座禅など、とにかく、日常の意識を崩壊させて、強度の変性意識状態に陥らせるのが目的です。
東南アジアの上座部仏教だろうが、チベット密教だろうが、日本仏教だろうが、それは変わらないのです。
逆を言えば、そうでなくては、悟りや解脱は出来ないのです。
日常的な行動は変性意識の邪魔なので、どうしても出家して、一日中フルの修行をするしか無いのです。
仏教だろうが、仙道だろうが、ヨガだろうが、西洋魔術だろうが同じです。
ある段階に入ると、こうした集中した環境で修行する段階が必ず存在します。
その出家環境から、戻ってくるかは、その宗教のシステムによります。
禅などは、行った後、戻ってくるのを重視しています(十牛図など)。
ここらへんは、その修行システムというよりは、教義体系によりけりです。
大乗仏教は衆生救済のプライオリティが高いので、戻ってくる宗派が多いのですが。
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