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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
十善に相当する行為
◯一有徳人を薦引す
強くてニューゲーム
素で豊河は忘れていましたが、
①単純な因果応報説
②無意識ネットワーク説
③経験からのトラウマ説
④教育的説
の、
④教育的説
って、論じていませんでした。
今日は、これについて話しましょう。
人生のトラブルや障害に対して、何かしらの「学び」を得るためという視点は、昔から宗教業界ではよく言われています。
それは修行や試練という名で、呼ばれたりしています。
実際にはただの偶然ということなのかも知れませんが、人間は理屈をつけたがる生き物です。
因果応報とか理屈を何とかつけたがるのです。
※恐らく、未知の物に対する生存本能のためだと思われる。
ましてや、宗教は基本、崇拝対象の神仏の全能性を持ちたがるものです。
この人生のイベントを含めて、全ての森羅万象システムのイベントには、何か崇高な御本尊様の意味があるという考えになりやすいのです。
世界そのものの、長期的な目的のシステムが存在するとしたら、それを補完するサブシステムが存在するはずです。
神仏などがその善導者と言えるかも知れません。
少なくとも人間の中には、世界の流れに気づいた者が、後発の者を誘導する傾向があります。
※儒教で先生が優遇されているのはそのためです。
例えば、このブログなどがそうです。
因果応報というシステムがあり、陰徳で開運出来るからやった方が良いですよという誘導的、教育的な行為を行っています。
また、生存技術についても、先に生まれた者は、基本的に後に生まれた者よりは、知識や経験が深いので、指導する立場になります。
年功序列は、現代では崩れていますが、基本的には正しいシステムです。
※実際には才能や環境により年齢差はなくなることもありますが。
しかし、問題は、その教育内容とは何でしょうか?
現世的な教育でしたら、簡単です。
収入を増やすこと、生きることです。
国家単位の教育目的だと、優秀な工員や兵隊をつくることが明治以来の教育システムの伝統です。
これが出来たからこそ、日本は近代化に成功したのです。
また、学校という共同体に子供を放り込む理由は、単純に言って、コミュニケーションを学ばせるためです。
人間は群れで生きる種なので、人間組織での、コミュニケーション能力は必須なのです。
社会に出た時に、会社や市場でコミュニケーションが取れないことは死活問題になります。
大半が農家や自営業だった時代とは違い、近代以降の世界は、軍隊や工場に仕事場が移りました。
戦後は軍隊がなくなりましたが、企業にシフトしただけです。
国民全体がコミュ障だとしたら、上手く経済活動が出来ず、市場が活性化できません。
現在の引きこもりやニートの増大は、元々、コミュニケーションに向いていない一定率の人間も含めて、全員がサービススキルを要求されたからです。
昔だったら、家族以外に誰とも喋らず、自宅と農地(自営業は自分の家)だけを往復していた人間が、無理やり表に出されてたのです。
いつの時代でもコミュ障は存在するので、引きこもりやニートが無くなることは無いでしょう。
話がそれましたが、しかし、そうしたサバイバル能力の教育とは別に、宗教的な意味での世界の目的とは一体、何でしょうか?
基本、修行は、自分自身のレベルアップが目的です。
現実世界では、レベルアップは生存確率が高くなるので、推奨されます。
何も知らない子供から、経験値を蓄えた大人に成長します。
それを補佐するために、家族や学校や仕事場という他者が存在します。
そこで経験値を積んで、社会と価値を交換しながら、レベルアップするのが人間の人生です。
しかし、人間は必ず死にます。
どんなに身体を鍛えても、勉強しても、老人になれば、身体は衰え、頭脳も劣化し痴呆になれば知識もへったくれもありません。
そして、レベルアップも虚しく死んでしまいます。
要するにレベルアップしようが死ねば終わりなのですが、死後の世界という設定を追加することで、このレベルアップ効果が持続されます。
レベルやパラメータやゴールドやレアアイテムや装備品を保持したまま、次の周へ持続出来るという設定です。
要するに、強くてニューゲームを地で行ったのが宗教的世界観です。
天国地獄や、輪廻転生という考えは、この強くてニューゲーム設定の思想を踏襲しています。
つまり、皆さんも、前世以前の経験値を保持したまま、生まれてきているのです。
人間は色々な経験を積み、レベルアップすることによって、フリーザ様のような「完全体宇宙人」を目指しているのです。
そのため、あらゆるトラブルを含めた人生のイベントは学習イベントなのです。
イージーモードやハードモードかの差はありますが、どれも人生経験なのです。
貧困になろうが、NTRれようが、殺されようが全ては経験値なのです。
そして、レベルアップして至高の存在になるのが最終エンディングです。
人生はクソゲーであると同時にロールプレイングゲームなのです。
人は生まれながらに全ての人は、異世界転生者の主人公なのです。
と、言うのが、この教育説の世界観です。
この考えはポジティブ中のポジティブで、世界は無意味だから絶滅しようぜ!という仏教の正反対の教義です。
まあ、輪廻転生を許容するので、差別思想(人間を霊的なランキングしてしまう)に繋がりやすいのですが、どうせ仏教も輪廻論は同じなので、同じです。
これは、要するに、最終ゴールが、神か無かの違いです。
世界を意味のある物にするか無意味にするかの違いと言えます。
現在は、この教育論的世界観が、宗教業界の主流です。
スピリチュアル系は大体、これです。
昔からの輪廻転生論や、修行論にも適合するため、輪廻の中でレベルアップ!という思想は日本人に馴染みやすいのです。
宗教経営的にも、信者の悩み(大体、貧病争)にも、神の弁神論的弁解をせずとも、解答出来ます。
修行だ!とか試練だ!と言えばいいのですから。
しかし、仏教の本来の教義に輪廻転生の解脱して消滅という最終的な段階はどうなの?ということに関しては、曖昧なままです。
もっと言えば、日本は大乗仏教国家なので、輪廻からの消滅という解脱の観念が薄かったのです。
大乗仏教は元々、そこまでラディカルではなく、仏という新し神になって永劫に生きるようなイメージが強い宗教です。
その意味では、我々、日本人は最終段階が無という仏教(インド)系の宗教ではありません。
神道や一神教の延長として仏教を考えています。
で、他にも色々、この教育論的世界観の話があったような気がしますが、豊河が素で忘れているので、思い出しましたら、またこの話を追加講義しましょう。
次回は、浄土についての単発記事を書きます。
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