このブログの全体地図はこちら
はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)
なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
記事下のコメント欄や、メッセージやメールで、お気軽にどうぞ。
その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。
【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら
功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
十善に相当する行為
◯一有徳人を薦引す
推薦してくれない
有徳者を推薦するのは、陰徳です。
しかし、ここにはある程度のフィルターがあります。
有徳者しか推薦の対象にならないことです。
一般に有徳だの器がデカイだのは、2つの意味があります。
人格と能力です。
必ず、両方を取得していることが条件で、片方だけだと、普通は有徳と言われません。
と言うより、もっとぶっちゃけて言うと、一般人が言う有徳というのは、善悪に関係ありません。
きちんと再分配出来る人のことを言います。
もっと言えば、大盤振る舞いしてくれる人です。
能力があって、たくさん稼ぎ、それを配下にちゃんと分配してくれる人のことを有徳者と呼びます。
善人がなけなしの金を寄付しても、有徳者とは言われないのです。
必ず能力(金を稼ぐ能力)が背景にあります。
で、この有徳者を推薦するというのは、当然のことながら、有徳者を排斥するとか、不徳な者を、賄賂を貰って推薦するとかそういう類です。
しかし、ここに、善悪では割り切れない人間の闇があります。
有徳者は勝手に推薦されるから別にどうでも良いのです。
有徳で無い者はどうなるのでしょうか?
誰も推薦してくれません。
ここが問題になります。
不徳非才
信長を本能寺の変で、下克上した明智光秀は、結局、秀吉に瞬殺されました。
敗因は、みんな(外の有力者)ドン引きして、乗ってこなかったからです。
ここの秀吉の中国大返しも兵法で言えば、遁甲を使っていて興味深い事例なのですが、まあそれはそれとして、明智光秀に人徳が全く無く、推薦されなかったというのが、敗因の一つです。
この、みんながノッてくれる人徳というのは、あまり陰徳に関係がありません。
ぶっちゃけ前世の徳如何です。
どうみてもクズやDQNが、人望を集めて大成することがよくあるからです。
漢の高祖の劉邦や、涼宮ハルヒなどがその例です。
人間的に最底辺のクズですが、容姿含めて、みんなが集まってくるのです。
この運は、要するに、人を集める運を持っているのです。
天から、この衆望の運を与えられています。
当然、私利私欲に使うと、後で徴税人に取り立てられますが、要するに人を集めて、天の仕事をする運命なのです。
で、話がそれまくっていますが、別にこういう例はどうでも良いのです。
徳があったり、衆望の才を持っている人間はどうでも良いのです。
天に操られるままに、勝手に世渡りしていきます。
しかし、大部分の人間には関係ありません。
99%以上の人間には無縁の話です。
そして、さらに下には、平凡を通り越して、不徳非才な者が存在しています。
大多数の人間のさらに下にいる真の低層階級です。
本来、陰徳が弱者救済ならば、このどうしようもない存在に対して、慈悲を垂れなければいけません。
真に救済すべきなのは、不徳非才の者です。
この連中を推薦してやらなければならないのです。
悪人正機
上記したように、有徳者やら才能のある人間とかはぶっちゃけどうでも良いのです。
勝手に、たくましく育っていきます。
放置していても全く問題ありません。
彼らはその逆境ですら、糧にして、成長していってしまうのです。
天に使われている人間は試練も多いのですが、それだけ天に愛さられているのです。
要するにほっといても問題ないのです。
強者は放置プレイしても大丈夫なのです。
しかし、弱者はそうはいきません。
不徳非才な者たちは、基本的に、弱者です。
環境という運や、生まれつきの脳の化学的分泌物の配合などにより、不徳非才であることを運命から強いられている存在です。
戦国時代やアフリカの山賊を、我々は、下に見ますが、彼らの環境では、盗賊になるくらいしか道はありません。
※そもそも、国家が盗賊なのですから。
イエスが娼婦や徴税人などの社会的弱者を救済したように、本来、救いが必要なのは、彼ら不徳非才な者たちです。
親鸞でさえも悪人正機を唱えて、当時の愚民をだまくらかして、布教に大成功したのです。
まあ、そんな彼らも、時代が進むと、今度は権威となって、また、別の社会的セグメントの人たちが社会的弱者となる堂々巡りをループするのですが、まあ未来のことはどうでも良いのです。
救えるのは目の前の人だけです。
徳川幕府を築いた、徳川家康は、人の才能を見抜く天才でした。
先程の漢の高祖の劉邦も、部下の韓信にこう言われています。
「陛下は兵を率いることができなくても、将に対して将であることができます(将に将たり)。これは天授のものであって、人力のものではありません」
不徳非才な者も、活用してこそ、初めて陰徳になるのです。
まあ、上記のように言っているとは言え、実際には、社会的弱者を生成しないような社会システムを作るのが一番の陰徳ですので、やはり有徳者を推薦する方が良いのかも知れませんが。
0 件のコメント:
コメントを投稿