2017年9月7日木曜日

【陰隲録】功過格表142 愛の無知 十善 いい人を紹介しよう⑲












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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)



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その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら



功格五十条(善行のプラス50項目)

・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

十善に相当する行為
◯一有徳人を薦引す



演出



何回も言っていますが、推薦するには、推薦される人がいます。

ヒカルの碁で、囲碁は一人では出来ない。二人じゃないと出来ないと言っていますが、それと同じです。

必ず主客の陰陽の関係が生じます。

これを、腐女子業界では受けと攻めと言います。

さて、そうなると、どうやったら、有徳者を出すかという話をしていました。

しかし、実は、言われるまでもなく、推薦されるような人間を出すシステムというのが、世の中にはあるのです。

人間社会は、狩猟社会の時代から、ピラミッド構造の軍隊式のシステムを採用してきました。
そうでなければ、自然環境の中で生き残れなかったからです。

↓過去記事参照。

【陰隲録】功過格表⑪ 対けものフレンズ調査兵団 五十善 家を絶やさないこと。①



現代も同じです。
一族単位や地域単位、国家単位の共同体では、リーダーがどうしても必要です。

たとえそれが、構成員を搾取するリーダーであろうと、頭がいない烏合の衆よりましなのです。

例えば、日本に政府が無かったならば、とっくの昔に日本人は奴隷になっています。

発展途上国が欧米の奴隷に転落したのは、キリスト教を布教されて、内部が分裂して、本隊のキリスト教国家の軍隊に制圧されたからです。

リーダーを作るというのは、ある程度の規模の集合体では必須です。

ソ連崩壊後のロシアで、プーチンが旧KGBの情報力のバックアップの元にカリスマを演出している理由がこれです。

プーチン個人の意思というよりは、KGBの情報を活用するためのカリスマ的リーダーを演出「させられて」いるのです。


帝王学


一般に、この手の、共同体のリーダーを構築する教育システムを「帝王学」と呼びます。

いずれ、王座につくべき存在を、あるべき姿に教育する意思がある環境においてなされます。

この帝王学というのは、その大仰な言葉に比較して、意外とパッとしません。

実際の帝王というのは、広大な領土(今だったら関係企業)を収めるための調整役で苦労人の代名詞です。

あちこち頭を下げて調整し、忍耐を強いられる中間管理職野如き存在です。

一番の有名例は、天皇陛下でしょう。
ブラック企業並の労働環境で、笑顔を絶やさず、日本各地を巡礼しなくてはいけません。

神への生贄という太古からの民俗学の神主のレッテルそのままです。

帝王学でも大抵は、守勢の保持がメインの教えです。

帝王というのは、要するに、創業期の成り上がりの冒険譚の創業者ではなく、二代目以降の、すでに帝国を維持する存在としての生まれついての、管理者としての仕事が要求されます。

帝王学の有名な教科書の貞観政要も、そこらへんを強調した、守勢のための本です。

本当の帝王学は、上記のようなあまりおもしろいものではありません。

一般の人が求める、帝王に成り上がる方法とかは、偉人の伝記でも読んだ方が早いでしょう。




経営者たち


とは言え、もっと実学的な現世的な帝王学もあります。

天皇や帝王のような尊貴の存在ではなく、実際に実務をしなければならない企業トップの相続者などは、実際的な帝王学を学ばされます。

わかりやすく単純に言えば、親の地盤を引き継ぐ二代目社長などです。

まあ、この引き継ぎ教育が上手く行かず、馬鹿なボンボンで潰すパターンも多いのですが。
大抵の一代目社長は、傲慢な成り上がりなので、教育ということが上手く出来ません。

子供を馬鹿に育てるか、それとも反発されて後を継がないかのパターンが多いのです。

それはともかく、帝王学は基本的に親がすることが多いのです。
普通のサラリーマン家庭ならまずないでしょうが、経営者の家庭ならば子供に経営学や金の概念を教え込みます。

雇われる者と雇う者の意識の差は大きく、労働者と経営者、資本家はまるで意識が違います。

世界を見る哲学が、違うのです。
世界には色んな職業がありますが、その中でも労働者と経営者、資本家ほど違うモノはありません。

起業する者の多くは親が自営業や経営者です。
彼らは、大多数の人間が選ぶ、雇われるという選択肢を選びません。
家庭内の帝王学によって、その選択肢を選ばないのです。



経営者スキル


一般に、日本では下積みからオールマイティにタスクを身に着けていく方式が採用されています。
これは、日本の労働環境からの伝統です。

欧米のように業務ごとに採用されているのではなく、属人的に、現場をまわっていくのです。

しかし、身分制の時代があったように、これは、唯一のシステムではありません。

指揮に特化した階級や職業や、経営や管理に特化した地位などは、欧米では珍しくはありません。
例えば、経営者でしたら、業務内容や商品の内容などは知らなくても経営者のスキルがあればこなせるのです。

これは、現代の資本主義社会では、よく見られます。
株主が外部から招聘してきた雇われ経営者という形です。

まあ、善良な類もあれば、悪質な類もあります。
後者ならば、株価を上げることだけを目的に焼き畑農業形式で収奪して短期的な株価増大でボーナスと退職金をゲットするのが目的のパターンもよく見かけます。

小規模な自営業ならば、営業も経理も販売も製造も全て、経営者が、やる必要がありますが、巨大化した組織体では、経営に特化した職位の存在を受け入れる余地があるのです。

これは、人類の人口の増大に伴って誕生した官僚制度の亜種です。
身分も領地もないが、IQが高く能力があり管理スキルだけを持っている官僚が巨大組織を運営するということです。

現在では経営者といえど、株式システムによって、会社は経営者の持ち物ではなく、社長と呼ばれようが所詮は株主の雇われ人です。


先天後天


で、結局のところ、何が言いたいのかというと、人間には、2つの面があります。

私的な面と公的な面です。

ダラダラと書いてきたように、人間は、社会的な立場で、役割として、天命として社会的な仮面を被ります。

後天的なこの面は、天命のようなものです。
自分の意思ではなく、生まれや環境によって決まります。

要するに、後天的と言っても、実質、生まれる前からの先天的な運命なのです。

一般に、開運をテーマにしているこのブログですが、実際のところ、運命を変えるのは相当な至難です。
もっと言えば、不可能であるとも言えます。

しかもややこしいのですが、一般の開運が、例えば逆境や貧困からの立身出世というイメージで語られます。
しかし、それは、はじめから、貧賤から出世するという運命だとも言えます。

秀吉も角栄も、はじめから貧困から天下人になる運命だったということです。

陰騭録の袁了凡も、開運(試験順位くらいは数年でしたが)にはなんだかんだ言って10年単位で、かかっています。

この運命は努力では変えられません。
だからこそ、陰徳の力というチート技、裏技で開運するのです。

死後に天国に行くか地獄に行くかは死ぬ前の善行悪行で決まります。
それと同じ事で一旦、生まれてしまっては、一生の運命は変わらないのです。

それを変えられる方法は、幾つかあり、
・陰徳
・努力
・神仏の助力
・術数
などです。

後者になればなるほど、上位をやらずにやると邪道になります。
理由は、単に因果応報の原則で、借金をするようなものだからです。

正統な理由が無いのに、宝くじにあたると人生が破滅することは多くの実例が示しているとおりです。

また、今まであまり、言っていませんでしたが、陰徳や神仏の助力の土台の上に立脚するという条件で、努力は実は必須条件です。

さんざん批判した努力などの自己責任ですが、実のところを言うと、結構重要です。

陰徳や神仏の補佐は、環境や条件やモチベーションなどを用意してくれますが、最後には努力が物を言います。
同じ環境なら、努力をしたものが勝つのです。

質と量という観点で見ると、陰徳や神仏や、方法(PDCAサイクル的な)は質に値します。
しかし、質がいくら良くても量が無ければ、始まりません。
逆に質が良くなくても物量で押せば勝てる戦もあるのです。

陰徳と神仏の補佐の土台が用意できたら、結局、努力する必要があります。



愛のムチ


まあ、実際には陰徳と神仏が揃えば、努力は勝手に実施されるのですが・・・。

酷いときには神仏がわざと苦境に落として修行させたりします。

神仏は教育ママからハートマン軍曹レベルまで、教育プランのレベルを揃えていますので、時には愛のムチを容赦なく振るうことがよくあります。

しかし、我々、凡人は、神仏の愛のムチを無知にして無智なため、ただのムチに見えるのです。

本当は、ムチなどなくても、努力するのが高いレベルなのですが、凡人は努力しないので、仕方がなく、神仏が愛のムチを振るうのです。

神仏の衆生救済は、言葉通りの美しいイメージではありません。
衆生救済のためなら手段を選ばないのです。

座禅の喝棒の如くに、怠惰や増上慢を愛のムチで打ち砕くという神仏の愛のムチが実際にはあります。

これは、一般受けする話ではないので、あまり言いたくないのですが、開運には必ずからんでくるので、頭の隅に入れておいて下さい。


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