このブログの全体地図はこちら
はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)
なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
記事下のコメント欄や、メッセージやメールで、お気軽にどうぞ。
その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。
【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら
功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
百善に相当する
○人を勧阻し一子を溺らせ一胎を堕さず。
さらに続く堕胎の項。
堕胎編は、四回目です。
何をこんなに堕胎について、書くことがあるのか?
豊河を通して書かせている上位(下位かも)の存在は、何をこんなにシャカリキになっているのか?
まあ、考えてみれば、善行の三つしか無い、百善です。
それだけ重要なのかも知れません。
【リスクの高いガチャ賭博】
ちなみに、今まで、まるで堕胎が悪いとばかりに生命礼賛の意見を書いてきましたが、厳密に言えば、それは「偏見」です。
そもそも、子供が親を選べないのは不幸ですが、それを言うなら親も子供を選べないのです。
基本、人類の時代は子供に人権などありませんでした。
孝行という言葉(水子ビジネスの賽の河原の話をご参照のこと)があるように、基本、親が子供を「育てて下さる」のです。
親の愛や恩は山よりも高く、海よりも深いのです。
自分の老後の保険のため、遺伝子を残すための次世代への投資のためとは言え、子供自体はどう言う子供なのか分かりません。
早い話が、バクチなのです。
今風に言えば、スマフォの有料課金カードガチャなのです。
レアキャラ(有能な子供)カードが出るかどうかは、運任せです。
親は、子供を愛する(自分の老後のためにでもある)ために、教育を注ぎ込み、自分の代よりも上を目指すことを夢見ます。
が、しかし、人間が大半が遺伝で決まるという言葉通り、九割九分が、自分と同じようなレベルの子供しか生まれません。
残りの一パーセントくらいが、親の代よりも上がったり下がったりします。
※底辺の親だと、子供の教育なんてどうでもよいと思う親もいるので、教育を与えるだけマシなのですが。
※ご自身の家が裕福でそんな世界を知らない幸福な方は、「低学歴の壁」でググって下さい。
本来、自分の遺伝子を残し、次世代に繋げる希望の塊である、自分の子供が、残念ながら、不良債権である可能性はゼロではありません。
親の言うことは聞かない。
グレる。
喧嘩する。
勉強はしない。
犯罪はする。
あげくの果てに、家族に暴行を働き、不良→暴走族(斜陽化しているようですが)→ヤクザ→塀の中という、人生裏道街道のエリートコースに立派に進む可能性すらあるのです。
まあ、裏業界で立派に(?)大成功して立身出世して、親に恩返しをするという美談も、世の中にはあるかも知れません。
海外には、腐敗して役に立たない行政機関の代わりに、マフィアが、立派に社会のインフラを担うという美談もあります。
というより、元々、国家政府自体、どの国も発祥自体は地元のヤクザとか、そういうならず者が発祥です。
日本だと、大抵、戦国大名レベルになると、朝廷から官位を貰ったり家系をロンダリングして、由緒正しい血筋でござると家系を捏造するのが基本です。
これは、古代から現代まで変わりません。
逆に言えば、「そのために」皇室は存在していると言っても過言ではありません。
どこの馬の骨だかわからん地元のヤクザが、国を治めていては沽券に関わりますが、由緒正しいやんごとない血筋が、国を治めていることによって、我々、平民は安心立命して、日本国民でいられることに誇りを持つことが出来るのです。
安心立命を与えることが出来るのは、宗教だけではありません。
所詮、真実などは直視に耐えない汚らわしい物です。
為政者は、美しい幻想を我々愚民に見せる能力が古代から必要とされています。
マネーロンダリングも家系ロンダリングも、どちらも頭の良い人間が必要です。
大抵は、宗教機関がそれを担当していました。
日本だと寺社ですね。
識字率が低い昔では、宗教機関はシンクタンクとしての役目も持っていたのです。
さて、また話がずれていますが、不良債権の子供の話です。
まあ、人間は遺伝ですので、同じレベルの子供と親が親子関係なのです。
しかし、そうは言っても、自分を棚に上げて人をヘイトするのが、人間という生き物です。
自分の劣等な遺伝子は棚に上げて、子供に過度な要求をするのです。
その不肖の心根はともかく、彼らからしたら、これでは、何のために高い金を投資して、子育てしたのか意味がありません。
投資は自己責任というのが、資本主義社会の鉄則です。
しかしながら、ここまで長期に渡る投資は、回収しようがありません。
世界一、リスクの高い投資が子供なのです。
さて、そうしたリスクがありながらも、子供を求めるのが親の常です。
しかし、リスクはかくの如しです。
そこで、リスクヘッジの対策をとる必要があります。
【困ったときの神頼み】
まず、親の目標としては、子供が生まれること。
これが、目的です。
何事も、目的がはっきりしていなければ始まりません。
目的をしっかり把握することから、全ては始まるのです。
人によっては、目的さえあれば、もう達成したも同様だとする人も結構います。
それだけ、目的を持つというのは難しいのです。
しかし、今回のケースは目的がはっきりしています。
当然、医学的対処はしているのが前提として、次に頼むのはやはり古今東西の共通で、
「困ったときの神頼み」です。
人間は普段は無神論を気取っていますが、自分が窮地に追い込まれた時には、神に祈るものです。
電車の中で、トイレ(大)の緊急要件が発生した時など、人間が人生で、最も信仰心が高まる瞬間です。
しかし、元々、何事にも完璧はありえません。
子供がほしいという、その願いは例え叶ったとしても、前項で話したとおり、条件無しでただ欲しいだけでは、悲惨なこと(不良債権錬成)になります。
以前、豊河は、ある道教系の術者の組織に、ちょろっといたことがあります。
その時に、横に座ってた話を、盗み聞きしたのが次の話です。
まあ、依頼者が子供が欲しかった夫婦がいたと。
で、術者はそれを術で叶えてしまったと。
普通ならここでめでたしめでたしです。
しかし、その子供、成長すると不良になって、親を殴る蹴るなどの悪業をする立派な失敗作になったそうです。
その術者たちは、その話でゲラゲラ笑って(!)ましたが、話のネタにされた、当人たちにとっては悲劇以外の何者でもありません。
要するに、子供を、ただ産むだけでは、道半ばなのです。
そこから、まともに成長して貰わないと、親としては困るのです。
まあ、とは言え、DV(ドメスティックバイオレンス)の世界では共依存は普通です。
男女の関係と同じで、問題は、「愛があれば見えない」のです。
本人たちが幸せならそれでいいのかも、知れません。
あのソクラテスですら、
「結婚しなさい。伴侶が良妻なら幸せになれるし、悪妻なら哲学者になれる」
という、悲しい自虐ギャグを残しています。
しかし、別に哲学者になったところで、今の時代(いつの時代でも)、大して役に立つスキルではありません。
可能ならば、良妻賢母な伴侶と、賢明孝心な子供を手中に収めたいのが、人類の願いです。
そのため、我々は陰徳を修めるのです。
元々、神仏は、実は大した力を持っていません。
もし、持っているのだとしたら、世界中から戦争と貧困と差別を止めてみやがりやがれ(挑発系)。
今すぐ。
NOW!
大多数の人類は神に祈ったところで、願いは叶わないのです。
余談ですが、以前、伊勢神宮に行った時に、神宮近くのガイドさんが、
「ここでいつも願い事を言っているが叶った事は無い」
と言っていました。
※それでいいのか?伊勢神宮のガイド。
天下無双の伊勢神宮ですら、この始末です。
つまり、大半の神仏は無知無能なのです。
しかも、叶うときは、上記したようなろくでもない結果(子供は生まれたが不良品)になるのです。
何でこんなことが起きるかと言うと、結局、神仏ですら運命には勝てないのです。
生まれ持った運命を越えようとすると、その分、しわ寄せがくるのです。
質量保存の法則は、理科の実験だけ使うのではありません。
天地を貫く万古不易の法則なのです。
では、そうした神仏に、いやがらせ結果無しに、願いをかなえさせるにはどうしたら良いのでしょうか?
その答えは、このブログを読んで来た皆さんには自明の理でしょう。
陰徳です。
そもそも、願いが質量保存の法則するには、単に、功徳が足りないからです。
生まれ持った「幸福になる権利」が少ないからなのです。
そのため、子供が欲しいなどという分不相応な願いを叶えると、その分、質量保存で他の福分が減ってしまうのです。
陰徳さえ備えておけば、こちらから神仏に頼まなくても、向こうから勝手にやってきて叶えてくれます。
それが陰徳の力なのです。
もっと言えば、神仏の食料や餌が恐らく、善意のパワーです。
陰徳でも、慈悲でも感謝でも愛でも、そういった良さげなエネルギーを主食にしているのが、神仏という生き物です。
生物は餌をくれる人間の周りに集まります。
池で餌をばら撒いていれば、鯉が寄ってきますし、公園で餌をばらまいていれば、鳩が集まってきます。
人間社会で金をばら撒いて言れば、(金が尽きるまでは)みんな寄ってきてちやほやしてくれます。
それと同じことです
プラスのエネルギーを放射していれば、神仏が寄ってきます。
しかも、本来、こういう人には神仏などいりません。
こういうエネルギーを放射する人は、基本、幸福ですので、神仏など不要なわけです。
本当に神仏が必要なのは、底辺の人たちなのですが、こういう人たちは逆に、こうしたエネルギーを出しません。
だから、不幸なのですが、どちらにせよ、資本と同じで、持っているものはさらに与えられ、持ってない者はさらに奪われるのです。
このように、世界のシステムは本当に良く出来て「いない」のです。
ますます二極化していくのが世界の実相です。
そして、一度、どちらかのループに嵌ると、ますます抜け出せなくなります。
自転車は初めは力が要りますが、漕ぎ出してスピードが載ると、何もしなくても進んで生きます。
転ぶことも、スピードがつけば逆にリスクが減るのです。
※逆に事故になった時に、被害が大きいということでもありますが。ここらへんは何度かくどくどと指摘しました。
環境と言うのは、人間を支配します。
そもそも、陰徳などという概念すら存在しない場所が、世界にはあるのです。
陰徳どころか、教養を得るという基本的なことすら無い世界が。
別に教養など無くても、人として美しく生きればそれでいいのですが、しかし、生きていくために人を害し、その結果、因果でさらに自分が困り、それを打破するためにまた人をという無限ループですと話は別です。
逆に、人を助けて、その結果、助けられ、そのお礼に・・・というループも存在します。
皆さんには、ぜひこっちのループに入って貰いたいのです。
たとえ、マイナスループだとしても、このブログに辿り着いた人は幸運です。
地道に陰徳を積んでいけば、一年もいりません。半年ぐらいで改善には十分でしょう。
て、まだ話が終わりませんでした。
校長先生の朝礼の長話なのか!?
誰も望んでいないのに、長話をする校長先生なのか?
驚愕の後々々編に続きます。
0 件のコメント:
コメントを投稿