2017年2月26日日曜日

【陰隲録】功過格表⑦ 調整弁を長征鞭というと三国志の武器みたいになる 百善 人を勧阻し一子を溺らせ一胎を堕さず。後編。





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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)


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その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。


【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら







功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く


百善に相当する



○人を勧阻し一子を溺らせ一胎を堕さず。




【プロローグ(いや、別に何も始まりませんけど)】


神国日本復興プロジェクト~少子化対策編~ 1_黄泉の国から愛をこめて


「愛しき我が那勢の命、如此(かく)爲せば、汝が國の人草を一日(ひとひ)に千頭(ちがしら)絞(くび)り殺さん」
爾くして伊邪那岐の命、
「愛しき我が那邇妹の命、汝が然(しか)爲せば、吾は一日に千五百(ちいほ)の産屋(うぶや)を立てん」と詔りき。 
是を以ちて一日に必ず千人(ちたり)死に、一日に必ず千五百人(ちいほたり)生まるるなり。



生まれぬ魂は、黄泉の国からの、死を望む神々の生贄なのか?
生者は、生まれた時から追われる者であり、逃亡者である。
それは、死という猟犬から逃げる人生。

どんなに、聡明な者であろうと、美しい者であろうと、富裕な者であろうと、死は平等に訪れる。

一切の不公平なく平等に。
世界に人は星の数ほどあれど、死から免れる者は1人もいない。
誰もいない。

しかし、それでも人は生き続ける。
無限の、未来への道を行き続ける。
何の意味も無く。

遺伝子を残すというただそれだけのために、一瞬の生を駆け抜ける。
それは、夜空の流星の如く。
それは、祇園精舎の鐘の声。



ポエマーか!?




【収縮する世界】


人間は当たり前のように、セックスをすれば子供が生まれます。
当たり前です。
全動物全て同じです。

そして、他の生物と違うところは、子殺しを含めて出産のコントロールの文化があるところです。

産めよ増やせよ地に満ちよと、絶対神が指令を出したにも関わらず、人間は自制心を持って、集団で人口数の制限をする種族です。

無限増殖することで、全体の死が訪れることを本能で分かっているからでしょう。
ここに、人間種族全体の意思が存在することがわかります。

種族全体だけでなく下位の国家・民族レベルでもその集団の意思は存在しています。
その意思は、全体の意思であり、また個人を含めた意思でもあるため、社会に関心の無い、個人ですら、「無意識」に把握しています。

つまり、子供を産ませ無い、という集団の意思があれば、個人はそれに応じるのです。

堕胎して水子を生産する理由と言うのは、複数あります。
強姦されて孕んだ子供を下ろすときや、彼氏との仲が悪くなった時、知的障害が事前に見つかったときなどいくつもあります。

しかし、これらの理由は、古今東西の、NO1の理由に比べれば、瑣末な誤差程度です。

それは、共同体に、新規加入メンバーに分配する、餌が無い、という理由です。

そもそも、人命を遵守するなら、堕胎は絶滅するはずです。
絶滅しないのは、母体の安全という理由以外の、明確な理由、つまりは、予算(金)が無いからです。

例えば、政府が、
「堕胎するならお金あげるから産んでくれないか?養育費用も全て出す。養育出来なかったら全員、国が買い取る」
となれば、堕胎は止まり、水子は錬成されなくなります。

それをしないのは、単に予算(金)が無いからです。

元々、日本内だけでは、適正人口という概念が、官僚などの実務担当者の内部で、存在していました。
国の土地や資源、需要と供給などから算出される「この国で養える人口」という概念です。
その人口数は、今の人口の半分よりもさらに下です。

彼らが信じるこの概念が、本当に正しいのかどうかは別です。
問題は、それを、彼らが、信じているということにあります。
そのため、実質的に、国民の数を口減らしするという政策の延長上に、今の我々日本人が乗っかっています。

もっと言えば、これは日本だけでなく、世界レベルの話でもあります。
人口を管理しなければ、いずれクラッシュが起きる。

人口が増えるということは、資源を食いつぶす存在が増えるということです。
先進国の生活をしようとすれば、あらゆる資源が枯渇します。

人口のコントロールを、管理しようというのは、責任感のある立場の人間(先行逃げ切りの人種限定)としては当然のことです。

困ったことに同時並行で、資本主義システムのサイクルが来ています。
好景気と大不況のサイクルです。

なぜ資本主義にサイクルがあるのか?
その、理由は簡単です。

資本主義システムが広まれば、労働力の安い地域(国)にどんどん資本投下が集結し、企業間の相互のチキンレースにより、極限までの供給量増加と、賃金の低下を招いていくからです。

わかりやすく言い換えると、欧米からアメリカへ。
そして日本とドイツへ。
中国へ。東南アジアへ。アフリカへ。

安い労働力を求めて、企業は、ひたすら工場を建てる国を移行していきます。
そして、それに拍車をかけるのが、テクノロジーの発達。
具体的に言えば、IT化です。

今まで国内にあった工場と労働者は、いつのまにか海外へ行っているのです。
国内の高い(労働法に煩い)労働者は企業にとって不要の存在です。
張り巡らせられたIT網(インターネット)は、海外の工場でも、リアルタイムに管理できます。

途上国のより安い賃金で、IT化でより少ない人数で、より大量・高品質で安い供給商品が、市場に放たれます。
しかし、国内に仕事が無いということは、単純に賃金が無いため金が無いということです。
どうやって物を買うというのでしょうか?

結婚、車、マイホーム、子育て、学費、老後、貯金・・・。
戦後の当たり前の人間らしい生活が今では、収縮した中流階級と、多少増大した上流階級の特権です。

予算が無くなれば子供は生まれません。
戦後の教育を受けた物ならば、子供を教育の無い底辺に落とす事は忌避するからです。
堕胎するまでもなく、子供を初めから産ませないという現実がここにあります。

現代日本の年間堕胎数は、そうした意味では、控えめな数字です。
本来、経済的に余裕があれば、生まれるはずだった「堕胎しなかった水子」の数を含めれば、それはまさしく、「生まれた人間」に匹敵する「死んだ人間」の数が等価になります。

1000人殺すのならば、1500人産もう。
この、黄泉の国との誓約(契約)が解かれた時、生者と死者の約定が解かれた時、この世はどうなるのか?
それは、今後、我々が生きている間に見られるでしょう。




【姥捨て山、子供バージョン】



元々、口減らしとは文字通り、食が無いからこそ、人を減らした、口の数を減らしたという経緯があります。
基本、いつの世も、「百姓は殺さぬように、生かさぬように(徳川家康)」というのが基本です。

要するに、今で言う、不可分所得、当時は米本位制の時代でしたので、年貢の米の余剰米が無いように調整していました。

当然、普段からギリギリなので、少しでも何かあれば、即アウト。
さらに重い負担で借金に縛られるか、口減らしをするか、一揆で殺されるかの、素敵な三択状態でした。

そのような時代に、労働力としても役に立たなくなった老人を口減らしするのは、ある意味で生存競争です。
現代の、年寄りを優遇して子供を殺す社会と、どちらがいいかと言われれば、目糞が鼻糞を笑う程度の差異なのかも知れませんが。

この口減らしは、基本、前項で見たように、生まれる前から実施するのが、21世紀の最先端の人道的な方法です。
一度生まれてしまったものを、口減らしするのは、赤子であれ老人であれ、後味が悪いものです。

何事も、早期処理が第一なのです。
問題が大きくなる前に早めの処理。
虫歯も、癌も、陰徳も、口減らしも全部同様です。

相手の攻めを華麗に捌いて投げ飛ばせるのは達人だけです。
素人は後の先など出来ないのです。
次善の手でも初めから罠を仕掛けておいての後の先です。
何事も先に仕掛けるのです。

しかし、そうは言っても、繁忙期に人手がいるように、好景気で金があるのに子供を産むなとは政府も言いづらいのです。

せいぜい、不妊薬を日常品に仕込んだり、実在の異性や結婚にネガティブキャンペーンを張るくらいが関の山です。
いずれ、処分する子供と言えども、好景気に大量に産ませるのを防げくことは出来ません。

これは、現代の労働者も同様です。
景気の循環に合わせて、企業を存続させる調整弁が必要です。
労働基準法を無視して、いつでも首が切れる存在。
非正規雇用者が調整弁と言うのは、もはや語りつくされたテーマでもあります。

ちなみに、人間のやることは古今東西変わりません。
江戸時代にも、この非正規雇用者に該当する存在がいます。
農家の次男三男です。

当時は長男が遺産(田畑)を総取りの時代です。
※遺産分割すると数代で食えなくなるから、田分け者(タワケ者!)の語源(厳密には戯け者の掛詞)。
次男三男は、長子に何かあった時のためのバックアップです。

しかし、成人後で相続する年齢になれば、もはや調整弁としては、彼らは不要なのです。
一生、長子(の家族からも)の奴隷で、結婚すら出来ないか、都会に奉公するしかなかったのです。

今も昔も、都会は田舎とは違って文明的であり、また最も、地方からの田舎者が集まるところです。
故郷で成功していれば、都会に来る必要はありません。

都会に上京する時点で、すでに負け組だったのです。
※上流家庭の留学上京などは除く。

都会に奉公に出た人間は、一部の才ある人間は別として流民扱いです。
今と違って、ギルド制の参入障壁の厚い、社会で田舎の農民が、立身出世することは不可能です。

なるとしたら、幼少の頃からの奉公で、才と運があって初めてようやく番頭レベルにはなれます。
一人娘の奉公先ならば、婿入りして主人になることも出来たでしょう。

しかし、いずれにしても、長子相続後に、調整弁として都会に追い出された流民には、縁の無い話です。

これが毎年重なり、江戸は世界でも屈指の人口を誇る大都市になったのです。
その歪な内部システムはそのままで。

江戸時代が終わったのも、単に黒船の来航だけではありません。
一つの社会システムが終わるときは、必ず、外敵や天変地異だけでなく、内部の社会システムが、ガタが来ています。
どんな文明も、所詮、人間が作り上げたものです。
システムが一世紀も経つと相当ガタがきます。

それを、継ぎ接ぎして延滞するか、クラッシュしてやっぱり継ぎ接ぎで創設するかして、人間社会はヨタヨタとアヒル歩きで今日も運営しています。

そして、転びそうになりながら転ばずに、ヨロヨロヨタヨタと、しぶとく延命して、やっぱりその内、転びます。
この時に、没落するか、逆に風雲に乗って上昇するかは、その人次第です。

人間にも、死と転生という決算イベントがあるように、国家にも存在します。
陰徳を重ねているこのブログの皆さんには、前者はもちろん、栄転イベントですが、後者も、もちろん大チャンスです。

本来なら死ぬまで無かった総決算のチャンスが、生前にあるのです。
大いに利用しましょう。
大多数が没落する中、陰徳を重ねた者だけが、抜きん出るのです。

しかも、皮肉なことに、この時はさらに陰徳を積むチャンスなのです。
医者や弁護士や坊主が、人の不幸で飯を食うように、我々陰徳師も、人の不幸が無いと陰徳を積めません。

いつの世も、世界の幸福量は一定です。
誰かが幸福になれば誰かが不幸に成るのです。
誰かが不幸になれば誰かが幸福になるのです。

その意味で、この世は熾烈な生存競争であり、幸福の奪い合いであり、不幸の押し付け合いでもあるのです。

この中で、誰が勝者になるのか?
そもそも、勝者の判定条件とは何か?

凡人が、無明の闇の中で、自己の運と努力のみに頼る中、我々は陰徳というショートカットを使えます。
いわば、裏技のような物です。

勝利者になるための、天の名簿、見えない人事考課に載る話は、本文にもありましたね。
逆デスノートです。
みなさんも、デスノートに載るようにして下さい。

【陰隲録】謙虚中るに利あり⑩ 新世界の神不要論

天の人事考課は、常に勝者になる条件(陰徳)を持った者を精査しています。
それはまるで童謡の如くにです。

勝ってうれしい、はないちもんめ 
負けてくやしい、はないちもんめ 
あの子がほしい 
あの子じゃ分からん 
その子がほしい 
その子じゃ分からん 
相談しましょ 
そうしましょ

人間を、天が選ぶかどうかは陰徳次第です。
天も、膨大な地の人を無条件に助けるわけにはいきません。
天に欲しがられる花一匁は、陰徳の花を持つものだけなのです。

そして、後編と言ったくせに、さらに伸びる、堕胎の項。
後々編に続きます。



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