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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)
なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
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その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。
【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら
功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
百善に相当する
◯人を勧阻し一子を溺らせ一胎を堕さず。
【水子とは何か?】
三つある百善の三番目です。
人の命を助ける。
貞節を守る。
堕胎(水子)をするな。
少子化を促進したいのか、止めたいのか、功過格編集者の政策方針が一環していないのですが、また女性の権利に喧嘩を売っています。
堕胎は止めろとか、
アメリカのキリスト教原理主義者か!?
なぜこうもフェミニストの皆さんに喧嘩を売るのか?
まあ、いいか。
どうせ、明代の中国人ですし・・・。
さて、そんなこんなで、「水子」を無くそう運動です。
昔と違って、今は、医学が進んだため、ぽんぽんと、水子が量産されています。
どうでもいいですけど、我は海の子というと、なんか良さげなイメージですけど、
我は水子(みずのこ)というと、途端に、マイナスイメージが喚起されますね。
元々は、水子の名前は、日本神話の蛭子から来ています。
神様が普通に水子やってるくらいですし、人間がやるのも、むべなるかなです。
日ユ同祖論だと、モーセを葦に入れて河に流した故事に由来するらしいのですが。
後、ノアの大洪水や、洗礼など水にくぐらせる、死と再生の儀式ですね。
要するに、人類の普遍的な共通イメージなのでしょう。
というより、水子の説明自体をしていなかったような気がしますが、要するに、堕胎して生まれなかった子供のことです。
人間はセックスすると、当然、子供が生まれますが、順調に生まれてくる子供ばかりではありません。
生まれる時に、死産したり、生まれても、赤子の時にすぐ死んでしまったり、生まれる前に流産したり、生まれる前に人為的に、堕胎したりと、色々と生まれるには、ハードルがあります。
これらの事情で生まれなかった子供を水子と呼びます。
何しろ、人命ですので、法律的には刑罰にはならないのですが、関係者は、心理的にトラウマになります。
特に、母親のダメージは大きいのです。
そのため、普通に死人と同じく、供養するという観念が生まれます。
ここに、水子商法の生まれる余地があります。
【水子供養商法】
水子商法(供養)は、1970年代と比較的新しい商法です。
新しいイノベーションのためか、このブームに乗れなかった既得権益者から、極めて批判が多く、下種な坊主の金儲け商法と、不当な(?)バッシングを受けています。
何時の世も、新しいことをするには、批判が憑き物なのです。
で、この水子ビジネスの何が問題かと言うと、その理不尽極まる設定です。
中世の頃からの仏教歌謡の、「西院河原地蔵和讃」に、原型がありますが、あの有名な賽の河原の石積みです。
その設定がまあ中世ジャップランド(左翼用語)の世界観が・・・。
つまり、若くして子供が死ぬと、賽の河原に行きます。
成仏出来ない理由は、親より早く死ぬと言う孝行に反したからです。
そこで、延々と、川原の石積みをやるという、意味不明な労働を課せられます。
もうこの時点でツッコミどころ満載なのですが、さらに、子供たちが石積みをしていると、鬼がダッシュでやってきて、缶蹴りみたいに、石積みを蹴っ飛ばすのです。
で、また無限ループを繰り返すのです。
鬼は、一体何をやりたいのか?
この苦役が、孝行と何の関係があるのか?
全く意味不明なのですが、無理やり解釈すれば、要するに親はせっかく生んで育てたのに、それを無駄にするという悪行をやった罰。
石積みはそれをわからせるため、という解釈も出来なくはありませんが・・・。
まあ、そんな具合で、水子になった子供は、児童虐待ワールド行きになります。
しかし、そこで終わってしまっては、話が終わってしまいます。
それを助けてくれるのが、地蔵和讃というだけあって、地蔵菩薩です。
要するにお地蔵様です。
道端で突っ立てるだけの石像にしか見えないお地蔵様ですが、御存知の通り、元々、雪の日に笠の恩返しをしてくれる仏様です。
鬼を蹴散らして、子供たちを助けてくれるのです。
だから、お地蔵様はありがたい存在なのです。
さあ、皆さん、お地蔵様を拝みましょう。
と、ここまでが地蔵和讃の話ですが、水子商法は当然のことながら、ここから商法を開始します。
水子は酷い目にあっています。
だから、供養しましょうと。
このロジックは、まず罪の無い子供が、親不孝で酷い目にあうという設定で、親の同情を引いて、供養させようとする下劣な物であり、これが批判になっています。
宗教は基本、罪や不幸をマッチポンプで作り出し、それを救済することで利益を獲得するビジネスモデルです。
要するに、始めになんらかの不幸が無いと、ビジネスが成り立たないのです。
病人狙いは基本。
この水子供養は、その方式にドンピシャリなので、というかあからさま過ぎて、ツッコミどころが多すぎるのです。
そのため、水子を食い物にする霊感商法と、ボコボコに叩かれるのです。
が、とは言え、水子供養が全くの無駄かと言うと、そうでもありません。
(別に、豊河が水子供養ビジネスを擁護する義理は無いのですが)
水子が賽の河原で鬼に虐待されるという話はともかく、水子や死んだ子供を供養する自体は、別に問題ではありません。
時代によっては、水子レベルだと、別に人間とみなさない(というか現行法でもそう)ので、供養しないどころか、神に帰ったという概念もありますが、
今の人権概念だと、普通に水子だろうが子供だろうが、死んだら普通、供養の対象です。
特に女性は自分の子供を殺してしまったと言う罪悪感があり、それが自縄自縛のループになって、自分の運気を落としてしまうという悪循環があります。
気功的には、自分の腰や子宮に悪い念の気を送ってしまいがちで、それが健康や運気を落とす悪循環の意味もあります。
水子なんてどうでもいいやという意思か、あるいは供養してさっぱりすることで、新しいスタートが出来ることでしょう。
これは、開運から見ても良い方向です。
また、実際に水子の霊が祟るという話もあながち捨て切れません。
単純に、水子供養ビジネスのプロパガンダにも思えますが、何せ、水子と言えど人間です。
供養しても別に悪いことは無いでしょう。
家畜とか小動物でも、殺せば容赦なく、祟るのですから、人間ならば尚更です。
少なくとも、罪悪感による運気の低迷は解消出来ます。
ヤリマンやヤリチンが、水子の霊がべったりという霊能者の話は、良くありますし。
【賽の河原の方がマシな現世という地獄】
ちなみに、出生数は一年間に日本で100万人で、水子は20万人くらいです。
生者の、五人に1人は水子になるのです。
実に、恐ろしい数字です。
一家族に一人くらいは余裕でいるのです
学校のクラス30人に、6人位は水子君がいるのです。
世界は水子でいっぱいなのです。
イッツ・ア・水子ワールドなのです。
精子の段階でも、莫大な数の精子が卵子にたどり着くまでの過酷なレースなのに、生まれる瞬間でも、さらに20パーセントの確率で死ぬのです。
弱肉強食を強いられる過酷な娑婆の生存レースが伺えます。
そもそも、人生そのもの、生命そのものがラットレースなのは今更な話ですが、それが生まれる前、受胎する時ですらこの有様なのです。
本当にこの世は、ろくでもない世界です。
常に他者を、排して殺していかなければ、生きていけないようになっています。
一切皆苦の法則はどこまでも正しいのでしょうか?
釈迦は本当に天才です。
生まれるまでに、億単位、兆単位の精子を排して命を勝ち取り(つまり他の精子を殺す)、生まれた後は、下位の動植物を殺して食いまくり、人間同士で、受験で狭い枠を席取りし合い、会社でポストを奪い合い、市場で奪い合い、国境を奪い合い、資源を奪い合うのです。
ひたすら他者から奪い合い、殺し合い、そうした上で生きているのです。
よく、ご先祖様の命の連鎖で自分があるとか、ご先祖様が生きて子供を生んで育ててくれたからこそ、今の自分があるという、お説教を我々はよく耳にします。
しかし、よくよく考えてみると、ご先祖様の数よりも遥かに莫大な生命の犠牲の上に、我々は立っているわけです。
我は海の子とか、水子(みずのこ)どころではありません。
我は罪の子なのです。
一神教の原罪のような世迷い言の神話ではなく、リアルに他者を大量虐殺してきた先祖代々の由緒正しい罪の子なのです。
先祖というより前世もそうですが。
貴方が食べてきた数の子もタラコもキノコもタケノコもきな粉も、みんなみんな生きていたんです。友達だったのです。
真理と言うのは、別に美しいものでも何でもなく、このように極めて碌でもない代物です。
いつの時代でも、真実は身も蓋も無い物です。
幻想の覆いの無い世界は直視に耐えないのです・
前にも言った様に、だからこそ、世界には美しい物語で糊塗されているのです。
輪廻に我々が嵌っている理由は、こうした真実が見えない(無明)からであり、その結果、快楽と恐怖で縛られています。
飴と鞭を与えるのは、女王様だけではありません。
世界そのものが、我々に飴と鞭を与えて、縛り付ける女王様なのです。
しかし、よく目を開いて女王様を見て見れば(無明からの脱出)、女王様は、厚化粧で皺を隠したBBAなので
す。
※もちろん、これが妙齢の王女様だったら、まだプレイを続けてもいいかもしれませんが。
ちなみに、前回も書いた、地母神信仰と、この話は、微妙にからんでいます。
枢軸宗教は、生命を嫌いますが、その象徴が、母なる地球であり、子宮であり、女性原理そのものです。
つまり、枢軸宗教は、今、豊河が書いたように、世界そのものが女王様だと言う認識なのです。
仏教や一神教の、異様な女性敵視の根源は、ここにあります。
生命や輪廻を絶滅対象にする以上、生命を生む、地球や女性は、殲滅対象なのです。
聖書の黙示録では、ラスボスの1人にバビロンの大淫婦が登場するのはこのためです。
要するに、枢軸宗教は、地球の敵なのです。
その枢軸宗教のキリスト教が、堕胎に賛成するどころか、敵視しているのは、歴史の矛盾でしょう。
本来、彼らは、積極的に、堕胎を奨励しなくてはいけません。
さて、また今回も前後編です。
水子の話は、どこまで拡大するのか?
威風堂々の次回に続く!
※何が威風堂々なのかよくわかりませんが。
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