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豊河も忘れている前回までのおさらい
結局、今まで人間は、勝手に、地球や空間や時間に線引をする生き物ということを見ていきました。
で、それは、自分自身が有限な存在だからという点につきます。
要するに、肉体という有限な存在だからです。
肉体を超えた霊や魂があると言っても、肉体をまとっている以上、情報は有限に固定されます。
そこで、人間は、自分の有限な存在を超える、無限の存在を想定せざるを得ません。
人間の体は生老病死で諸行無常です。
自然も春夏秋冬朝昼晩と諸行無常です。
諸行無常でない無限の常住不変の存在を、人間は欲しているのです。
西洋哲学では、古代ギリシャの時代から、諸行無常の自然と、常住不変の理性の相克が存在しています。
世界は諸行無常なのに、理性は永遠を求めていると。
原子論のデモクリストは、この問題に、一応の解決を提示しました。
原子自体は常住不変ですが、その組み合わせで世界は構築されているので、組み合わせがバラバラになり変化する諸行無常であると。
常住不変と諸行無常を止揚した例と言えます。
しかし、原子論と言う、妥協の産物ではなく、永遠の理想があるという、情念はその後も、プラトンのイデアから一神教の絶対神まで、延々と続いています。
そして、その対極に、仏教の非アートマンの思想があります。
反絶対
前回は永遠側を見ていったので、逆側の反無限側を見てみましょう。
基本的に、我々は、仏教思想の支配下にある日本人(東洋人)ですので、永遠のイデアのようなドグマには否定的です。
諸行無常の精神や、輪廻解脱の精神など、永遠の一神教的概念とは逆の思想背景を持っています。
特に、こうした永遠の存在に、そんなもん幻想だよとケチをつけるのが、知的な覚者であるという価値観を持っています。
オウムなどのカルト宗教の影響でこれはますます強くなっています。
厳密に言えば、なにかを絶対的に信仰する人間に対して、盲目的な幻想だと喝破するということです。
絶対の対象は、信仰の対象であったり、国家であったり、株価でも不動産でも同じです。
世の中には、絶対という無限の永遠の常住不変が存在しないことを、徹底して喝破するのが、本来の仏教です。
釈迦の四法印は、まさにこれです。
諸行無常
諸法無我
一切皆苦
涅槃寂静
徹底的に世の中の絶対概念を否定しつくすのです。
※厳密には、四法印そのものは否定しませんが。
絶対概念を否定し尽くせば、執着を切れます。
世の中に、信用できるものが何一つ無いからです。
それは、ある意味、科学と同じです。
冷徹に事実のみを追求する科学姿勢です。
絶対的な存在というものを信仰しない。
科学者が観察対象を眺めるように、冷徹に観察するだけなのです。
なにかに使えるのか?
しかし、問題は、こっちの立場(絶対を否定する諸行無常)はあんまり現実世界に応用が効かないところです。
科学がこっちの立場だと言えなくもないのですが、科学公式という絶対的な物も否定する立場なので、微妙なところです。
あくまで、反絶対という、絶対的な理念を否定するというネガティブな立場なので、メインにはなりづらいのです。
もっと言えば、仏教というのは本来、現世などどうでも良い出家主義の宗教ですので尚更です。
四法印にしても、世の中を否定するだけですので、せいぜい、絶対的なものを盲信する洗脳の解除くらいにしか使えない。
そのため、どうしても、絶対的な概念を導入した大乗仏教を導入して、世の中への慈悲と救済を理屈付けるしかありません。
だからこそ、中国や日本と言った、国家権力が強い国家が、大乗仏教を採用したのです。
悟りの境地と、社会への慈悲は、結局、矛盾します。
悟りを開けば、社会や他人や現世はどうでもいいからです。
それを、アクロバット的に、現世を救うのは、ある程度の方便が必要です。
上求菩提・下化衆生とは、一回、悟りにまで至っても、そこで止まらずに、下界に降りてきて、大衆を救うという精神です。
もっと言えば、悟りの内容も、小乗仏教と大乗仏教では違います。
世界を否定する小乗仏教の四法印と、大乗仏教の空の理念は、後者は世界を否定しないで許容する方向にシフトしています。
しかし、絶対を求める一神教が、現代文明を生んだことを考えると、逆の仏教が、新しい文明を作れるポテンシャルを秘めているのでは?と思います。
正直、さっぱり見えてきませんが、数世紀単位で、天才が出てくるでしょう(他力本願)。
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