2018年4月26日木曜日

【弁仏論】因果応報論の一大ネックである差別肯定思想について 反論① 業の不可知性 その④












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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。





前回のおさらい



前回のまとめ





因果応報という、バリバリの差別思想を、擁護するための弁仏論を張る豊河。



とりあえず、



①業の不可知性
②業の窃盗自由
③業の空性
④業の無効論




の、4つの反論を、無理くり捻り出す豊河。





1つ目の、

①業の不可知性



が、まだ続きがあります。


弁仏論よりも、こっちの方が重要かも。

要するに、「無明」の話です。



業が見えない。

つまり、我々が、
「自分や他人の業が見えない」
という現実があります。

しかし、そもそも何故見えないのか?

見える見えない以前に、そもそも、業というのは、存在意義すら危ぶまれる存在です。

このブログでは当たり前のように、業の存在を前提にして、話を進めていますが、別に業なんて一ミリたりとも証明されていないのです。
(証明されていたら教えて下さい)



こんなものは、呪いの藁人形レベルの、非科学的な存在なので、そもそも論として、絶えず疑問を呈しておく必要があります。

豊河は宗教的天才(自称)なので、そもそも論として、教義の根本から疑うことが出来ますが、世間の大部分の人間は、そんなことを考えもしません。
(そもそも、因果応報そのものを考察する 変人 人間がほとんどいないだけですが)




業というものを無条件に信じこむことの弊害は、この記事のテーマである差別論で、さんざん今まで言っています。

業、つまり因果応報は、陰徳などの道徳の動機づけのリソースになると同時に、インドのカースト制度やオウムの凶行などのリソースにもなるのです。

善悪の諸刃の刃であるという、認識を持つ必要があります。

もっと言えば、文字通り、刃物と同じです。
所詮、法則ですので、目的でなくて道具なのです。

刃物を料理に使うか、凶器に使うかは別問題です。

しょせん、人間の視点なのです。



相乗効果




で、この全く根拠がない、因果応報といういかがわしい理論だけでも、色々、問題なのに、さらに、輪廻転生というさらにさらに、立証不可能な世界観まで、導入しているのが、仏教(厳密に言えば、インド宗教)です。

ちなみに、世界を支配する一神教は輪廻転生を認めていません。
理由は、上記したように、自己責任の差別論に繋がるからです。
(昔の聖書にはあったが、抹消された説も)


因果応報と輪廻転生という、ダブルのいかがわしい邪説を元に、仏教というものは構成されています。

このブログもまた然りです。



ちなみに、この二つはセットのように語られていますが、別にこの二つの理論はセットである必要はありません。

因果応報があっても、輪廻転生を認める必要は無いし、逆もまた然りです。



例えば、輪廻転生があったとしても、その通底する世界法則は因果応報でない可能性もあるのです。

我々は、日本人なので、漠然と死んだら、閻魔大王とか天の神(キリスト教っぽい)が、生前の善悪で、天国や地獄や来世に振り分けられるようなイメージを持っています。

しかし、これは、因果応報と輪廻転生という、二つの概念が組み合わさった概念です。





正味な話、輪廻転生を司る神(らしき存在)が、いたとして、そいつが、すんごいてきとーに自分の好みで采配している可能性もあるのです。

因果応報は、善悪の基準で運用されている理論ですが、別に、采配基準が、善悪である必要はありません。
例えば、神がサイコロで適当に決めている可能性すらあるのです。

しかも、サイコロは六面体ですので、ちょうど、六道に対応していますし・・・。

それぞれ、天国~地獄まで振ってあるサイコロで、てきとーに、我々の輪廻先を決定している可能性だってあります。




経験値



んな馬鹿な!

と、思われる方も多いでしょうが、別に、これを否定する証拠はありません。

そもそも、因果応報も輪廻転生も、別に確たる証拠があるものではありません。

古代インド人の与太話である可能性だって十分にあるのです。



例えば、近代以降のスピリチュアル系の本を読むと、善悪の因果応報理論ではなく、
「自分自身の経験値を高めるため」
程度の動機で、自分で転生先を決めているシーンが良くあります。

前世で、聖職を何回か繰り返してきたから、そろそろ綺麗事ではなく、悪人の人生を経験してみたいからとか、
そんな超ポジティブな理由で、悪人に転生してきたケースとかです。

こういう因果応報理論に当てはまらないような、話が結構あるのです。

こういう話は、催眠療法だのチャネリングだのと言った、いかがわしい方法をとっていますが、それを言ったら、因果応報だって、インド人といういかがわしさMAXの連中が、薬物だの瞑想だの苦行だの使って、垣間見た世界の法則です。


まあ、このブログでは一応、因果応報と輪廻転生を、デファクト・スタンダードとして、採用した上での、論を張っています。

しかし、世界はご存知の通り、洗脳やプロパガンダに満ちています。

常に、疑いの心を忘れてはいけません。

ぶっちゃけ、インド人の妄言が、たまたまデファクト・スタンダードになっている可能性があります。


今の所、善悪が基準ですが、別の基準である可能性は無いとは言い切れません。

もしかしたら、そもそも善悪の基準すら逆の可能性もあります。

実は、輪廻転生の基準は、悪ほど良い評価をされるシステムの可能性だってあるのです。

善人は、不自由に生きた敗北者くらいの評価だとか、そんな可能性だって十分にあります。

そもそも、善とか悪とか、人間の社会的な常識レベルです。

自然界と同じく、弱肉強食がルールの可能性もあります。

人間にとって、たまたま都合が良いからという理由で、メジャーな話になっているかも知れないのです。


例えば、今の一神教のルーツの一つに、ペルシアの国教だったゾロアスター教があります。

そのゾロアスター教の教義で、天国行きの善行と称されるのは、近親相姦です。


最近親婚
「フヴァエトヴァダタ」も参照

ゾロアスター教では、自分の親、子、兄弟姉妹と交わる最近親婚を「フヴァエトヴァダタ」と呼んで最大の善徳としており、聖典『アヴェスター』のウィーデーウ・ダート(英語版)(除魔の書)などでその教義が説かれる。アケメネス朝時代の伝承を綴った『アルダー・ウィーラーフの書(英語版)』では、ニーシャープールの聖職者ウィーラーフの高徳の中で、最も称賛されるのが七人の姉妹と近親婚を実行したこととされる[4]。また、彼は冥界の旅の中で天国で光り輝く者達を見たが、その中に住まう者として近親婚を行った者の姿があった。反対に、近親婚を破算にした女が地獄で蛇に苛まれている記述があり、その苦痛は永遠に続くという。ゾロアスター教の影響下にあった古代ペルシャでは、王族、僧侶、一般の人々など階級の区別なく親子・兄弟姉妹間の近親婚が行われていた。


古代ペルシアって結構な帝国で、日本人がどんぐり美味ええええ!とか言ってる古代に、超帝国を築いています。
東アジアで言えば、漢帝国とかそういうレベルの超大国です。

ところが、そこの国教がこんなヘンテコな教義だったのです。
で、当時の人は、これを真面目に信じていたわけです。

人間の常識なんて、一ミリたりとも役に立ちません。


で、何が言いたいのかと言うと、業が見えないことの話ですが、相変わらず脱線していて、さらに次回に続きます。








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