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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。
前回のおさらい
前回のまとめ
因果応報という、バリバリの差別思想を、擁護するための弁仏論を張る豊河。
とりあえず、
①業の不可知性
②業の窃盗自由
③業の空性
④業の無効論
の、4つの反論を、無理くり捻り出す豊河。
1つ目の、
①業の不可知性
が、まだ続きがあります。
弁仏論よりも、こっちの方が重要かも。
要するに、「無明」の話です。
業が見えない。
つまり、我々が、
「自分や他人の業が見えない」
という現実があります。
しかし、そもそも何故見えないのか?
見える見えない以前に、そもそも、業というのは、存在意義すら危ぶまれる存在です。
このブログでは当たり前のように、業の存在を前提にして、話を進めていますが、別に業なんて一ミリたりとも証明されていないのです。
(証明されていたら教えて下さい)
こんなものは、呪いの藁人形レベルの、非科学的な存在なので、そもそも論として、絶えず疑問を呈しておく必要があります。
豊河は宗教的天才(自称)なので、そもそも論として、教義の根本から疑うことが出来ますが、世間の大部分の人間は、そんなことを考えもしません。
(そもそも、因果応報そのものを考察する
業というものを無条件に信じこむことの弊害は、この記事のテーマである差別論で、さんざん今まで言っています。
業、つまり因果応報は、陰徳などの道徳の動機づけのリソースになると同時に、インドのカースト制度やオウムの凶行などのリソースにもなるのです。
善悪の諸刃の刃であるという、認識を持つ必要があります。
もっと言えば、文字通り、刃物と同じです。
所詮、法則ですので、目的でなくて道具なのです。
刃物を料理に使うか、凶器に使うかは別問題です。
しょせん、人間の視点なのです。
相乗効果
で、この全く根拠がない、因果応報といういかがわしい理論だけでも、色々、問題なのに、さらに、輪廻転生というさらにさらに、立証不可能な世界観まで、導入しているのが、仏教(厳密に言えば、インド宗教)です。
ちなみに、世界を支配する一神教は輪廻転生を認めていません。
理由は、上記したように、自己責任の差別論に繋がるからです。
(昔の聖書にはあったが、抹消された説も)
因果応報と輪廻転生という、ダブルのいかがわしい邪説を元に、仏教というものは構成されています。
このブログもまた然りです。
ちなみに、この二つはセットのように語られていますが、別にこの二つの理論はセットである必要はありません。
因果応報があっても、輪廻転生を認める必要は無いし、逆もまた然りです。
例えば、輪廻転生があったとしても、その通底する世界法則は因果応報でない可能性もあるのです。
我々は、日本人なので、漠然と死んだら、閻魔大王とか天の神(キリスト教っぽい)が、生前の善悪で、天国や地獄や来世に振り分けられるようなイメージを持っています。
しかし、これは、因果応報と輪廻転生という、二つの概念が組み合わさった概念です。
正味な話、輪廻転生を司る神(らしき存在)が、いたとして、そいつが、すんごいてきとーに自分の好みで采配している可能性もあるのです。
因果応報は、善悪の基準で運用されている理論ですが、別に、采配基準が、善悪である必要はありません。
例えば、神がサイコロで適当に決めている可能性すらあるのです。
しかも、サイコロは六面体ですので、ちょうど、六道に対応していますし・・・。
それぞれ、天国~地獄まで振ってあるサイコロで、てきとーに、我々の輪廻先を決定している可能性だってあります。
経験値
んな馬鹿な!
と、思われる方も多いでしょうが、別に、これを否定する証拠はありません。
そもそも、因果応報も輪廻転生も、別に確たる証拠があるものではありません。
古代インド人の与太話である可能性だって十分にあるのです。
例えば、近代以降のスピリチュアル系の本を読むと、善悪の因果応報理論ではなく、
「自分自身の経験値を高めるため」
程度の動機で、自分で転生先を決めているシーンが良くあります。
前世で、聖職を何回か繰り返してきたから、そろそろ綺麗事ではなく、悪人の人生を経験してみたいからとか、
そんな超ポジティブな理由で、悪人に転生してきたケースとかです。
こういう因果応報理論に当てはまらないような、話が結構あるのです。
こういう話は、催眠療法だのチャネリングだのと言った、いかがわしい方法をとっていますが、それを言ったら、因果応報だって、インド人といういかがわしさMAXの連中が、薬物だの瞑想だの苦行だの使って、垣間見た世界の法則です。
まあ、このブログでは一応、因果応報と輪廻転生を、デファクト・スタンダードとして、採用した上での、論を張っています。
しかし、世界はご存知の通り、洗脳やプロパガンダに満ちています。
常に、疑いの心を忘れてはいけません。
ぶっちゃけ、インド人の妄言が、たまたまデファクト・スタンダードになっている可能性があります。
今の所、善悪が基準ですが、別の基準である可能性は無いとは言い切れません。
もしかしたら、そもそも善悪の基準すら逆の可能性もあります。
実は、輪廻転生の基準は、悪ほど良い評価をされるシステムの可能性だってあるのです。
善人は、不自由に生きた敗北者くらいの評価だとか、そんな可能性だって十分にあります。
そもそも、善とか悪とか、人間の社会的な常識レベルです。
自然界と同じく、弱肉強食がルールの可能性もあります。
人間にとって、たまたま都合が良いからという理由で、メジャーな話になっているかも知れないのです。
例えば、今の一神教のルーツの一つに、ペルシアの国教だったゾロアスター教があります。
そのゾロアスター教の教義で、天国行きの善行と称されるのは、近親相姦です。
最近親婚
「フヴァエトヴァダタ」も参照
ゾロアスター教では、自分の親、子、兄弟姉妹と交わる最近親婚を「フヴァエトヴァダタ」と呼んで最大の善徳としており、聖典『アヴェスター』のウィーデーウ・ダート(英語版)(除魔の書)などでその教義が説かれる。アケメネス朝時代の伝承を綴った『アルダー・ウィーラーフの書(英語版)』では、ニーシャープールの聖職者ウィーラーフの高徳の中で、最も称賛されるのが七人の姉妹と近親婚を実行したこととされる[4]。また、彼は冥界の旅の中で天国で光り輝く者達を見たが、その中に住まう者として近親婚を行った者の姿があった。反対に、近親婚を破算にした女が地獄で蛇に苛まれている記述があり、その苦痛は永遠に続くという。ゾロアスター教の影響下にあった古代ペルシャでは、王族、僧侶、一般の人々など階級の区別なく親子・兄弟姉妹間の近親婚が行われていた。
古代ペルシアって結構な帝国で、日本人がどんぐり美味ええええ!とか言ってる古代に、超帝国を築いています。
東アジアで言えば、漢帝国とかそういうレベルの超大国です。
ところが、そこの国教がこんなヘンテコな教義だったのです。
で、当時の人は、これを真面目に信じていたわけです。
人間の常識なんて、一ミリたりとも役に立ちません。
で、何が言いたいのかと言うと、業が見えないことの話ですが、相変わらず脱線していて、さらに次回に続きます。
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