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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)
なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
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その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。
【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら
功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
十善に相当する行為
◯一有徳人を薦引す
有徳人を薦引すと言うのは、主体が他者から見た陰徳です。
有徳な人を推薦することで、推薦者の陰徳がアップするのです。
しかし、逆を言えば、有徳な人と言うのは、被推薦者に選ばれる条件です。
あくまで被推薦者が、有徳パラメータ度が高かったからこそ、推薦されたのです。
とすると、我々外部の人間の陰徳行動は、被推薦者の有徳によって引き起こされたということになります。
これは、我々の行動は、我々の行動前にすでに決定されていたということになります。
※こちらの有徳者を推薦するという条件もありますが。
あらゆる事象はそれなりの原因があるのです。
これを、因果関係と呼びます。
だから何だという話ですが、一体全体、この事前に決定されていたというのは、どこまで決まっているのでしょうか?
因果関係を遡って行けば、それはどこまでも手繰っていけます。
Aの原因はB、Bの原因はC、Cの原因はDと。
そして、それは、原因が決まっていれば玉突きのように、以後の結果が全て決まっているということでもあります。
原因が結果を生むならば、原因の段階で結果はわかってしまうからです。
現代では、この手の話は、素粒子論やらカオス理論やら持ち出されて、決定論は存在しないという話に落ち着きます。
世界は非決定論的であり、未来はわからない。
人間には運命が無く、自由な存在であると。
※興味がある人はググってみると、いくらでも出てきますので調べて見て下さい。
しかし、科学法則というものは、結構信用性が低いものです。
つい最近まで、光を越える速度は無理と言っていたのに、今では普通に光を超える法則が出てきたり、高血圧は老人の健康に悪いと言われていたのに、今では普通に高血圧の方が老人の健康には良いと言われている始末です。
※光速の高度な物理学と、高血圧の話を一緒くたに科学と定義する豊河。
要するに、単に、
「現代科学がショボくて、万象の決定論を演算出来ないだけじゃねーの?」
という、素朴な感想があります。
そもそも、人間が雑魚過ぎるので計算出来ないだけで、全知全能の神ならば、もちろん計測可能です。
※全知全能の神がいると仮定して。
決定論では、天地初発の一発から全宇宙の消滅までの全てのルートは、完全に決定されています。
人間には計測不可能なだけで、それは完全に完璧に一部の狂いもなく、神の予定表のままなのでしょうか?
近代以降の文明は、人間の自由と自己責任を最大限に持ち上げた時代です。
そのため、人間の自由は犯すべからずの存在に祭り上げられました。
そのため、この決定論は、人気が無いというよりも、邪説として退けられてきました。
個人の自我を嫌う、仏教や日本思想ですら、最近は、この手の決定論を嫌い、自由とかの用語を言い出す始末です。
まあ、大乗仏教の空思想は、因果論に反発する思想ですので、ある意味、それはそれで、間違いではありません。
で、それが一体どうした?だから何だ?そんなもんどうでもいいんじゃね?
という話なのですが。
この、決定論の話は、面倒なことに、自由意志の問題にリンクし、自己責任の話にリンクします。
自己責任の話は、刑法、つまり罪と罰の信賞必罰の話にリンクします。
要するに、善悪や倫理の話に繋がるのです。
このブログは、開運ブログで、陰徳をプッシュしていますが、要するに、陰徳や因果応報の話にリンクしてしまうのです。
結果、微妙に関係があるのです。
要するに、運命改善の開運話をしているのがこのブログです。
運命が完全に決まっているならば、運命改善はありえません。
いくら運命改善をしても意味が無ければ、徒労です。
しかし、実際には、運命が決まっていてもそれを乗り越える実例は存在します。
命運を改造する実例は、多々あるのです。
陰隲録本文では、命運の本場の中国で、袁了凡が高度な命術に算定されている運命を改善しています。
また、実際に華僑だろうが日本人だろうが、今も、陰徳で命運を改善しているのです。
要するに、運命の改善は可能という結果なのです。
こう考えると、決定論というのはあてにならないという結論が出てきます。
やはり人間は自由であり、運命などは存在しないと言う、人間賛歌を高らかに謳い上げられるのです。
が、しかし、さらに考えてみると、この考えにも反論が出てきます。
そもそも、陰徳で命運改善というのは、実は、レアケースなのです。
このブログでは簡単に、陰徳で運命を変えると言っているので、運命の改善を簡単に出来るかのような認識ですが、そもそも、運命を変えるとかは普通は凄く難しいのです。
考えてみて下さい。
皆さんの回りで、運命に立ち向かうとか寝言を言ってる人間がいるでしょうか?
物語の主人公くらいです。
そもそも、運命自体、普段は意識しません。
今の世でも昔でも、陰徳で命運改善なんて、大多数の人間には関係ありません。
陰徳自体やっている人は滅多にいません。
というより、運命は普通は変えられないから運命なのです。
陰徳という裏技を知っている我々は、運命など簡単に更新可能だと知っていますが、世間一般では運命は絶対に変えられないのです。
世界の終末の黙示録の如くの必然なのです。
絶対運命黙示録なのです。
例えば、日本の人口は一億ニ千万人です。
特殊な宗教団体が組織的に陰徳(という名の教団への奉仕)をやらせてたり、道徳的な観点から陰徳をやっている人が、一万人くらいいるとしても、万分の一です。
日本人の中の、0.01%というレアな人たちです。
仮に、百倍の、百万人やっているとしても、1%の人間しかいないのです。
日本人の一%しか、陰徳を積んで命運改善などはしていないのです。
実質的に、大多数の人間は、陰徳なんかしないし、命運改善など出来ないというか意識すらしていない人たちだと思っていいでしょう。
要するに、何が言いたいのかと言うと、皆さんのような運命に打ち勝てる人間は、レアキャラなのです。
大多数の人間は、運命に流されるままに一生を終えるのです。
これは、実際の社会ピラミッドでも同様です。
上位一%のエリート以外は、その他大勢なのです。
学歴でも、高学歴と言われる大学は、一%の人間です。
格差社会論議で有名になったピケティも上位一%の所得が社会の支配層です。
このピラミッド社会においては、上位一%の人間でないと話になりません。
また、輪廻転生的に考えると、やはり皆さんはエリートです。
今の日本人の民度だと、あまり地獄に行く人は多くないでしょうが、天国に行く人も多くはないでしょう。
※もしかしたら、念仏などの特殊な抜け道対策のおかげで、結構な割合で、天国ならぬ極楽浄土に行く日本人は多いのかもしれませんが。
皆さんのような上位一%の陰徳エリートしか、天国に行けないのです。
要するに何が言いたいのかと言うと、
皆さんは、豊河のこのブログに巡り会えたお陰で、上位一%の輪廻のエリートになれたのです(恩着せがましく)。
昔から四恩(国王,父母,師友、神仏)と言いますが、豊河に対するこの海よりも深く、山よりも高い恩を忘れてはいけません
(正月早々、恩着せがましいマウンティング行為)
で、結局、運命というものは、大多数の人間は運命のままに生きています。
それを考えると、やはり運命というものは存在し、決定論的な世界の中で生きているのです。
しかし、また七面倒臭くちゃぶ台返ししますが、陰徳による運命改善というのも、実は、結局、運命と言う代物の範囲内である可能性は、十分にありえます。
どういうことかと言うと、
「陰徳によって運命を改善したということも初めから運命として決まっている」
という、話です。
要するに、森羅万象を絶対的に支配している決定論的な運命(真)があると。
で、それとは別に、我々が認識している運命(偽)があるということです。
我々は、環境や社会や個人の資質を認識し、勝手に、生まれ持った運命という概念を推定しています。
そして、陰徳や他の命運改善法によって、開運して運命に勝った!とはしゃいでいます。
が、その改善した運命というのは、あくまで、運命(偽)であり、完全に決定論的な運命(真)は、初めから我々の開運行動とその結果まで、そう決まっていたということです。
つまり、運命は最初から決まっており、変更できない。
運命を変更しようとして、変更した結果もまた運命だったと。
この、決定論的な話の、可能性は結構高く、反論がなかなか難しいのです。
そもそも、運命自体が測定不可能な代物ですので、それに対する反証もまた、難しいのです。
善悪全ての行為は、因果応報の原則が正しければ、原因と結果が全てだからです。
原因が無いものは存在しない。
そうすると、皆さんが陰徳で運命改善をするというのも、原因があります。
要するに、過去の善業です。
で、その過去の善業はなぜ、発生したかと言うと、これまたさらなる過去の善業の結果です。
無限に過去に遡っていけば、始まりの一点に辿り尽きます。
もしかして、世界の時間軸が、ループしている可能性もありますが、そのループすらも作られたのならば原因があるはずです。
だとすれば、その一点が発生した時点で、今に至るまでの結果は全て決まっているはずです。
全てに原因と結果がある因果関係というものは、突き詰めれば、そういうものです。
もちろん、事象というものは、一つの原因と結果だけではありません。
複数の因果がからんで構成されています。
しかし、それらは全て、原因があります。
この原因と結果は絶対的な物です。
仮に、複数の、原因が無い結果が存在するとしましょう。
善悪がからまない因果がからんで、偶発的に善悪や楽苦の事象が発生したと推測しましょう。
そうすると、その時点で、因果応報の原則は崩壊します。
因果応報は自己責任が主体だからです。
自分の責任外の原因により、応報を受けるとしたら、たまったものではありません。
もちろん、実際の世の中は、自己責任でない吉凶禍福が存在します。
しかし、それは因果応報では、自己責任という法則があるとされます。
因果応報が無いとすると、偶発的に自分に吉凶禍福のイベントが降り掛かってくるという話になります。
このイベントは外部からだけでなく、自分の意識への影響も含めます。
自分の意識は、肉体や環境からのあらゆる影響のもとに構築されています。
それらの影響が全て自己の過去の行為の原因で無いとすると、やはり自由意志というのは存在しないからです。
しかし、さらにややこしいことに、全てが自己責任で、因果応報を発生させているとすると、今度は、やっぱり自由意志が無いというジレンマに陥ってしまいます。
自分の全ての行動が、因果応報で過去に決まっているとなれば、どこの過去の時点でも、それはさらなる過去の原因の結果です。
結果として、自由意志は無いからです。
全ての行動や思考は、過去の因果応報によって決定されているならば、そこに自由意志はありません。
我々は、過去の時点でのプログラミングされた一生を送っていることになります。
さらには、死後の輪廻も全て決まっていることになります。
死後の世界は、当然、現世の善行悪行の因果の結果です。
しかし、その現世の行動は過去の因果の結果だとすれば、最初から選択肢など無いのです。
この世に生まれた時点ですでに全ての行動は決まっています。
善行も悪行も何をやるのかは決まっています。
つまり、死後どういう果報を受けるかも決まっているということです。
そもそも、輪廻から離れる解脱そのものは、運命なのかそうでないのかという話にも繋がります。
で、ここまで読んできた皆さんも、いい加減、ウンザリしてきたと思いますが、豊河でさえ、この話は、考えると頭が痛くなってくるのです。
実は、この手の話は、宗教ではタブーなのです。
理由は、解答が出ないからというより、宗教指導上、まずいからです。
上記したように、大多数の人間にはそもそも運命改善なんて考えません。
一%の宗教的エリートしか、運命改善なんて考えないのです。
で、そのエリートですら、
「良い事やれば運命変わるよ!」
くらいの認識なのです。
豊河は、宗教組織に属していない、いわばフリーの立場なので、こうしてタブーをペラペラ話しています。
が、そもそも、宗教の信者には、知る必要の無い領域の知識なのです。
というより、このブログの中でさえ、本来、語る必要の無い知識です。
陰徳をやって開運しましょうという素朴なスタンスでいいのですから、それを逸脱するような話は、別にしなくて良いのです。
まあ、今こうして、話をしていますが。
で、釈迦はこういう問題には「無記」で答えなかったという話があります。
例えば、上記の、自由意志があろうがなかろうが、実は、釈迦的には、大して違いはないからです。
もともと、仏教は解脱が目的です。
輪廻の輪から抜けることが目的ですので、どうせ抜ける世界のシステムなどどうでも良いというスタンスです。
転職する人は、元の会社のことなどどうでも良いと思うのと一緒です。
そもそも、自由意志があろうがなかろうが、人間の苦しみは変わらないからです。
今、我々、衆生が四苦八苦で苦しんでいるのには、一ミリたりとも役に立ちません。
陰徳をやって運命改善しようという意思が自由意志であろうとなかろうと、やっていることは同じです。
要するに、大事なのは、今ここに、皆さんが、自力では解決出来ない不幸があり、それを運命と認識していて、それを解決するために、陰徳という解決手段を、知り、それを実行して、開運出来るかということです。
さんざん、不要な理屈を書いていてなんですが、
細かいことは気にしてはいけません。
一心不乱の大陰徳で、運命を改善するのです。
某法華経教団が言っていますが、仏法は勝負なのです。
敵は運命です。
人間を支配する運命に打ち勝つのです。
邪な運命という圧制者に、人間が大勝利するのです。
圧制者に打ち勝つことを革命と呼びます。
これこそが、本当の人間革命です。
念仏や題目などという他力本願ではなく、陰徳という御本尊で大勝利するのです。
※いや、別に他力本願を並行してもいいですが。
で、皆さんは自由意志なのかどうかはわかりませんが、今、こうして陰徳による運命改善という秘薬を手に入れました。
あとは、実践するだけです。
で、陰徳は基本、短期的な効果があるかどうかは、業次第です。
(ぶっちゃけ陰徳と運命の量によるとしか・・・即効性を求めるなら神仏ですが、それも陰徳が物を言います)
しかし、10年単位の長期的な運命改善には劇的に役に立つと言えます。
およそ、長期的な未来計画や人生計画は、どうなるかわかりません。
投資運用を熱く語る
順調には行きません。
しかし、陰徳による長期投資は、決して、破綻しません。
陰徳銀行はリーマン・ブラザーズよりも強固な経営基盤を持っているのです。
それはまるでNYダウの如き、右肩上がり・・・!
さあ、皆さんも
決して壊れぬ盗まれぬ天の宝庫。
それが陰徳です。
天変地異が起ころうが、政変があろうが、戦争に負けようが、決して、天に積んだ陰徳は、暴落しません。
無敵に見える米帝様のダウでも、米帝が崩壊すれば、風の前の塵に同じなのです。
しかし、陰徳は、国家や会社や家庭が崩壊しようとも、なくなりません。
絶対安心の無制限ペイオフ制度の金融商品なのです。
金融に利回り(利子)があるように、陰徳にも利子があるのです。
今から十年単位の長期投資をしておけば、通常の投資ですら、老後に、億万長者の億り人になれます。
そして、陰徳の利回りはそれだけではありません。
金融はただ現世的な資本だけですが、陰徳は貧病争の保険と、さらに死後の資本を形成します。
現世で莫大な資本を持っていても、来世には持ち越せません。
輪廻転生の国境の壁を突破できるのは、業だけです。
陰徳や逆の悪業は、異世界転生の壁を越えるのです。
つまり、陰徳さえ積んでおけば、トラックに轢かれても、異世界転生でチート付与で無双ということが、リアルに可能なのです。
陰徳を積まないまま死んでしまうと、万が一、善悪収支決算が赤字だと、エライことになってしまいます。
今年も豊河は、手数料目当てで投資信託を勧誘するメガバンクの窓口のお姉さんの如く、陰徳投資を勧誘していくのです。
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