2018年7月22日日曜日

【弁仏論】因果応報論の一大ネックである差別肯定思想について 反論②業の窃盗自由 その⑦











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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。






前回のまとめ



因果応報という、バリバリの差別思想を、無理やり擁護するための弁仏論を張る豊河。



とりあえず、



①業の不可知性
②業の窃盗自由
③業の空性
④業の無効論



の、4つの反論を「無理くり」捻り出す豊河。
※詭弁レベルで無理やりやってます。


2つ目の、

②業の窃盗自由

前回、こっちはお前に借金している状態なんだから、助けろよ!
お前を助けさせろ!
人助けしろよ!

という、無茶なロジックでインド人を納得しようとしました。

今回も、このロジックを、別方面から、もうちょっと突っ込んで見ましょう。




そもそも、無意識は全部、繋がっているから結局、我々は一つの大きな同じ生物である。という意見。

ここらへんは、みんなみんなともだちなんだ、この美しい宇宙船地球号という話で、よく言われます。

みんな一つの生命だったならば、善業をためらう必要はありません。全部自分なんですから。

つまり、業を盗まれただの、盗んだの意味が無いのです。
タイムラグがあるだけで、業は全部、自分に返ってきます。
他人の善業だろうが関係ありません。

仏教の慈悲は慈悲喜捨という4つのセグメントがあります。
三番目の喜は、他人が喜ぶのを自分のように喜ぶことです。

他人が善業をしたのを喜ぶという気持ちが大事ではないでしょうか?

要するに、
インド人の福分を盗んで助けてしまっても、それは、インド人が損するわけでも、助けた我々が得するわけでもありません。

全体では、同じことなのです。

般若心経にあるように、不増不減、不生不滅なのです。
減りもしないし、増えもしないのです。

全体としては、大して変わらないのです。





さて、因果応報では、与えた者は与えられます。
逆もまた然りです。

だとすると、インド人側にとっては、助けられはしましたが、
相手(つまり助けた我々)に、
「福分の陰徳を稼がせてやったという陰徳」は、
確実に存在しているはずです(たぶん)。

よく、東南アジアの上座部仏教の坊主が、布施されても、頭を下げないのですが、
理由は、
「尊い僧侶の俺様に布施することによって、お前は功徳が膨大である。ありがたく思え」
という、傲慢思考です。

それと同じですね。

さらに言えば、
インド人を助けることによって、彼の福分は減って、こっちの陰徳の福分は増えます。
これを以て、インド人は文句を言うのですが、しかし、同時にこれは、こちらにとって、別の善業でもあります。

インド人を縛っていたカースト制度側の悪業を止めるという善業です。

カースト制度は実際に誰がという個別的な悪の対象は無いのですが、少なくとも、現行で、救済対象のインド人を虐めていた上カーストの悪業を止められます。

これによって、加害者の悪業のカルマの増大を止められるのです。

ほっといたら、下位カーストへの悪業によって、マイナスカルマを積んでいた行為を止められるのです。

これが、善業でなくて何なのでしょうか?

別に、カースト制度じゃなくても、何だって同じです。
因果応報理論を知っている小賢しい相手が、
「助けるんじゃねえ!俺の福分が減るだろうが!」
と言っても、気にしてはいけません。



つまり、助けることは、彼の本来、苦で浄化されるべきカルマを邪魔しているかもしれませんが、加害者側のカルマを止めたことで、善業を積んだのです。

兵法の孫子でも、一番の兵法は事前に勝利することだとしています。
未だ、発せざる悪業を止めるということが、一番なのです。


このように、救済対象のインド人の犠牲はあれど、加害者側のインド人を助けてしまうことになるので、遠慮なく、他人を助けて、陰徳を積んで良いのです。

だんだん、屁理屈っぽくなってきましたが、無理やり、因果応報を合理化しようとする豊河の苦労を察して下さい。





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