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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。
前回のまとめ
因果応報という、バリバリの差別思想を、無理やり擁護するための弁仏論を張る豊河。
とりあえず、
①業の不可知性
②業の窃盗自由
③業の空性
④業の無効論
の、4つの反論を「無理くり」捻り出す豊河。
※詭弁レベルで無理やりやってます。
2つ目の、
②業の窃盗自由
が開始しています。
世界は一つ
前回で、めんどくさいことに、業は他人であるという、
内向的人間には、めんどくさい説が出ていました。
人間は一人で生きられないとか、人という字は、支え合って生きているとかのお説教の類ですが、ひきこもりの人にはまさに地獄です。
しかし、事実ですのでどうしようもありません。
囲碁も将棋も一人では出来ないのと同時に、業も一人では成立しません。
他人から害されたとしたら、他人を害したカルマがあるということなのです。
これは、このブログで散々、言っていた因果応報の理論ですが、これを、突き詰めれば、自分と他人の区別は無いという結論に達します。
どういうことかと言うと、他人を害したら自分が害されるということは、結局、自分自身を害しているのと同じだからです。
タイムラグがあるだけで、他人イコール自分という等式になります。
害の反対の利益についても同様です。
タイムラグがあるだけで、他人に利益を与えたら自分に利益が返ってくるので、結局、同じことなのです。
これは、自他の区別が業の世界では、無いということです。
よく、
「潜在意識では、自分や他人という概念が無い」
ので、
「呪いの言葉は、自分を害するのと同じ」
ということが、自己啓発的な成功法で、よく言われます。
恐らく、集合無意識の奥深くでは、自他の区別や民族や種や生命全体が、ごった煮のスープみたいにカオスに混じり合っているのでしょう。
さて、そんな感じで、他人と共有している我々ですが、
だから、それがどうしたという話になりるのです、
ここで、このテーマの、②業の窃盗自由の話に関わってきます。
インド人たちの、他人を助けるのは、本人のカルマの浄化のためにならない。
ましてや、カーストを否定することは、カルマの浄化を否定することであり、因果応報に反することである。
他人を助けることで、助けた側は陰徳を積めていいかもしれないが、助けられた側は、カルマをその分、浄化できなかった。
あまつさえ、助けられたことで、徳のストックが消えてしまった。
余計なお世話であり、徳分の強奪だ!
という土人的ロジックを、否定出来ます。
業の泥棒行為・窃盗は自由なのです。
さて、次回はさらにこのロジックを具体的に詰めてみましょう。
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