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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。
前回のまとめ
因果応報という、バリバリの差別思想を、無理やり擁護するための弁仏論を張る豊河。
とりあえず、
①業の不可知性
②業の窃盗自由
③業の空性
④業の無効論
の、4つの反論を「無理くり」捻り出す豊河。
※詭弁レベルで無理やりやってます。
2つ目の、
②業の窃盗自由
前回までは、業や無意識は他人と繋がっているというか、一体であるため、インド人を助けるという嫌がらせも合理化できます。
お前はすでに助けられている
前回以前から、業(無意識)は自他の区別が無いと書いています。
ここを、さらに突き詰めていくと、本題の「別に他人を助けてもいいじゃん」ということの補強になります。
そもそも、これ言っちゃうと、陰徳とかの開運的な意味が消失するのですが、
元々、人間には自由意志はありません。
全部、業によって、決定させられています。
貴方が道端で転んで怪我するのも、電車でスリにあうのも全部、業で過去からの因縁で決まっていたことなのです。
カースト制度大好きのインド人の、
「勝手に助けんなよ!苦で業の浄化してるのに邪魔すんな!お前に助けられたら俺の徳分カルマが減るだろうが!泥棒!」
という論理は実は虚妄なのです。
インド人が我々に助けられるのも、カルマなのです。
いくらインド人が嫌だと言っても、徳分を泥棒されるのは、カルマなのです。
これが、本当の、自業自得のカルマです。
つまり、インド人は我々に助けられて、徳分が我々に盗まれるのも、生まれる前から、初めから決まっていたのです。
遥かな無始無終の輪廻の中で、インド人が
悪行を為したカルマにより、我々に、徳分カルマを盗まれることで、悪業を浄化しているのです。
これも、運命です。
アッラーアクバルなのです。
大人しくしろ!無駄な抵抗はやめて、我々の救済を受けるのだ!
ということで、次回に続きます。
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