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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)
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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。
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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
十善に相当する行為
◯一有徳人を薦引す
方向性
世界の方向性と言っても、正直、これだ!というものがわるわけではありません。
所詮、あの世と同じで、証明不可能なことを、論じているだけなのです。
あの世があるかどうかは、証明不可能です。
だからこそ、いくらでも、説法者は空手形を切れます。
慈悲深い人間は、死ぬのは怖くないですよと説き、恐怖を和らげますし、狡猾な人間は、うちに寄付すれば死後は救われますよと言うのです。
あの世という実在の無い存在は利用可能です。
ブラックボックス、null(ヌル)を利用するのは人類の叡智です。
老子は無の効用を説きましたが、存在しないあの世空間を、上手に飯の種に使っているのが宗教です。
では、結局、世界の方向性とは何でしょうか?
前回まで見てきたように、大きく分けて、3つあります。
一つ目は唯物論で、世界には特に目的が無く、機械主義的に、万物は稼働しています。
実存哲学の如く、何が価値があるかは、デフォルトの自然状態では存在しません。
価値は、自分で決めるか市場(弱肉強食)が決めるのです。
二つ目は、仏教(インド系哲学)です。
輪廻転生は苦の世界であり、たとえ天界であっても同じです。
集中した環境で瞑想して、一切を捨てて、輪廻からエスケープして消滅するのが吉。
という考えです。
三つ目は、大部分の宗教です。
神に近づき進化するために、世界は存在しています。
この世は修行場で、全ては、自分を経験値をアップさせるために存在しています。
アンダーグラウンドのサービス
基本的に、現代人は1の思想です。
で、宗教に入ると、2と3の説に、大抵の世界目的説は別れます。
まあ、2の仏教と言っても、大乗仏教は在家のための宗教でうし、一神教からの影響もあるので、3の観念も多いのです。
例えば、元々の仏教では仏は悟りを開いて解脱した存在です。
輪廻の輪からもう離れて消滅しているか、まだ生きてるけど、死後は消滅する存在です。
しかし、大乗仏教になると、仏(如来)の下に、菩薩、明王、天部と、仏の階層ランキングを作って、拝む対象を増大しています。
※基本、他の宗教(インドのヒンドゥー教や一神教)からパクってきた尊格です。
その中でも、菩薩の概念があります。
本来なら、悟りを開いて解脱出来る存在なのに、衆生救済のために、輪廻の中に存在しているという奇特な生き物です。
願いは、衆生救済という、本願です。
世界中どころか、全宇宙の六道輪廻の全ての生命を救い尽くすという外交的な目的を持っています。
例えば、観音菩薩は、救うために、あらゆる存在に化けることが出来ます。
六道輪廻ごとに六種類の担当観音がいて、担当範囲の六道で救済活動をするのです。
例えば、Sな人にはM奴隷に変身して救いに誘導し、Mな人にはS女王様に変身して救いに誘導するのです。
黒髪ロングの女子高生じゃないと嫌だという人には、黒髪ロングの女子高生の姿で現れ、のじゃロリババアじゃないと嫌だという人には、のじゃロリババアの姿で現れます。
さらに、同じ姿でも、関係性は様々ですので十一面観音がいます。
叱ったりすかしたりなだめたり色々顔を変えるのです。
さらに、救済手法も、個人個人で違います。
視点や手法も、千の方法と技術を使わないと救済できません。
千手千眼観音の出番です。
要するに、観音菩薩は、何でも出来るスーパーマンになる必要があります。
千人いて千人の個別の問題を解決しなければいけないのです。
眠れない夜に、この身を苛む煩悩があり、
焦燥感に耐えられないなら、
観音菩薩のサービスを呼ぶのです。
どんなときも万全に応えられるのです。
その名は観音菩薩。
で、この奇特なボランティアをやっている観音を含めた菩薩ですが、人類(を含めた衆生)救済という、目的があるわけです。
この目的のために、ガンガン進化していくのです。
これが、世界の目的かどうかはわかりませんが、少なくとも、進化の目的性というのが、大乗仏教にはあるのです。
ちなみに、この観音菩薩。
以前にも言ったとおり、自分が救うだけでなく、他人もこのボランティア活動に参加して救う側になって欲しいという、お節介を強制します。
まあ、観音菩薩だけでなく、仏は全部そうなのですが。
たぶん、大乗仏教の仏は、先にも言ったとおり、他宗教の尊格をパクったものなので、どうも大乗仏教の仏は、仏教の皮を被った別宗教の神様なのだと豊河はにらんでいます。
※実際に、他宗教出身の仏がほとんどなのですが。
本来の仏教でしたら、とっとと解脱して消滅するのが筋です。
大乗の仏たちの発想が、どうも一神教臭いのです。
とは言え、それでも、大乗仏教の共通概念として、最終的には、全部スコンと抜けた空の境地が根底にあるよというのは、さすがに、共通しています。
観音菩薩ですら、般若心経の教主(観自在菩薩)なのですから、何だかんだ言いながら、衆生救済というのは、方便なのかも知れません。
ここらへんは、般若心経コンテンツ(いつになるやら)で、そのうち詳しくやりましょう。
達人は保護されている
で、世界の目的性ですが、最終的に完全体になるという説には、様々な説がありますが、何か、能力的、人格的に完全体になるというのは、共通しています。
先の観音菩薩の例だと、全人類を救済出来るような存在になるということですね。
他にも、よくあるのは、完全な愛を完成させるぞの説ですね。
どんな環境や仕打ちを受けても、全てを愛せるアガペーになるのが目的という説です。
キリスト教的な考えと、心理学のカウンセリング(トラウマなど)から出てきた説です。
人生色々辛かったけど、でもそれは赦しの愛を学ぶためだったんだよと、ポジティブ(?)に枠を変える(リフレーミング)セッションです。
日本人はキリスト教観念がイマイチ理解出来ないので、愛説よりは、修行説の方が普及している感じはします。
まあ、現実世界でもそうですが、厳しい修行をしないと一人前になれないという観念は、日本人には当たり前ですので、修行説はよく語られます。
まあ、上記に、共通しているのは完全性です。
何でも出来るようになるし、何でも解決出来る。
何でも経験してきたし、何でも理解出来る。
こんな完全体です。
それは、完成された存在へのオマージュであり憧憬です。
西洋だと絶対神のイメージですし、日本だと神仏のイメージです。
日本人的な仏教の概念ですと、空とかの物事に執着しない観念とリンクしています。
禅や剣聖の境地みたいな、何事にも執着しない境地ですね。
世の中のどんな状態にも対応出来る、身心脱落の境地です。
これは、武士階級と禅宗が相性が良かったため普及し、このようなイメージが日本人にはお馴染みのイメージです。
剣豪フィクションとか、昨今の漫画やアニメやゲームやラノベなどでも、「達人」のイメージで、お馴染みです。
色々なパターン
近代以降だと、ユング心理学が、この手の話の元ネタの一つになっています。
セルフ(自己)という完全体が集合無意識にある。
普遍的な人類の集合無意識のパターンの元型などと通して、人間はより完全体を目指して成長していきます。
その際に、一つの立場を固執しすぎると、抑圧された可能性が無意識に抑え込まれてシャドウ(影)や、異性のイメージのアニマ・アニムスとなる。
シャドウたちは、無意識の悲鳴ですので、外側の実在の人物や環境などに投影して、本人にトラブルを与えます。
それに気づいて、受け入れることで、トラブルの元であったシャドウはなくなり、さらに成長すると。
例えば、四角四面の堅物がいたとして、一切の柔軟な思考が出来ない人がいるとしましょう。
そうすると、シャドウには、抑え込まれた可能性である、柔軟な思考がなります。
夢や現実世界の妨害として、このシャドウが自己主張するのです。
実際には、軟弱な日和見主義者や信念のない人間に迷惑をかけられるかもしれません。
その場合は、自分がもう一つの可能性である柔軟な思考というシャドウを受け入れて、自分に統合するのです。
そうすると、自分がまた一つ、完全体になります。
今までわからなかったことが、わかるようになり、脳のシナプスの領域が拡大します。
今まで、5%だった脳の領域が10%に上がります。
こういうユング心理学は世界の目的論説として、示唆に富みます。
ただし、ユングのシャドウ論は、自分の反対側の性格が妨害されてくるというパターンです。
が、私が見る限り、シャドウというより、単に、自分の欠点が外面に出るというパターンの方が多いような気がします。
因果応報や教育論的な説を採用すると、こっちの方がメインかなとは思います。
例えば、前世で、貧乏人を馬鹿にした金持ちが、今世、貧乏人になって苦しみ、反省するとか。
まあ、色々と、列挙しましたが、ここらへんは、またまとめましょう。
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