2017年11月14日火曜日

【陰隲録】功過格表165 神は魚を正しくさばく 十善 いい人を紹介しよう㊷










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はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)



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その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

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功格五十条(善行のプラス50項目)

・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

十善に相当する行為
◯一有徳人を薦引す



調整者


そもそも、何で神仏の強制修行の話をしているのかと言うと、人生の障害の対策の話からです。

もう、功過格の
◯一有徳人を薦引す
と一ミリたりとも関係無い話なのですが、まあ、豊河はてきとうに書いているので、気にしないでください。
※最低限の体裁すら投げ捨て。

で、因果律を利用して開運というのが、陰徳を利用したこのブログの開運方法です。

サブにパワスポ、つまり神仏の力を利用するという方式です。
あとは、術数ですね。

ところが、因果応報理論を考えると、不自然な点がある。

何か、人生や世界の目的論的な動きがあって、どうも人間を進化させるような動きがあるということは話しました。

神仏はそのお目付け役のような存在です。

道教の世界観では、死後の世界も地上の官僚機構が存続していて、冥々に陰律があるという世界観ですが、それに似ています。

これは、輪廻は苦しみの世界で、消滅することが目的のインド仏教系の世界観と対立する考えです。

良くも悪くも、世界は進化する方向という一神教の考えです。

究極の存在者が、いるか、いないかの話にも還元されます。

究極の全知全能の神に向かって進化するのか、無に向かうのが目的なのか。

東西の宗教性が良く出ています。

さて、以前、他人の悪口や見下しをすると、それに転生先(もしくは将来)が決まってしまい、自分が見下される立場になる、という話をしました。

これは、単純に言って、因果応報の理屈に合わない話で、悪口程度で、環境が決まってしまうのはおかしいと指摘しました。

これに対する考えは、次の感じです。

おそらく、悪口のカルマだけでなく、もっと過去世の他人を被害に合わせたカルマも、使われている。

こういうことでしょう。

何だかんだ言っても、最終的に帳尻合わせしてあるはずです。

で、その調整役というか、調整者が、恐らく、神仏(自分の潜在意識の可能性も)です。




兵法の奥義


早い話が、悪口を言った程度で、その環境になる理由は、要するに教育系なのです。

本来なら、悪口を言ったカルマは、悪口を言われるカルマです。
悪口を言われる環境になるのは、超過報復です。

しかし、まだ現実化していないカルマや、未来の前借りなどで、カルマをかき集めて、悪口を言われる環境を、教育目的で作り出しているのです。

例えば、他人にハゲと馬鹿にしたら、本来は、ハゲと言われるカルマ(別の実際に該当する悪口でも良いですが)が構築されます。

しかし、よくある因果話では、なぜか馬鹿にした方が、将来や未来世で、ハゲるのです。

つまり、何でこんな超過報復があるのかと言うと、理由は、他人を馬鹿にしてはいけないという教育目的です。

悪口雑言は、罪になるということです。

宗教系の戒律では、悪口系に関する戒律は、意外とあります。

功過格でも、悪口系の項目はありますので、いずれ記事になりますが、それだけ、悪口イコール情報というものの重要性があるのです。

現代人の我々は、情報というものの重要性を理解していますが、やはり宗教はそれなりのインテリが教義を作り出す業界なので、情報の重要性が理解されているということでしょう。

さて、現実の日本社会でも、ヘイトスピーチに関する法案が取って、反韓デモが弾圧されたりとしています。

差別は良くないのは当たり前ですが、しかし、現実問題として、悪に対する言論弾圧、報道の自由、言論の自由が、やはりアンチテーゼとして、存在しています。

単純にヘイトスピーチが悪いものだと言えないのです。

そもそも、言論戦に限らず、戦とつくもの全てにこれは関連します。

情報戦のようなソフトな世界から、実際に鉄火を交わるハードな戦まで様々です。

悪に対して、これらの、「戦はすること」は絶対悪なのか?


通常の宗教では、これに対する答えは、YESとなります。
どんな場合でも、戦(人殺し含めた悪行)は絶対悪です。

憲法9条が、宗教や神学論争と呼ばれるのは、ここに起因します。

基本、宗教では戦は絶対悪です。
悪に対してでも、正当防衛でも、絶対悪なのです。

イエスは、十字架に昇りましたし、釈迦は、出家して徴兵の義務(釈迦は王族なので将校レベルですが)から逃れています。

彼らがノリノリで戦争するイメージはありません。

ここらへんの、絶対悪と必要悪の相克は、宗教者の出家ならばともかく、在家で生活する我々にとって、悩みどころです。

明らかに、必要悪の場合に対処出来ないからです。

ほんとは絶対悪なんだけど、しょうがないよね・・・。
でも、なるべく敵の被害が出ないようにしよう・・・。

このくらいの感覚が落としどころとなります。
まあ、なるべく勉強して、頭が良くなれば、敵に被害が及ばないように出来るというのが、せいぜいです。

実は、本来、古来の兵法というのは、こういう発想の元でしか使えません。

例えば、兵法の金字塔に孫子があります。

普通に書店に売られているし、全文も普通にネット上にある代物ですので、孫子を、知らない日本人はいないと思います。

この孫子が、なぜ時代を超えて、兵法の頂点に位置しているかと言うと、簡単です。

読んだことのある人は、わかりますが、初っ端から、建前論が書いてあります。

戦争は国家の存亡を左右するから、ちゃんと事前にするかしないか検討しろ。
戦争は国家予算がかかり民に負担がかかるから、よくよく考えろとか。
被害を拡大するのを抑えるため、早めに終結させろ云々・・・。

この、部分で、
人殺しの軍事本の癖に、建前がめんどくせえ・・・。
と、思う人は、実は、そこでアウトなのです。

実は、兵法ではここが一番大事。

この部分の建前の部分が、わかってないと、本当に兵法は使えません。

もちろん、戦争大好きなどと、ミレニアムの少佐みたいなことを言ってると、社会上ツッコミを食らうので、しょうがないから、建前を言っておくということでもありません。






孫子には、下記の箇所があります。
謀攻篇の一節で、

孫子曰く、凡そ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。
軍を全うするを上と為し、軍を破るは之に次ぐ。旅を全うするを上と為し、旅を破るは之に次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之に次ぐ。
是の故に、百戦百勝は、善の善なる者に非るなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。

意訳
「城攻めとか平原の戦いとか直接決戦は、三流の下の下の兵法。
外交戦とか謀略戦とか情報戦とかが、一流の兵法者。」

意味はそのままで、本来の兵を用いての、ドンパチは、下策だと言っています。

むしろ、宮中の謀略戦のような、陰険な戦争の方が、上流だと言っているのです。

日本人の感覚からすると、こういう争いのどこが上策なのか?
と首を傾げます。

中共などは、これを、正確に受け継いでいますので、ウソを呼吸を吐くように使って、ガンガン宣伝戦や騙し合いをやっています。

日本がこういう戦争形式が弱いというのは今更な話です。

孫子は騙し合いの書(兵は詭道なりと言明していますし)であり、日本人には合わないと言う人すらいます。
それどころか、こんなことをやっているから、中国は戦争に弱いのだと言う説すらあるくらいです。

なぜ、こんな書が、兵法書の頂点なのか?

答えは繰り返しになりますが、これが、実は、絶対悪と必要悪の矛盾に対する、一つの解答なのです。

つまり、

実際に戦争が起きて、人が大勢死んで、家や畑が焼かれて、税金も重くなり、国家が崩壊してさらにグダグタになって大勢被害が出るという、ろくでもない状況よりは、騙して勝つほうがマシだからです。

どうしても戦争までやるにしても、光の速さでサクッと勝ってサクッと終わらせて、ダラダラやらないということなのです。

先の大戦では、我が国は、大陸の沼地に足を取られて、ダラダラ戦争を続けた挙句、アメリカと二正面作戦を食らって滅びました。

そして、その戦勝国のアメリカでさえ、ベトナムやテロ戦争でダラダラ戦争を続けて、敗退疲弊してしまいました。

要するに、戦争は、もともと、国家政策でダメダメな代物ですので、出来るならやらない。
やるなら、さくっと神速で勝利する。

これが、天意なのです。

少なくとも慈悲を本旨とする神仏のみ心に叶うのは、こういう心がけというか志なのです。

だからこそ、孫子は、兵法書の頂点に立っているのです。

日本の神仏の軍神に毘沙門天がいますが、毘沙門天を信仰していた人物は、聖徳太子や源義経、楠木正成や上杉謙信です。

彼らは、政治的には、最終的に負けたりしていますが、生きている間は、ほぼ神がかりで連戦連勝した、兵法の怪物です。

何より、その清い精神は、後世評価されています。
※義経は、微妙ですが。

これは、毘沙門天という軍神が、神仏だからです。
仁義を貫いた人間に力を貸すのです。
彼らは、およそ義人で、やらんでもいい人助けの戦争をやったりしています。

だからこそ、軍神の加護を得て、戦争に連戦連勝だったのです。

つまり、兵法を最大限に使うには、軍神の加護を得るには、孫子の兵法の精神である、民の苦しみをなくすという天意にかなった志が必要なのです。

そういう人間でないと、兵法や軍神は使えないのです。

これは、マクロの戦争だけでなく、個人の戦でも同じです。
仕事や学校や家庭で、卑劣な謀略を使ってくるのはすでに戦ですが、それに勝つには兵法を使うにあたり上記のような志がいるのです。

私も、甲州流などの中世の兵法を知っており、色々と、術数的な知識は習っています。

しかし、甲州流にせよ何にせよ、なぜか、宗教的な行が入ってくるのです。

元々、術数が通常の兵法と違って、遁甲や気学などの占い的なものですが、宗教行は、単に中世の迷信的な名残かと初めは思っていました。

が、実際は、宗教的な慈悲があって、初めて、兵法が運用出来るのです。

遁甲や術数などの兵法は、要素が、十干十二支の干支や九星や宿曜などです。
(実際は違いますがあえて有名な要素を出しています)

これらは、要するに天文が元です。
太陽や惑星や星々や季節等々の天の要素です。

天の要素は、天地人の天の時や、天運、天命と同義語です。
もし、天を使おうと思ったら、天意から離れて使えるわけはありません。

もっと言えば、天を支配する天人たちの意思、神仏の慈悲が無ければ、使ってはいけないのです。

戦争と慈悲というおよそ矛盾する物を持っていなければ、天の技術たる要素は、使えないのです。


宗教でなくても、少なくとも、儒教などの表の倫理は身につけておかないと駄目だということです。
四書五経は、基本として、読んでいたのが、昔の時代でした。
最低限、そのくらいは、教養で必須だったのです。



神殺し


長々と兵法の話に脱線していますが、何を言いたいかと言うと、悪口に関しても、慈悲がなければ、いけないということです。

愛のムチは、愛がなければ、ただのムチなのです。

例えば、ヘイトスピーチにしても、実際に、隣国の悪と自国の被害があって、それに対する正当な対応、慈悲の元にあれば、良いのです。

それこそ、孫子を含めた兵法や軍事は、相手に勝つためにあります。

正義の戦争でしたら、兵法と神仏の加護で、勝つことは容易なのです。



・・・・・・。


と、言うのが、実は、宗教的な、というより、大乗的な、絶対悪、必要悪の建前論です。

本来、宗教は、現世から離れる物です。
イエスにしろ釈迦にしろ、彼らは、およそ生産性ゼロのニート乞食野郎共です。

イエスが本来の生業の大工仕事や、釈迦が公務をした伝記はありません。

要するに、やつらは、働いていないのです。

そのため、他人にヘイトスピーチするとか、兵法をつかって戦うとか無縁の人生なのです。
※ヘイトスピーチは結構言っていますが・・・。

しかし、そうは言っても、在家の我々は、なんとかして、整合性をツケなくてはいけません。

ヘイトスピーチしたり、戦争したりする理論的バックボーンが必要なのです。

そこで、上記のような理屈が必要になるのです。


が、所詮は、必要悪のレベルです。


自分が大丈夫かと思っても、陰徳ポイントがどうなっているかわかったものではありません。

自分が死後、地獄に堕ちる覚悟が無いと、未知数過ぎて、使えません。

そもそも、上記したように、悪口を言うと、悪口が返ってくるだけでなく、悪口を言った対象の環境になります。

未来か、来世かの時間のスパンはともかく、カルマとして因果してしまうのです。

例えば、豊河は、多神教なので、一神教(ユダヤ・キリスト教)というカルト宗教死ねと、ヘイトスピーチを常に言っています。
日本人なので、韓国死ねと、ヘイトスピーチを常に言っています。

※常には言っていないような気がしますが。

別に、間違ったことを言っているわけではなく、どう見ても正義なのですが、問題は慈悲の有無です。

有ったとしても、どれだけ控除されるか、陰徳ポイント的にわかったものではありません。

人間には、結果状況で、カルマを判断するしかないので、自分の行為(カルマ)が、良いか悪いか判断出来ないのです。

まあ、豊河は正義と慈悲で言っているので、まったく恐れてはいません。
孟子も自分の正義のためだったら、百万人と雖も我行かんと言っています。

神の罰を畏れるようでは、正義としては、三流なのです。
なぜ、正義のヘイトスピーチに対して、文句を言われる筋合いがあるのか?

もし神が罰を当てるようだったら、そのような、悪神は、世のため人のため成敗しなければいけません。

神なぞクソ食らえなのです。



で、具体的などのような罰があるかと言うと、今までの話ですと、悪口を言うと、理不尽にも悪口の対象になってしまうという、話でした。


つまり、豊河が言っているヘイトスピーチですと、


①一神教カルトへのヘイトスピーチ
→一神教カルトに生まれてしまう

②韓国へのヘイトスピーチ
→韓国人に生まれてしまう

③結果、来世は、韓国人の一神教カルトに生まれてしまう。



       !?









え?
は?
え?
(自分の出した論理的結論に脳がついていけない状態)



怖っ!






お・・おお・・・神よ・・・神よ・・・

偉大なる、天にまします慈悲深きお方よ・・・

我の罪を許し給え・・・!

この、極悪在住な、豊河の罪を許し給え・・・







俺(豊河)が全面的に悪かった!
悪気は無かった!
魔が刺してしまった!

もうヘイトスピーチはしません!
韓国人に生まれ変わるのだけは許してください!
(反省していない)







い、嫌だ・・・!
助けて・・・神様・・・!

壺とか売ったり、合同結婚式とか・・・
そんなことしたくない・・・!

あ、でも、今、気づいたけど、生まれ変わりの国籍が韓国人だから、日本人の集金奴隷階級と違って、特権階級かも知れない?実はそんなに悪くない?






 とうとう逆ギレする豊河





今日の豊河の説法のまとめ
「汝、ヘイトスピーチをやめるべし」
「差別をするなかれ」
「死後、裁きにあう(韓国人に生まれ変わる)」

























2 件のコメント:

  1. 憧れたものを罵れと言っているように読める。豊川のバーカ!

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  2. Unknown様

    コメントありがとうございます。管理人の豊河です。

    どなたかは、わかりませんが、豊川さんがヘイトスピーチされてお気の毒です・・・。

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