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・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
三十善に相当する
◯一人の冤を白にす。
温暖化対策
前回は、せっかく世界宗教が、現世否定の全く新しい宗教を唱えたのに、大衆の需要に応えられないという話で終わりました。
基本的に、世界宗教は枢軸時代という、地球が寒冷期の時代の産物です。
地球が氷河期になって農作物が取れなくなり、狩猟採集としても、木の実や動物が取れなくなった時代です。
こういう時代は、大地の恵みが薄くなります。
人がバタバタ死んで、かつ食物の不足で戦乱が起きて、現世に希望が持てない時代なのです。
こういう時代には、大地の恵みに感謝する自然宗教は、顧客が少なくなり、来世に期待する宗教が需要を持つようになります。
これが世界宗教の萌芽の時代です。
この世の、諸行無常の現象世界を超えた、仮想空間を構築する世界宗教はそれまでの、自然宗教を駆逐しました。
絶対神や無限の愛やら身分や民族に関係ない教義は、それまでの自然宗教より文明的に高度だったからです。
それまでも何回もあった寒冷期とは違って、人類の文明が上がって帝国化したという社会的な事情も布教に助けました。
しかし、当然、寒冷期はいつまでも続くものではなかったのです。
サイクル的に、温暖化の時代も到来します。
そうすると、今度は、大地が豊かになって人々もこの世に希望をもってきます。
平和な時代になれば、あの世よりもこの世に期待が持てるようになりました。
そうすると、この世を否定してあの世ばかり語る世界宗教は、対策に追われることになります。
今まで、解脱だとか神の国は近づいたとか言っているだけでは、民衆の支持を集めることは出来ません。
そのため、今まで弾圧してきた自然宗教の多神教の神々を呼び戻すハメになります。
一神教のキリスト教ですら、この現世肯定の要求には逆らえませんでした。
元々、キリスト教には、現世利益の教義はありません。
終末には信者が救われて復活という教義なので、現世はどうでも良かったのです。
しかし、民衆の要求には勝てず、聖母マリアだの守護天使だの聖人だの悪魔崇拝(キリスト教以前の多神教の神々)を用意せざるを得ませんでした。
クリスマスやハロウィンも本来、異教徒の祭りです。
欧米の金持ちや支配階級に、悪魔崇拝が多いのは当たり前です。
日本で言えば、要するに現世利益の多神教の神々のポジションだからです。
仏教の歴史
仏教も同様です。
世界宗教の仏教ですが、誕生国のインドでは仏教はマイナー宗教です。
成立当初はインドでブイブイ言わせていた時期もあったのですが、対抗するバラモン教がヒンドゥー教になって、教義が整って来ると対抗できなくなり、イスラム教の来襲でトドメを刺されました。
今では、インド国内の仏教徒は一パーセント以下です。
何しろ、ヒンドゥー教は、仏教の「現世はクソだから出家して解脱しようぜ!」という論理以外にもカードを持っています。
元々、輪廻やら解脱の教義はバラモン教時代から持っていたのですが、それに加えてヒンドゥー教は民族の神々に基づいた現世利益カードを持っているのです。
仏教は当初は、出家主義で、在家はお布施マシーン程度の扱いです。
良いことすれば来世で良いところに生まれ変わるよくらいの雑な扱いでした。
しかし、これでは、在家は面白くはありません。
需要があれば供給が生まれるのは、資本主義の鉄則です。
この在家のニーズに応えて、大乗仏教が生まれてきます。
出家と在家の区別を無くした「空」の思想の般若経典類や、阿弥陀仏や法華経など、我々が知っている大乗仏教が生まれてきます。
これらの大乗仏教の特徴は出家と在家の重要性を等価にすることが目的です。
般若心経で、無苦集滅道とか言っているのはこのためです。
※苦集滅道の四聖諦は、仏教の出家の基本公式です。
しかし、これでもまだヒンドゥー教は盛り返してきました。
インド人の民族宗教だけあって、5000年の多神教の力はしぶとかったのです。
絢爛豪華な神話と神々の魅力は、そう簡単に無くなるものではありません。
おまけに今でも世界中が愛好しているヨガなどの肉体的修行法。
性愛まで修行法に昇華したタントラ。
西洋や中国の神秘業に匹敵する魔術体系など。
現世利益と修行を兼ね備えた、豊富なシステムのカードをヒンドゥー教は、持っていたのです。
結局、仏教はこれらも導入しました。
民衆を味方につけるには、ヒンドゥー教をパクるしかなかったからです。
後期大乗仏教の密教は、これらのヒンドゥー教のカードを取り込みました。
神々の言語であるサンスクリットの呪文を真言として。
印や梵字や曼荼羅などの象徴体系や、召喚魔法の儀式のホーマを護摩として取り込みました。
ヒンドゥー教の神々は天部の護法神として取り込みました。
弁財天や毘沙門天やら聖天やら荼枳尼天や大黒天など、我々が知っている仏教の天部の神々は全部、ヒンドゥー教の神々です。
教義も、生命礼賛の教義に変化しました。
大日如来が万物の母である、全ては命なのだとか、自然宗教に近い教義になりました。
外国に仏教が出てもこの傾向は変わらず、ゆく先々で現地の神々を取り込みました。
キリスト教などの一神教ならば殲滅してしまうところですが、取り込んで権現(仮に現れた仏)という名目で存続を許しました。
ちなみに、日本に来た密教は中期密教レベルなので、まだマシですが、イスラム来襲時のインドの仏教は後期密教まで進化していました。
ヨガ(クンダリニーとかチャクラとかも)や性魔術のタントラを吸収して、邪教レベルまでなりました。
これが、チベット密教です。
もちろん、一応仏教なので、なんとかこうにか穏健な教義に収拾しましたが、日本の中期密教ですら、立川流騒ぎがあったくらいです。
性の乱交パーティー上等の教義の後期密教は、相当なゴタゴタがチベット密教史にありました。
今だって経典の内容だけみたら、邪教そのものです。
※お暇な方はググってみると、そのヤバさがわかります。
まあ、後期密教まで行かなくても、日本に来た中期密教レベルでも、今回の自然宗教の需要に応じています。
まあ、日本だと仏教の進化順に来たのではなくて、初めから大乗仏教が大した時間差なしに来ているのですが・・・。
インターフェース
このヒンドゥー教の神々を取り込んだ、仏教の天部は、現世利益担当です。
仏はなにせ、現世嫌いの世界宗教の仏です。
金なんていらない!
女なんて入らない!
出家してひたすら修行している!
という筋金入りのニートの童貞野郎です。
しかし、そうは言っても、金を求める大衆に応えてやらなければいけません。
かと言って、仏自身が金儲けを奨励するのも都合が悪い。
そんなわけで、現世利益担当は、天部が多いのです。
その天部ですが、ヒンドゥー教の神々だけあって、日本の神道と同じです。
自然宗教なので、動物のモチーフが多いのです。
同じ多神教のエジプトの神々と同じで、動物のモチーフの神々です。
神道でもそうですが、神自身は人間型やあるいは形が内にしろ、眷属は動物が一般的です。
八幡神社の鳩や神宮の鶏、熊野の烏、三峯の狼などが有名です。
※稲荷神に至っては、本来、狐は眷属なのに今や、稲荷神自身が狐の神だと思われている始末です。
天部の神々も同じです。
毘沙門天は虎やムカデが眷属ですし、大黒天はネズミが眷属です。
弁財天はヘビですし、頭に乗っている宇賀神はすでに形が人頭蛇体の存在です。
荼枳尼天は狐に乗っているし、摩利支天は猪に乗っています。
さらに、蛇よりも高度な存在?の龍も動物といえば動物です。
これらは、神々が世界宗教の絶対神や教義と違って、現世の自然宗教であることを意味します。
大地母神の担当である大地、すなわち現世の形ある生命は、天地自然です。
自然と人間の中間の生物は動物です。
神である大地母神とのメッセンジャーのインターフェースが動物なのは当然です。
神々自身も、上記した例のように、動物と一体化した形である場合が多いのです。
で、また文章が、収まらなくなったので、次回に続きます。
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乱交パーティ
密儀は、基本、乱交です。
夜にこっそりみんなで集まって、酒とドラッグで乱交パーティです。
これが、人間の理性を外して、原初的な獣性を喚起させる生命力復活のイベントだということは、今まで記事にしてきました。
要するに表の生活、表の理性で封印されきた要素をわざとすることで、タガを外すことが目的です。
これが西洋ですと、反キリスト教的な儀式になりますが、これはキリスト教が西洋社会では一強だからです。
キリスト教の儀式が表なので、裏が反キリスト教的な儀式になるだけです。
反理性的な物事の代表はセックスです。
今の自由な社会でも、表通りでセックスは出来ません。
昼の理性に対して夜の反理性の代表がセックスです。
ましてや乱交などは、理性の上からは反道徳的と見なされます。
だから、世界中の密儀ではまず乱交が基本なのです。
さらに乱交に加えて、酒や肉や薬などもオプションとして用意されます。
生贄を使うかどうかは、密儀によりますが、反道徳的なことほど、理性のタガが外れるため、よく使われます。
こういう密儀は世界中ほとんど変わりません。
文明国家ほど、世界宗教がメインですので、裏でこっそりやるしかありませんが、近代以前(昭和時代も)の日本だと普通に村の祭りで乱交とかは普通にやっています。
文明が通っていない田舎は、自然と身近にいるため、自然の力を必要とするのです。
これもやはり世界中ほとんど変わりません。
像
世界宗教というのは、自然の現象的な姿から、抽象化されていく進化(退化?)の姿です。
多神教の神々は、基本、動物の姿です。
今ですら、神道や仏教の天部の眷属は、動物です。
八幡神社の鳩や、稲荷神社の狐など、自然界の動物がメインです。
これは、多神教というのものが、大地母神、自然界の大地の力、もっと言えば、人間の理性以前の獣性の脳の象徴だからです。
人間は、地上の上に、文明を築いても、その土台は大地の自然です。
人間の脳が、獣性の脳の上に理性の脳が載っかっているのがその理由です。
人間は一枚皮を剥ぐと動物だというペシミストの言葉がよくあります。
それは、こういう進化史によるものです。
実際に大脳新皮質の理性の薄い脳を剥ぐと、下にあるのは、獣の時代の脳です。
この大地で生きていくには、この脳、つまり動物、自然、大地の力がいります。
神道や多神教には、基本、この世を捨てるという教義はありません。
そのため、陰の大地の力の象徴である動物が信仰の象徴なのです。
逆に、この世を捨てるという教義でしたら、この力は不要なのです。
初期や上座部仏教は、俗世を離れて瞑想して悟りを開き、解脱するという教義です。
もはや自然界の力の象徴の神々は拝まれません。
※門番や寺の守護神としては拝んでいるようですが。
死後、永遠の天国か地獄かの二択の、実質輪廻を否定している一神教も、そうです。
動物神は拝みません。
現世というのは、あらゆる現象的な世界、つまり五欲や五感の対象の世界です。
そこから離れるというのは、抽象的な概念にならざるを得ません。
動物的な姿の神々は、人間の姿に成り、さらに、形さえなくなります。
言葉はいらない
偶像崇拝を嫌うようになるのは、物理世界の像が崇拝対象ではないという意味であると同時に、形が無いという意味でもあります。
この世を嫌い、自然を嫌い、現世から離れるというのは、現世の形から離れるということであり、抽象的な概念の存在になるということです。
そして、同時に、地上の論理の対象にならないということでもあります。
およそ、世界宗教は、文明的ですので、言語化、論理化、論争化が大好きなのです。
実際に世界各地の多神教は、世界宗教の高度な論理に勝てずに、論争でボコボコにされてきました。
しかし、その彼らでさえ、究極的なところでは、論理を捨ててしまうのです。
一神教の絶対神や、仏教の解脱や空、道教の太極や無極、儒教の天などなど。
今まで、調子こいてロジックを展開していたのに、途端に、論理を捨てて思考停止してしまうのです。
日本だと馴染みが深いのは、この中の「空」でしょう。
大乗仏教の基本神学ですが、般若心経などで有名でしょう。
で、その空って何?
と、すると、途端に分けの分からないロジックなのです。
もっと言えば、論理化、言語化を捨てているロジックなのです。
言語の世界では到達出来ない境地という立ち位置です。
要するに、この世を嫌う世界宗教は、究極的には、この世を全て否定するため、この世に属している人間のロジックや言葉すらも否定してしまうのです。
有限の存在の人間の言葉では、記述出来ないということです。
アイシャルリターン
しかし、当然、世界宗教が世界宗教たる所以は、大衆の信者を抱えているから世界宗教になれたのです。
反現象的な高遠な教義や、高度な論理体型だけでは為しえません。
一神教も仏教も、どうしても現世的な大衆の欲望を叶える必要があるのです。
まあ、当たり前ですが、世界宗教の究極の教義は、
「この世は地獄だからさっさと死のうぜ!」
という、反生命的なカルト思想です。
キリスト教も仏教も、この世は穢土だというのは一致しています。
要するに、「ここでは無いどこかへ」と言う、現世否定な教義なのです。
こんな論理だけでは、全大衆は包含出来ないのです。
戦時でも平時でも、この世を捨てろ!という教義に賛同する人間はある一定数は必ず存在します。
しかし、この世に未練を持つ者は必ずいるのです。
豊かな平時の時代でも、宗教に超能力信仰で入ったり、もっと金を!とご利益信仰でなければ信者にならない人間はいるのです。
まあ超能力信仰やらご利益信仰やらと言えば聞こえは悪いですが、病気や貧困や闘争の貧病争は、宗教需要の基本です。
イエスだって病気治しで名を上げたのですから、衆生救済しなければ大衆は納得しません。
このため、世界宗教と言えども、どうしても、現世利益は必要になります。
そのため、今まで罵倒してきた自然宗教を迎えなければならなくなります。
ということで、また長くなったので次回に続きます。
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◯一人の冤を白にす。
前回の野生のパワーの続きです。
兆候
前回は冤罪回復に二つの宗教が在り、他力本願的な世界宗教と、野生の力の密儀の話でした。
罪と罰は人間世界にしか無いものです。
それよりも上位の天や神仏の世界にはありません。
また、人間世界よりも下の動物世界にもありません。
一般に天を目指し、人間や地を否定する世界宗教と、人間の生命と地を指向する密儀宗教は、一見正反対です。
この二つは、基本、相容れない存在です。
世間的に世界宗教が迷妄なまでの唯心論をこねくりまわすと、生命が動脈硬化を起こし、カウンターとして、怪しい密儀宗教(乱交)が時代の表に、出てきます。
そういう表に出てきた密儀宗教は、どう見ても邪教の類なのですが、これはユング心理学で言うシャドウの類です。
シャドウは表のペルソナ(仮面)の意識が、正反対の可能性を否定した時に出てくる、もう一つの可能性です。
表が極端な偏った状態の時に出てくるだけあって、シャドウもまた極端に偏った代物です。
淫祠邪教として弾圧されるのが常ですが、
(そして実際に淫祠邪教なのですが)
それはあくまでシャドウなので、それが出てきた表の状態がヤバイということの裏返しでもあります。
馬鹿げた邪教が出て来る時は、表の宗教がダメダメだと言う天の差配です。
立川流にしろ、戦前の大本教にしろ、戦後の新興宗教や果てはオウムなどの淫祠邪教は、文字通りシャドウなのです。
表のペルソナがダメな時にカウンターとして極端な状態で出るのです。
占術の世界では、これを「兆候」と呼びます。
地震でも戦争でも、起きる前には何らかの兆候があります。
人体なら重病の前には、様々なサインが出るのと同じです。
宗教がダメというのは、政治も経済もダメダメな時です。
一葉落ちて天下の秋を知るという古人の言葉にあるように、賢者は些細な兆候から、個人の運命や、天下の趨勢を知ることが出来ます。
未来予知は、開運に必要な要因の一つです。
一見関係無いこの与太話も開運に繋がっています。
大地の力
前回も見たように、密儀というのは要するに乱交です。
乱痴気騒ぎのことです。
我が国でも近代以前(下手すれば今でも)田舎でやっているハレの日の乱交文化です。
その目的は、表意識の理性のタガを外し、野生の大地の力を取り戻すことです。
人間は穴に生まれて穴に死ぬように、生命力の本源は大地にあります。
大地は女性原理で地母神です。
グレートマザーの力を定期的に注入しなければ人は生きていけません。
風水などはこの最たるもので、大地のツボの龍穴に先祖の墓というか死体を埋めて、開運効果を図ろうとする術式です。
それゆえに、生を嫌い、大地を呪う世界宗教は、この力を「表向き」嫌います。
大地母神を邪教・悪魔崇拝認定し、死んだら死体は燃やします。
最終目標地点は、天や解脱先です。
大地に残るのは成仏出来ない霊や地に投げ落とされたサタンやルシファーです。
地の中に至っては地獄です。
まあ、今、表向きと言ったように、それでも、大地のエネルギーは有用性があるので、世界宗教も結構利用しています。
風水技術は元より、キリスト教の教会は古代の先住宗教の吉相地に建てられています。
聖母マリアのように、大地の生命エネルギーを完全に無視することは出来なかったのです。
仏教ですら、インドでは最終的に密教を生み出しました。
イスラムに壊滅させられる寸前には、仏教徒は真逆の思想のタントラやヨガなどの肉体生命の権化とも言える教義システムを導入した後期密教(チベット仏教がこれ)になってしまいました。
精神と肉体、天と地という陰陽の相克は、片方が極端に走った時に、片方が出現します。
例えば、上記とは逆に、肉欲ばかりが優先されるような宗教が支配的であれば、そのシャドウとして、極端に精神性が重要視される宗教が出て来るでしょう。
今風にわかりやすく言えば、資本主義と共産主義のようなものです。
資格
古今東西の密儀宗教は、文字通り秘密の存在です。
なんで秘密かと言えば、ヤバイからです。
ハレの日の乱交のように、日常生活でやると顰蹙を買います。
密儀、つまり仏教の密教には、到達点の、チベット密教があります。
それには文字通り、秘密集会(ひみつじゅうえ)という無上瑜伽タントラに分類される経典があるくらいです。
中身は非常にヤバイ内容が満載で、乱交万歳の内容です。
あらゆる罪悪の内容をやろうぜ!という内容なのです。
その昔、空海が最澄に理趣経関連の経典を貸し出し不可にしたことがありました。
ぶっちゃけ、邪教そのものの内容なので、素人が見るとヤバイのです。
立川流が弾圧されたのも、このためです。
※実際にはそれほどヤバイ教義ではなかったという説も。
素人がうかつに密教(タントラが入った後期密教)をやると冥府魔道に陥るのです。
昔のチベットも、タントラのヤバイ教義で淫祠邪教で暴走した歴史があるくらいですので、後期密教などに限らず、密儀を学ぶには、資格がいるのです。
人を殺すのが菩薩の道だー!
などというタントラ密教を師匠無しにやるのは非常にヤバイのです。
資格というのは、最低限、師匠や先達がいたりなど、彼岸から日常に帰ってこさせる役割の人間が必要だということです。
もちろん、本人も、密教を学ぶにあたる資格がいります。
信用性や学識や戒律などです。
密儀の本質性は日常空間に封印されていた生命の力を取り戻すことです。
そして、取り戻したら戻ってくる必要があります。
いつまでも、大地の子宮の中にいたのでは浦島太郎になってしまいます。
神話では黄泉の国、冥界に降りていった英雄神は、帰ってきています。
逆に言えば、帰ってこれたからこそ、英雄になったのです。
黄泉の国は、居心地が良いのです。
地上よりも、竜宮城での生活が良いのは当たり前です。
だからこそ、戻ってこられるように師匠や戒律や理性などの資格がいるのです。
資格が無いものは密儀(密教)に手を出してはならないのです。
しかし、この密儀は人工的な物だけではありません。
臨死体験などで突発的な運命として、密儀に会うこともあります。
死と再生の儀式こそが密儀のシステムです。
あらゆるサイキッカーや霊能者や神話の英雄は、死と再生の儀式を経験します。
逆を言えば、死と再生の密儀を人為的に運命的に経なければ、彼らは新しい人生のステージに到達出来なかったと言えましょう。
生き残った彼らの背後には、帰ってこれなかった密儀体験者の死体の山が積まれているのです。
しかし、皆さんの場合は、こんな危険性はかなり低下されています。
人生の次のステージに進むに当たって、今までの自分を殺し新しく大地で生まれ変わる密儀はやはり必要です。
しかし、陰徳を積んでいる物は、VIP待遇で通過出来ます。
そもそも、死と再生が危険というのは、通常の死と再生で言えば、死に際が良くないだの転生先が悪趣だと言うのと同じです。
陰徳を積んでいる者は、死に際も転生先も良いのです。
普通なら死の危険性がある密儀も、何のこともなくあっさりと通ってしまうでしょう。
徳を積んでいる者にとって、その徳がレベルアップのリミットに達すれば、別に自分が探すまでもなく、その機会は向こうから訪れます。
その際に、まだ不安だったら、辞退して徳を積むのを再開すれば良いのです。
密儀は所詮、裏の道です。
表街道を歩む者にとっては脇道に過ぎません。
顕教も密教も、徳の結果に過ぎないのです。
陰徳こそが真の密教なのです。
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解放戦争
冤罪を解くというのは、罪からの解放というテーマに繋がります。
これは、宗教史的には結構重要なテーマです。
有名なのは、救世主イエスのキリスト教です。
キリスト教のロジックは、
①人類はアダムとイブが原罪を負ったために、神から断絶された
②しかし、神は愛する一人息子のイエスを遣わして、彼を犠牲にすることで人類の罪を償った
③イエスは、神と人類の仲介者であり、これによって人類は救われた
④イエスが救世主と信じる者は救われる。信じないやつは邪教で異端だから十字軍。あと死んだら地獄行きな?
要するにこういうロジックです。
ぶっちゃけ日本人の豊河から見ると、もうツッコミだらけの教義なのですが、まあこの教義を信じる人がこの地球上に重億単位でいるわけです。
人間は馬鹿な生き物なんだなあと認識するしかありません。
現実はそんなもんなのです。
で、勝手に人類を原罪扱いするという冤罪と、勝手に罪を許したというマッチポンプでドヤ顔しているキリスト教ですが、罪からの解放というテーマでもあるわけです。
そもそも原罪というのが洗脳下に無い日本人にはピンとこないのですが、まあ原罪を信じていた当時のユダヤ人には、救われたという人がいたわけです。
原罪という概念を植え付けられていて苦しんでいる人がいた以上、それを解放するのは、一応、冤罪を解放するという陰徳なわけです。
刑法やコミュニティでの冤罪を解放するのとはまた別の冤罪解放なわけです。
民族レベルで冤罪を信じ込んでいたことは、今で言う歴史認識の日本への不当な冤罪と同じようなものでしょう。
それを考えると、歴史認識論争で、反日に反論している愛国者様は、陰徳を積んでいると言えなくもありません。
まあ、日本が歴史認識を克服して戦争放棄を止めることが、いいのか悪いかは政治的判断です。
封印された邪神の復活レベルのヤバイ話と考える人間は国内外に結構います。
まあ、それだけのポテンシャルを日本が持っているのですから当然なのですが。
で、これをパクっているのが、仏教では浄土系なわけです。
阿弥陀如来の念仏と、特に親鸞と教義がよく似ています。
ここらへんは、昔から宗教学者がツッコンでいて、恐らく、キリスト教をパクったんだろうと言われています。
何しろ、キリスト教などの中東文化は、聖徳太子の時代から日本に来ています。
空海の時代には、留学先の唐の長安では、普通に景教(キリスト教ネストリウス派)寺院が建っていたくらいです。
共通しているのは、人間は弱小なので、自力だと救済出来ないので、阿弥陀如来やイエスなど他力で原罪を救済するというロジックです。
人類の大半は、別に修行とか苦行とかそんなものはしたくない衆生なので、自力救済の教義よりもこちらの方が受けるのです。
ちなみに、自力宗教でも、プロの修行は大衆はやりません。
座禅も密教も大衆はやらないので、プロが現世利益のご祈祷をやるのをありがたがるだけなのです。
どちらにせよ、大衆が他力本願なのは変わりません。
密儀
さて、そんな衆生へのマッチポンプの冤罪解放とは別に、もう一つ宗教には、別な冤罪解放の世界があります。
こちらは世界宗教などではないローカルな世界です。
しかし、考えようによっては人類の文明以前の太古の共通宗教だったかもしれません。
それが、密儀です。
密儀とは何か?というと、要するに古代宗教の秘密の儀式です。
もっと言えば、古代の乱交文化です。
日本でも近代以前は、村で祭りの時は、神社や寺で乱交していました。
およそ、世界的に似たような文化があり、世界宗教以前はどこの国も似たり寄ったりの形態です。
密儀と言うのはその村の乱交文化をもっと上等にしたようなものです。
密儀でググってみると色々と出てきますが、要するにキリスト教以前のヨーロッパや中東では、どこもこの密儀宗教という多神教の文化です。
多神教文化は我々日本人にも馴染みが深いので、何となく想像はつきます。
ハレの日にどんちゃん騒ぎをするようなものです。
まあ、未開人なので、やってることは過激な類も結構あります。
キリスト教以前のオリエンタリズムに溢れた夢とロマンを投影されていますので、乱交だったり乱痴気騒ぎだったり生贄とかそういうヤバイイメージが投影されているのが普通にです。
これが、後世、魔女のサバトだとか悪魔崇拝の儀式だとか秘密結社だとかに繋がっています。
要するに古代の多神教の儀式なのです。
上記したようにこういう多神教の儀式はある程度共通性があります。
日本でもそうですが、生贄とかも結構マジでやっていたりします。
今だと、悪魔崇拝だとかで不当な批判を受ける内容なのですが、ここで注目されるのは、こういうハレの舞台での日常意識からの解放です。
アイドルのコンサートや競馬とかで、人々が我を忘れて熱狂したりするのを現代でもよく見かけます。
大げさな話ですと、ナチスなどの政治的集会でしょう。
普段、日常的な倫理的抑圧の中、我々は生きています。
やりたいことや、したいことはたくさんありますが、抑圧して日々を生きているのです。
それは、権力下での抑圧であったり、生活苦からの抑圧だったりコミュニティの抑圧だったりします。
これらは一般的には倫理道徳の抑圧です。
人間の超自我は、いつも我々を束縛していて、我々は、弾けて生きることが出来ません。
それが出来るのは、英雄かキチガイかのどちらかです。
英雄として栄光を受けるか、村八分にされて監獄か精神病院に行くかは紙一重です。
イエスもナポレオンも、世が世なら精神病院に強制連行されていたでしょう。
しかし、潜在意識を抑圧した日々の生活だけでは人間は生きてはいけません。
陰陽の法則で、昼間の陽の倫理生活は、夜の陰の不純性活が無ければ人は疲れてしまいます。
平時と戦時のように、陰陽では倫理基準は逆転します。
昼間に往来で交尾をしていいのは、犬猫だけですが、夜になれば、交尾をしていても誰も何もいいません。
ハレの日には、普段の抑圧された自分を解放しなければ、人間は安らげないのです。
外では、暴れまわるマフィアも家に帰れば温かい食事と寝床を用意してくれる女がいなければ、すぐに燃料切れになってしまいます。
陰陽の法則は、表の倫理道徳と裏の非倫理不道徳の関係です。
理性と感情、文明と野蛮の関係です。
大脳皮質の人間と大脳辺縁系以下の動物の陰陽が無ければ、人間はその生命力が枯渇してしまいます。
現代人が生命力が弱くなっているというのは、この陰の闇の動物の力からの源泉ルートが無くなっているということかも知れません。
この密儀のどんちゃん騒ぎは、普通にヒャッハー!の世界です。
理性を無くして、大騒ぎし、乱交をし、生贄を殺し、酒肉を食い散らかす世界です。
現代世界宗教の静謐な世界とは真逆な情景ですが、人間が獣から進化した以上、これも人間の姿です。
人間の脳が古い脳の上に新しい脳を被せている以上、その機能を抑圧するだけですと、それは生命力の否定になります。
リミッター解除
この密儀が、表の倫理道徳の罪と罰の冤罪を、吹き飛ばすのは言うまでもありません。
理性のタガを無くして、古い脳を起動させ、生命力を取り戻す。
それが、密儀の目的なのですから。
人間が文明化していない時代、この古い脳は今よりも重要性は高かったのです。
野生のカンが無ければ、あっさり死んでしまう時代だったのです。
では、文明化した現代では不要な存在なのでしょうか?
そんなことは無いと思います。
人間世界が弱肉強食の世界なのは古代から変わっていません。
槍や手斧の時代から、武器が法と貨幣に変わっただけです。
そもそも戦争という大規模レベルのハレの日は未だにあります。
もしかして、戦争というのは、ハレの日(密儀)のマクロ版なのではないでしょうか?
平時は、倫理道徳が抑圧された社会です。
しかし、これが続くと、人類は生命力を減退させてしまいます。
古い脳の大地の生命力、獣の生命力、不合理で理不尽な力、倫理や論理という陽の力とは真逆の陰の力。
定期的に開催される祭りだけでは人間性の解放には不足しているのかも知れません。
だから、戦争が起きると。
バカップルが、イチャイチャしている睦言に、「きゃーケダモノー♡」などというのがありますが、陰事である房事はまさにこのことを指しています。
当たり前の話ですが、野生の力がなければ、人間は交尾しません。
交尾しなければ、子供は生まれません。
完全に野生の力が人類から無くなれば、人類は絶滅します。
世界宗教は性を否定します。
キリスト教だろうが仏教だろうが同様です。
しかし、性という野生の力を否定することは、人間性の否定。生命の否定です。
前々から言っていますが、世界宗教は、生命のジェノサイド
が目的です。
イデア(天国やら解脱)という理想世界が大好きで、現世や生き物が大嫌いなので、基本、そうなるのです。
諸行無常で、諸法無我で一切皆苦のこのろくでも無い世界は否定されるべきというのが、世界宗教の本義です。
基本的に密儀宗教は、悪魔崇拝宗教として、人類の敵とするのが世界宗教です。
キリスト教の弾圧もそうですし、日本でも真言立川流の邪教弾圧の歴史があります。
まあ、実際に、邪教として、悪魔を崇拝して、人類を不幸に陥れる輩はいるのでしょうが、正直言って、世界宗教に比べれば大したことはありません。
何せ、生命そのものを否定しようというのが世界宗教です。
仏教だって、六道輪廻の生まれ変わりを止めよう。
悟りを開いて解脱しようと言っています。
要するに生命そのものを完全否定しているのです。
最終目的が人類絶滅どころか生物絶滅なのです。
今後も、世界宗教の弾圧があっても、こういう密儀宗教は絶対に無くならないでしょう。
理由は、人類の生命力です。
人類全体の集合無意識として、自分は滅びたくないという生命の意識があります。
その意識は人類の監視者です。
それは、個人レベルの解脱者は、ちらほらとあっさり通過してしまいますが、人類全体となると、激しく抵抗するでしょう。
何だかんだ言いながら、人類が絶滅しないのは、そのためです。
人間の苦しみを糧とする悪魔や邪霊邪神と善神という、善悪の対立軸が世界にはあります。
それはそれで正しいと豊河は思います。
※そもそも陰徳を勧めているブログですし。
しかし、その対立軸とは別に、理性と生命という対立軸がまたあることも事実です。
それは、善悪の対立軸と微妙に重なりつつも、完全に重なりません。
理性が抑圧すればするほど、生命の力は噴出します。
個人ではストレスによる不調から、マクロでは、犯罪や戦争という形での噴出です。
精神と肉体、イデアと現象という対立軸の世界宗教は前者に重きを為しています。
後者には価値を置いていません。
繰り返しになりますが、豊河はそれはそれで正しいと思います。
しかし、宗教史を、人類の文明を俯瞰すると、唯物的に後者の肉体や生命の方の言い分もどうしても三分の理があります。
今後も、ここらへんのテーマは追求していきましょう。
次回も、このテーマにからむ話です。
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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
三十善に相当する
◯一人の冤を白にす。
ノーリスクハイリターン
冤罪に限らず、罪と罰の自己暗示の洗脳は、人間に深く影響を与えています。
単純に、~をしてはならないという罪と罰の観念は、人間を縛り付けているものです。
そして、多くの場合、その観念は正しいのです。
町中で刃物を振り回したいという欲望が起きても、それを実行する人は稀です。
理由は自分が捕まるからです。
自分が死刑になる、または人生を棒に振るような長い刑期を、わざわざ犯すリスクを犯す馬鹿は存在しません。
あらゆる犯罪に言えることです。
稀に、そのリスクが発覚せずにまたは他人に押し付けて(冤罪)、自分が逃れた場合は、リスクが低減された経験としてその後も、犯罪を実行し続けます。
一般に、犯罪は、罰(刑法)というリスクが無ければ、極めてリターンが大きいからです。
労せずして金が手に入り、女が手に入り、地位や名誉が手に入るのです。
他人の迷惑を考え無ければ、これほど効率的なライフハックはありません。
本当のライフハックとはいかに捕まらないように悪事を働くかにあります。
ライフハックの風雲児として、一世を風靡したホリエモンが御用になったのは、このグレーゾーンの線引が極めて曖昧だからです。
ホリエモンは権力闘争に負けましたが、古来より、新興勢力はただの野盗や山賊と対して変わりがありません。
成功した山賊を、創業者や建国者と呼ぶのです。
日本の明治の近代化や中共共産軍なども、この手の類であることは以前にも記事にしました。
平時と善悪がひっくり返るのが戦時ですが、戦時で犯罪者の蠱毒の壺の勝者が、次の時代の王族貴族になるのです。
殺すしかない
しかし、ここで我々は、人類の矛盾に直面します。
善悪とは何かという問題です。
平時と戦時では善悪がひっくり返ります。
平時では禁止されている、殺人や強盗が詐欺が、戦時では美徳になるのです。
源義経も織田信長も、卑劣な犯罪者ですが、後世の人間は偉大な革命家として扱っています。
敵を一人殺せば殺人者だが、百万人殺せば英雄です。
戦場では最も、人を殺したものが勝利者になります。
原爆という民間人の大量虐殺が、戦争を終わらせた英断になっているのです。
敵国領土から糧秣を奪うのは、兵法の常識です。
(何せ、孫子にも推奨されているくらいです)
あらゆる詐欺や拷問は、戦争に勝つためには許容されます。
一体、これは何なのでしょうか?
陰徳という方法を通して開運しようという我々陰徳師にとって、この問題は看過出来ない問題です。
必要悪の問題のカテゴリですが、平時と戦時では善悪の基準がひっくり返るのは、許容出来ません。
罪と罰の明確な定義をハッキリさせるという、罪刑法定主義は、近代刑法の基本です。
人は、何が悪で何が罪と罰なのかをハッキリさせないと、迂闊に行動出来ないからです。
例えば、戦場に出た時、指揮官の権限を持ったとしましょう。
相手を速やかに制圧して戦争を早めに終わらせた。
この場合はどうなるのでしょうか?
もっと大きなレベルであれば、乱世を統一させた。
この場合の人生は果たして善か悪か?
陰徳の総決算はどうなっているのか?
戦争や乱世を終わらせたという功は陰徳的にもプラスに思えます。
しかし、その経過で、敵国の兵士(民間人も)大量虐殺しているのです。
その分は、陰徳的にもマイナスになっているはずです。
結果として天下泰平になった功でマイナスは帳消しにされるのか?
善と悪の功は、合算されずに別々に応報が来るとすれば、度の道、大量虐殺の因果応報が巡ってくるはずです。
しかも、これは、勝利した場合のまだマシな方です。
敗北者になったら、目も当てられません。
今までの苦労は水の泡ですし、残ったのは、大量虐殺の罪ポイントだけです。
思いっきり、損な役割です。
祖国の徴兵に応じて、愛国心と正義で戦ったのにも関わらず、全く報われません。
徴兵拒否という手もありますが、逃げられない場合は、どうしようもありません。
ここらへんは、正当防衛の功罪にもリンクする話なのですが、要するに、乱世に生まれただけで、罪を犯してしまう環境が生まれながらに、あるということなのです。
もちろん、何から知らの回避策はあるでしょうが、それを思いつけなかったり実力的にできなかったとしたら何の意味もありません。
もしかして、平時と戦時など、環境によって、善悪は入れ替わる。
あるいはもっと言えば、善悪や罪と罰は一定していないという可能性もあります。
この問題は別の機会にやりましょう。
諦めたらそこで試合終了
単純に、この殺すしか無い環境と言うのは、やはりこの生存領域の世界に存在します。
むしろ、人類の大半の歴史がそれだったと言ってもいいでしょう。
何百万年も狩猟時代をしてきた人類です。
徹底して生きるために、他の生物を殺してきて、さらに人間を殺してきたのです。
六道の修羅道は、現実世界のオマージュです。
殺すしか無い環境というのは存在します。
その環境に居なかった人間が、安全な立場から説教を垂れているだけなのです。
この修羅道は、人間界の中であっても、六道の修羅道の中であっても同じです。
陰徳を積みにくい世界です。
それでも、修羅道が地獄や畜生や餓鬼に比べて、上の世界と言われているのは、まだ回避策があるからと言えるでしょう。
以前も、この回避策の記事を書きましたが、
【陰隲録】功過格表106 生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ 三十善 冤罪を救おう⑧
やっぱり何だかんだ言っても、こうならないようにするのが一番重要です。
虫歯でも癌でも、末期になってしまったら手の付け所も無いし、治すのに高度な技術がいりますが、初期なら簡単に直せます。
修羅道に陥らないように、平時の時分に、陰徳を積んでおく必要があります。
上記の記事は、不徳にも修羅道(この世でもありますが)に転生してしまった方の対応策ですが、やっぱり事前の対応が一番なのです。
修羅道に転生するようなファクター(要因)を除去すれば良いのです。
要するに、他者に対する憎悪を捨てれば良いのです。
しかし、当然、これは難しい代物です。
人間は生存本能があるので、自分の不利益になるものに対して憎悪しないわけにはいきません。
それが出来たらすでに聖人君子の領域です。
さらにややこしいのは、この憎悪、正義の概念とからんでくるとです。
当たり前の話ですが、憎悪は敵に対して向けられます。
しかし、逆恨みや冤罪はともかく、大抵は、この憎悪、真っ当な理由がある代物です。
自分や家族などが悪意で被害に合えば、怒るのは当然ですし、社会的秩序の面からも放置しておいてはいけません。
改心していない現在進行形の悪を許し、起こらないのは果たして善なのか?
正当防衛で悪を倒してしまうことは悪なのか?
人間である以上、この問題はどうしてもつきまといます。
そのため、隠遁という方式が探求者が古来から取られてきました。
人間界で生きる以上、どうあってもこの問題は解決出来ないからです。
善を行う以上、正義の問題から抜けられないからです。
これは、世界のシステムが欠陥があるということです。
輪廻のシステム自体が、弱肉強食の世界であり、また正義と悪の修羅道の世界であるということです。
ここに至って、やはり釈迦の一切皆苦というものが真理として上がってきます。
要するに、この生命のシステムが初めから、クソゲーなのです。
とっととこんなクソゲーワールドは、ログアウト(解脱)するべきですが、困ったことにこのクソゲーは、ログアウトするにも課金が必要な、骨の髄までクソゲーなのです。
良い環境にいるためにも陰徳という課金が必要ですが、ログアウト(解脱)するためにも、陰徳という課金が必要です。
要するにボッタクリ商売ですが、どういうわけか、我々はこのクソゲーに高性能VRでログインしてしまっています。
早めにログアウトするのが一番の開運です。
幸い、現在、地球上だけでも、このクソゲーのユーザーが60億人以上もいるのです。
多少、抜けたところで、運営の経営にはあまり関与しないと思われます。
まあ、もしかしたら、強制収容所からの脱出者レベルに管理が厳しい可能性もありますが・・・。
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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
三十善に相当する
◯一人の冤を白にす。
自己暗示
冤罪は、今もプロパガンダとして、敗戦国日本に対するヘイトスピーチで呪縛しています。
歴史認識という分野でさんざん議論になっています。
これは、日本に対する束縛として、思考の制限→行動を制限へと繋がっています。
まあ、日本の場合は実際的に占領国に武力占領されているので、否応無しなのですが、問題は個人が冤罪で洗脳されて行動制限されているパターンです。
別に、痴漢冤罪で不当逮捕されているということではありませんが、人間は自分にかけている冤罪で、能力を発揮できていないことがよくあります。
「不自由な人は不自由な考え方をしている」
というのは、よくあるセリフです。
自分が何らかの自己暗示をかけていることが開運の妨げになっているパターンを考える必要があります。
この自己暗示による自己洗脳は、どんな人間であろうと、逃れることは出来ません。
絶対に、人間である以上、逃れられないのです。
その理由は簡単で、人間は全知全能では無いからです。
無知無能とまでは生きませんが、有限の情報しか得ることが出来ないからです。
三次元上の自分が目指する認識範囲の体験と、4次元の時間軸上の自分が生きている時間の認識範囲の体験しか直接得られないからです。
全世界・全時代の全ての情報を得ることは絶対に不可能です。
ゆえに、人間は、制限された情報の中で生存していくしかありません。
人間の自己暗示の制限も同様です。
自己否定
では、どんな自己暗示が自分にかかっているのでしょうか?
色んなパターンがあって、全てを網羅することは不可能です。
その中でも特に冤罪と言うテーマで言うと、罪と罰の自己暗示でしょうか?
特に、因果応報理論ですと前世を想定するので、自分に見に覚えのない前世の罪を確定しがちです。
要するに、自分が運が悪いのは前世で罪を犯したせいだ。
という、冤罪自己暗示です。
まあ、因果応報が正しければ、冤罪でも何でも無いのですが、因果応報や輪廻が実証出来ない以上、冤罪です。
一応、このブログでは、運が悪いのは前世で悪行を為したからという思いっきり冤罪の考えをしています。
冤罪をやめようといいつつ、思いっきり読者様に冤罪の濡れ衣を着せているのです。
もっとマイルドに言っても、「徳が足りないから」という、努力が足りないみたいな自己責任系の言い方をしています。
そもそも、人様に向かって徳が足りないとか一体何様なのでしょうか?
しかし、そうは言っても、前世や来世を想定しないと、因果応報理論は成り立ちません。
生まれによる差やスペックの差や環境の差が説明出来ないからです。
※勿論、唯物論的にただの偶然であり意味はないという論理も可能ですが。
そのため、貴方が不幸なのも、アフリカで子供が死んでるのも、全部、自業自得であるという、論理を採用せざるをせません。
しかも、この論理をさらに展開していくと、だったら他人を助ける陰徳は悪だよねという結論に達してしまいます。
自業自得ですと今の不幸は過去の悪業の結果であり、不幸を消化することでカルマは消滅します。
なのに、勝手に助けてしまったら、カルマの解消を邪魔することになるからです。
インド人がカースト制度の中で、劣悪な環境に置かれていても、外部からの助けを拒否するのと同じです。
彼らは、自分たちの境遇はカルマの解消のためだと信じているので、邪魔するなと逆に怒るのです。
現代人から見ると、彼らの思想行動は洗脳された異様なカルトです。
しかし、彼らが仏教を生み出し、因果応報思想や輪廻思想を発明したのです。
陰徳で開運ハッピー♡というこのブログの方向も、このインド人のカルト思想の延長上線にある、同じ穴のムジナなのです。
不都合な真実
変な話ですが、上記の話をさらに敷衍すると、世界は弱肉強食という現実が逆に意味で正しいことがわかります。
上記したように、人に陰徳を施すことは実は、施される人間のカルマの解消を妨げる罪悪なのです。
陰徳を施す側は、他人を助けるという大義名分の元、相手のカルマの消化を妨害して、しかもちゃっかり自分は陰徳を積んでプラスになっているのです。
カルマを消化することも徳と言うならば、他人の徳を押し付けで奪って自分の陰徳にしていると言えます。
これが本当の陰徳的弱肉強食です。
この世は、通常の弱肉強食の世界であると同時に、陰徳的弱肉強食があります。
ぼんやり生きていたら、いつのまにか、善意の押し付けを受けて、自分のせっかくたまった陰徳ポイントを泥棒されかねません。
うっかり殺されかけて助けられたりしたら大変です。
人の命を助けるのは、功過格の陰徳でも最高の百ポイントです。
一生分の陰徳を失ってしまうのです。
しかも、助けた当人は、貴方の陰徳百ポイントでウハウハなのです。
何という恐ろしい世界でしょうか?
百年の功も一瞬にして失ってしまう可能性があるのがこの世の中です。
夜道を歩いていれば、通り魔に殺されそうになって助けられたり、山で遭難したり海で溺れそうになって、助けられる。
不摂生で病気になって、助けられる。
道に迷えば、助けられてしまう。
日本のような民度の高い国に生まれたばっかりに、陰徳泥棒がそこら中に存在しています。
発展途上国や貧困に生まれてしまえば、もっと大変です。
善人面した陰徳泥棒が、薬やら救援物資や井戸を掘ってくれたりして、なけなしの陰徳ポイントを奪っていくのです。
まことに恐ろしい世の中です。
油断もスキもあったものではありません。
渡る世間は仏ばかりです。
爪に火をともさんばかりに貯めた陰徳を盗んでいく、盗人のおかげで、常に疑心暗鬼で生きていかなければなりません。
おまけにこの泥棒行為を推奨する陰徳などという概念をブログで世間に広めようとする輩まで存在しています。
こ、こんな 殺人鬼 仏がいる場所(六道輪廻的な意味で)になんかいられるか!
俺は一人で脱出する!(解脱的な意味で)
所詮、世界は弱肉強食なのです。
相手から陰徳を奪うか奪われるか、ただそれだけなのです。
奪われる立場にいてはいけません。
貴方は幸福になるために生まれてきたのです。
人生は大勝利するためにあるのです。
奪うのです。
ひたすら他者から奪うのです。
他人の徳分を一心不乱に奪い続けるのです。
世界には二種類の人間しかいません。
陰徳を奪われる物と奪うものです。
カモと狩人しかいないのです。
カモになってはいけません。
狩人になるのです。
他人のことなんか気にする必要はありません。
奪われる方がマヌケなのです。
あらゆる人間からあらゆる方法で他者を助けて、ひたすら陰徳を奪うのです。
闇金業者は他人の金を奪う存在ですが、まだまだ我々に比べれば雑魚同然です。
我々は他人の徳を奪う存在です。
闇徳業者なのです。
これに関して、神聖ブリタニア帝国第98代唯一皇帝陛下よりお言葉がありますので、拝聴しましょう。
人から奪うことを、まだ躊躇する便所のネズミの糞のようなちっぽけなプライドを持っている人はこのお言葉を聞いて、反省しましょう。
人は・・・!
平等ではない・・・!
生まれつき足の早い者
美しい者
親が貧しい者・・・!
病弱の身体を持つ者
生まれも育ちも、才能も・・・!
人間は皆・・・!
違っておるのだ。
そう、人は差別されるためにある・・・!
だからこそ人は争い、競い合い、そこに進歩が生まれる・・・!
不平等は悪ではない、平等こそが悪なのだ・・・!
権利を平等にしたEUはどうだ?
人気取りの衆愚政治に座しておる。
富を平等にした中華連邦は怠け者ばかり、
だが我がブリタニアはそうではない、
争い競い常に進化を続けておる。
ブリタニアだけが前に!
未来へと進んでいるのだ。
我が息子クロヴィスの死もブリタニアが進化を続けているという証・・・!
戦うのだ!
競い奪い獲得し支配する。
その果に未来がある!!!
オールハイルブリタニア!!!
さあ、皆さんもご一緒に。
オールハイルブリタニア!
オールハイルブリタニア!
オールハイルブリタニア!
オールハイルブリタニア!
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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
三十善に相当する
◯一人の冤を白にす。
幇
一般に、冤罪というのは、人間間でしか起こりません。
人間とそれ以外の動物はただの弱肉強食だからです。
冒頭画像で中共の毛沢東が、害虫を食べてくれる益鳥の雀を冤罪でジェノサイドして、(中共の人民が)酷い目に合っていますが、仮に冤罪でなくても、どっちみち雀にとっては、虫という他生物を殺して食べているのです。
基本的に、冤罪というのは、「自分に関係のある対象」でなければ冤罪とは言いません。
毎日、屠殺場で家畜が膨大な数で殺されまくっていますが、別に我々は気にしていません。
目の前で、犬猫が殺されていれば、さすがに突っ込みますが、それも犬猫という「自分に関係のある対象」だからです。
人間は、その有限な肉体と精神の構造の関係上、絶対に「平等」という実行は出来ません。
自分が知覚、認識している対象が世界であり、その中で「自分に関係ある」対象の動向に反応します。
地球の裏側で、アフリカの裸土人が飢えようが、どうでもいいし、中東の油土人が爆撃されようが、やはりどうでもいいのです。
しかし、近所の野良猫がトラックに轢かれていれば、気の毒に思います。
つまり、自分に関係のない土人の命よりも、近所の野良猫の命の方が重要なのです。
これは、単純に、目の前にいるかいないかという3次元空間の距離の問題です。
遠距離恋愛が長続きしない理由がこれです。
物理的な距離は心の距離なのです。
自分の五感にアクセスしてくる対象をより「自分の関係者」として認識します。
中国人の人間関係の「幇」と実は、大して変わりがありません。
自分の関係者という「身内」は「外の人間」よりも重要で、「外の人間」はどうでもいいのです。
「自分」
もっと言えば、人間が、冤罪にしろ実犯罪にしろ、それを見て怒るのは、「自分」が被害に会っていると認識しているからです。
逆に言えば、「自分」が被害に会っていなければ、絶対に怒りません。
ちなみに、この「自分」と言うのは、結構範囲が広く、個別の自分の体以外にも対象は多いのです。
言葉で言うところの「私の~」という範囲全部です。
人間は、他の下等生物と違って、知能が高いため、多くの対象を自分と認識する能力があります。
私の体、私の心、私の家族、くらいなら、動物ならみんな持っています。
人間はもっと所有格の対象が多いのです。
私の国、私の民族、私の会社、私の仲間、私の仕事などなど、単に自分が参加している組織を、自分の存在とリンクさせてしまいます。
この対象範囲は、限りなく巨大化させていくことが可能です。
人間外の生物と人類が戦った場合は、人間という種自体を、自分と同一化させることも出来るし、宇宙人が攻めてきたら、私の星、地球と言う超巨大な所有格を構築することが出来るのです。
そして、一切の苦しみの根源はこの「自分」という迷妄から始まります。
諸法無我
仏教の基礎理論は、今まで散々やってきたので今更ですが、
三法印(四法印)です。
入門レベルの教義にして奥義なのですが、
要するに、
諸行無常
諸法無我
一切皆苦
涅槃寂静
の四文字熟語です。
※どうでもいいですけど、縦読みでも何となくお経っぽい感じに見えますね・・・。
で、この内の諸法無我がこれに該当します。
アフリカの子供がどうなろうと知ったことではない我々が、近所の野良猫が飢えて死にそうになっていれば、助けてしまいます。
自分の子供だったら尚更です。
これは、近所の野良猫や自分の子供がアフリカの子供よりも、より、「自分に関係のある」「自分のもの」だからです。
我々日本人は、オーストラリア人が、コアラやカンガルーを駆除するのを見て激怒します。
しかし、クジラは別にどうでも良いのです。
逆に、オーストラリア人は、クジラ捕鯨に関して激怒しますが、コアラやカンガルーは別にどうでも良いのです。
これは、日本人とオーストラリア人の、他生物に関する認識が違うからです。
もっと言えば、「自分のもの」の区分けが違うのです。
オーストラリア人にとってはクジラは「自分のもの」の範疇であり、日本人にとってはそうではありません。
オーストラリア人でも日本人でもゴキブリ退治の時には、別に異議なく殺します。
人間は、この地球上の(宇宙内の)、存在を勝手に「自分のもの」かそうでないか区別する生き物です。
そもそも論として地球上に勝手に線を決めて、ここが自分の国だの、自分の家だのと所有権を主張する生き物なのです。
60億いる人類の中で、線を引いて、その線引き内を、自分の仲間と称して他と差別するヘイトな生き物なのです。
その仲間に関しては、執着を生じて、愛したり怒ったりするのです。
お医者様でも草津の湯でも治せぬ、人間の不治の病いに、三毒があります。
貪瞋痴の三毒です。
貪(貪欲)
瞋(瞋り・怒り)
痴(愚かさ)
「自分のもの」と認識している対象に貪欲し、それが攻撃されてると怒りを発します。
自分の体、自分の心、自分のプライド、その他諸々の全ての「自分」です。
貪瞋痴の三毒の大元は、痴です。
諸法無我の真理を知らないが故に、他の二つが起動するのです。
早い話が、悟りを開いた者は、たとえ自分の親が殺されようと、アフリカ人の裸土人が殺されたようにしか思えません。
自分の体が斬られようが燃やされようが、中東の油土人が殺し合っているのと同じようにしか思えなくなります。
ここで、初めて、一切の苦悩が消滅します。
「自分」という究極の執着から解放された者には、もはや外界の全ての不幸は効力を発しないのです。
ここに至って、一切の吉凶禍福は終焉します。
六道の天国に行こうが地獄に行こうが、どうでも良いのです。
「自分」が無い者に、どんな快楽と苦痛があるというのでしょうか?
ここに至って、六道のラットレースは終了します。
解脱の境地に至った者は、生存の輪廻の輪から外れるからです。
究極の、開運は、この段階になって一つのゴールを迎えます。
皆さんは、ぜひこの「悟り」ルートのエンディングを迎えて下さい。
ただし、これはあくまでも数あるエンディングの一つです。
小乗(上座部)仏教的な開運ルートのエンディングに過ぎません。
他のエンディングもまた存在します。
他のルートもそのうち紹介していきますので、お好きなルートのエンディングを選んで下さい。