このブログの全体地図はこちら
はじめに(ご挨拶とこのブログの目次・地図)
陰隲録(陰徳による開運法)のまとめはこちら
【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】全文現代語訳 記事まとめ一覧
パワスポのまとめはこちら
パワースポットまとめページ
健康コンテンツのまとめはこちら
【貧・病・争対策シリーズ健康編】まとめ
なお、皆さんの記事の感想大募集です。
陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、体験談を大募集中です。ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
記事下のコメント欄や、メッセージやメールで、お気軽にどうぞ。
その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。
無限と有限
前回まで、何で人間は勝手に、大自然の空間や時間を勝手に線引きするのか?
という話をしました。
そして、その理由は、本人が有限の存在だからです。肉体という有限の存在だから、その生存のために、空間や時間を線引きしているのです。
そして、自分が有限だからこそ、無限という概念を手に入れたのです。
自分が無限だったならば、無限という概念は空気のように当たり前で、認識できなかったでしょう。
生物が酸素の存在や、魚が自分たちが水の中にいるのを認識していないようにです。
で、この無限の存在という概念を、発見してしまった人間は、宗教的に二つのルートを選択しました。
それは、
①無限の存在という概念を崇拝するグループ
②無限の存在という概念を否定するグループ
この、二つです。
およそ、宗教はこの二つしかありません。
代表的なのが、一神教と仏教です。
では、この二つはどっちが正しいのか?
当然、洋の東西の世界宗教ですので、膨大な神学教学が存在します。
さらに、補完として、延々とギリシャから続く、哲学がそれに続きます。
むしろ、現代では、哲学の方が、正鵠を得ていることがあるでしょう。
そして、結論を先に行ってしまうと、別にどっちでも良いのです。
都合の良い真実
こういっては何ですが、どっちみち答えの出ない問題です。
人間の外にある宇宙を勝手に線引きしているのが、人間です。
それぞれの教義のために世界を勝手に区切っているだけなのです。
無限だろうが、有限だろうが、どっちでも解釈出来るし、どっちでも良いのです。
もっとハッキリ言えば、道具のようなものです。
刃物を人を刺すのに使うか、包丁にするかは、使用者の都合に過ぎません。
有限か無限か?
の問題は、所詮、その程度の都合なのです。
大切なのは、人が救えるかどうかです。
別な言葉で言えば、陰陽は必ず、どんなものにもあるので、必ず、両儀が成り立ちます。
そして、少なくとも、真理を求める瞑想修行段階前の、在家の我々の段階では、やってることは大して変わりません。
普通に、善業をすること。このブログで言う陰徳で開運することです。
少なくとも、それをやっておけば、今生も来世も安泰です。
それさえやっておけば、地獄に落ちることもありませんし、それ以上を望むなら、修行すれば良いのです。
絶対存在が、有限なのか無限なのか?
仏教が正しいのか一神教が正しいのか?
どっちの体系でも、その教義にあった瞑想法があり、その教義通りの真理をつかめるようになっています。
で、在家の我々でも、利用できるこれらの真理をもうちょっと考察してみましょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿