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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。
前回のおさらい
前回から相剋パターン(中の五芒星)に入りました。
通常の相生ルートと違って、一個すっ飛ばしたエラーのパターンです。
対象を傷つけ合う敵対関係です。
前回は、善から無明への相剋でした。
今日は、無明から苦への右下から左上への攻撃パターンです。
無明とはそもそもなんぞや?
という話は今更ですが、要するに真理に無知なことです。
悟ってない人間と言ってもいいでしょう。
通常の相生ルートだと、善をやってその結果、因果応報で楽(幸福)になると、その状態に執着して、この世が絶対不変のものだと、迷妄の無明になります。
要するに、釈迦の諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静の真理をアウトオブ眼中(死語)してしまうということですね。
善→無明ルートだと、間の楽が無いから、無明にならずに済む、善が無明を攻撃するという結果になります。
ちなみに、前回も言いましたが、普通、相生ルートの方が、エラーが無くて、五行が循環しているという、いい状態なのです。
が、仏教と悪魔合体させた五行論では、ご覧の通り、相生ルートの方が悪で、本来、エラーの相剋状態の方が、善になっています。
要するに、仏教のような2500年前以後の世界宗教では、それ以前の自然礼賛宗教のように、生きるということにヘイトしている教義ですので、相剋の方が善い状態になるという結果になっています。
正直、いきあたりばったりで作っている豊河もビックリです。
というのが、前回の話です。
今回も、たぶん、そうなるような気がします。
無明→苦
さて、今回の無明→苦はどうなっているでしょうか?
通常の、無明→悪→苦の相生ルートだと、無明状態になって、真理をガン無視すると、現在の良い状態(過去の善業の結果)に執着し、あまつさえ、それが当たり前だと思ってしまいます。
バカボンボンの貴族などが、平民を虐殺したりするような感じで、自分の身分(才能や容姿など含めた全ての良い状態)を鼻にかけ、弱者を蔑視するようなことに進展します。
現在だったら、新自由主義の弱肉強食社会で、努力して金持ちになったから、貧乏人は自業自得の怠け者とか言ったりするような輩ですね。
そうすると、無明から悪になって、そして、その悪をやった業の結果、因果応報で苦(例えば、地獄に堕ちたり)になってしまいます。
ついでに言えば、さらに相生が進んで、苦の状態から反省して、善業をまた開始して・・・みたいなグルグルとループしているわけです。
で、無明→悪→苦の、悪をすっとばして、無明→苦の相剋状態とは一体、どういう状態でしょうか?
これも、間の悪が無い、という状態を理解すれば簡単ですね。
要するに、悪をしない(すっとばす)ため、因果応報の結果である苦が出ない(相剋される)ということです。
因果応報は、善をやれば楽があり、悪をやれば苦があるので、後者を逆に考えれば、悪をやらなければ苦は無いのです。
しかし、その理屈はなんとなくわかりますが、相剋の主体が
無明というのはわかりにくい。
無明が悪をすっとばして苦を攻撃するというのが理解しにくい。
無明というのは楽が常住不変で執着するような状態を言うのです。
それが、悪をすっとばすというのは、理屈にあいません。
どういうことでしょうか?
無明にあらず
悪をやらければ、因果で苦は来ません。
しかし、その主体が無明というのはわかりにくいのです。
真理に無知な無明がなぜ、悪をやらずに苦を攻撃出来るのか?
簡単です。
すでに、善→無明の段階で、無明が攻撃されて、無明じゃなくなってるからです。
無明はすでに善にボコられてしまっているため、無明から進化したのです。
順風に善→楽の因果を受け取ってしまえば、福徳ポイントが消滅してしまいますが、その分を使わなかったのならば、悟りの方向にポイントを振り分けて、無明の迷妄を打ち破ったのです。
そのため、悪を為すことなく苦を断ずることが出来たと。
無明が断されれば、土行の文字通り岩の如き、無明の我執が壊れます。
自我という執着が崩壊するのです。
諸行無常
諸法無我
一切皆苦
涅槃寂静
という、仏教の四法印の基本教義の真理が作動して、執着が消え、悪業が割りに合わないと理解し、悪をやらなくなった。
こういうロジックでしょう。
アナザー解釈
ちなみに、それは屁理屈だろう、というツッコミ属性の皆さんのためにもう一つ、解釈があります。
正直、豊河も言っていて苦しいなと思ってます。
それは、無明という存在の別解釈です。
実は、無明というのは、仏教用語なのですが、当然ながらその解釈は仏教の教義(イデオロギー)に沿ったものです。
要するに、無明が悪いものと考えるのは仏教の解釈に過ぎないのです。
もっと言えば、仏教の初期の方の解釈で、後半の一神教に近い大乗仏教では、解釈が違っています。
無明とは、真理に暗いことで、その真理とは、
諸行無常
諸法無我
一切皆苦
涅槃寂静
の4つです。
ようするに常住不変なものは無い。
みんな曖昧で信用(これが土行)できるものは一切ない。
というより世界そのものがダメダメなので、とっとと解脱しようという考えです。
インド系の宗教の基本です。
しかし、仏教自体も、小乗(上座部)から大乗になってくるに従って、現世の在家重視のため、教義も変わってきました。
空という、もともと、物事は空っぽ程度のニュアンスが、上記の四法印自体を否定(般若心経など)するものとなって、結局、現世も大切だよという、どっちもどっち論に変化していきました。
そして、どんな人間でも悟れる仏性という絶対的なものがあるんだよという風になってきて、やがては、タントラ密教のように世界全てが大日如来の表れで歓喜しているような教義になってきました。
日本の代表的な宗派の念仏系も、阿弥陀如来という絶対神的な救世主の教義です。
また、日本以外に目を転じても、一神教という常住不変の存在の宗教があることはご存知のとおりです。
要するに、無明という常住不変の存在を信じることは、別に悪ではないという立場が、仏教とは別にあるということですね。
一神教の教義でも普通に戒律はありますので、無明状態(常住不変の存在を信じる宗教)でも、悪を為さないというロジックは可能になるわけです。
もっと言えば、一神教はイエスにしても阿弥陀如来にしても、メシア(救い主)の救世主宗教です。
メシアは要するに人間の苦しみを救ってくれる存在です。
悪をなくして苦を攻撃するのが無明というロジックでも通るというわけです。
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相剋
さて、今まで見てきた五行論で、右回りに一周しました。
今まで、上の図ですと上の伝統的な中国の五行論に、仏教の因果応報を組み合わせて、下の五行論を構築してみたわけです。
というか、すでに一周していて今更何ですが、まずは普通の伝統的中国の五行論を語った方が、親切だったような気がします。
まあ、いいや!(てきとう)
というわけで、外回りの一周(相生)の考察が終わりましたので、次は内回りの五芒星を見てみましょう。
今度は、相剋と言って、今までの生み出すいい関係と違って、お互いがぶつかりあう関係です。
基本、→ が向かってる先にぶつかります。
※厳密に言うと、逆尅と言って、ぶつかる先が強いと跳ね返って来たりします。
そのため、エラー扱いですが、自然界に存在する以上、善い悪いの差はありません。
ただの科学的な反応に過ぎません。
では、見ていきましょう。
善→無明
今まで、上から右下への、善→楽→無明の流れは見てきました。
善をすると因果応報で楽が結果として生まれる。
そして、楽な人生になると、安楽に執着して、また試練が無いため、人格が育たず、無明が生まれると。
まあ、わかりやすく言えば、成り上がりから成功して、2、3代経つと、バカなボンボンが出るような物です。
で、その右回りではなくて、楽を飛ばして、善から無明への五芒星の→のルートを見てみましょう。
これが、相剋ルートです。
通常のルートを一つ飛ばす形になりますね。
この場合は、順調に生まれる相生ルートではなくて攻撃するルートになります。
善が、無明を攻撃(剋)する形となります。
これは、どういうことでしょうか?
ちなみに、豊河は自分で作っておいて何ですが、何せ、世界で初めて作った図(五行論と仏教の合体)なので、いきあたりばったりで考えています。
※さらにちなみに、世界で初めてとか言っていますが、もしかしたら世界は広いので豊河が知らないだけで、とっくの昔に誰かがやっている可能性がありますので、知っていたら教えて下さい。それまでは、創始者、権威として威張りたい放題です。
で、善が無明を攻撃するということですが、これは、ぶっちゃけ、ぱっと見ただけでは良くわかりません(実際、豊河も良くわかりません)。
しかし、そこは五行論と言う、優れたシステムです。
理解は、善→無明で、すっ飛ばした楽があることに気づくと、判明できます。
無駄遣い
これは、楽という因果の善業の果報のストックによる、福徳の無駄遣い防止策です。
何を言っているのかよくわからないと思いますので、説明しましょう。
因果応報の理論で、善を積むと、善いカルマとしてやがてタイムラグを経て、幸福(楽)がやってきます。
わかりやすく言えば、貧乏人に寄付したら、出世したとかそういう類です。
でも、逆を言えば、幸福(楽)が来て消費してしまうことで、善業のストックを消費してしまうのです。
よく開運法にありますが、美食を控えることによって、運の無駄遣いを防いで開運するというやつです。
というか、過去記事で水野南北の記事書いてますね・・・。
つまり、皆さんが、開運しても、いきなり、派手なスポーツカーに載って、六本木のマンション買って、美女と毎日ハーレムしたりとか(IT成金か?)、しないほうがいいですよというお話ですね。
いや、皆さんの人生ですので、別に、してもいいのですが、せっかく蓄えた徳ですので、そんな下らないことに使ってしまうと勿体無いおばけが出ますよ、というお話です。
前にも書きましたが、実は、貧乏人よりも金持ちの方が開運しやすいのです。
理由は、余剰所得、可処分所得があるため、生活費を引いても寄付とか寄進とかに使える金額が大きいからです。
大金持ちになれば、その権力で何万、何億もの人間を幸福にすることが出来ますので、開運、間違い無しなのです。
※もちろん、その分、悪業をすると膨大なカルマが発生して地獄の底に真っ逆さまなのですが。
無明というのは、仏教の言う法則を知らない無知のことです。
すなわち、
諸行無常
諸法無我
一切皆苦
涅槃寂静
です。因果応報も入れても良いですが、要するに、徳の無駄遣いとかそういう発想そのものです。
善の因果応報で楽を覚えてしまうと、それが安楽なため執着してしまい、それが永劫に続くと錯覚(これが無明)してしまうのです。
世の中のシステムは、上の諸行無常~の世界ですので、楽な状態でのんべんだらりとしていると、そのままの状態ですら、どんどん徳を消費してしまい、無くなれば、下に真っ逆さまです。
油断してはいけません。
ということで、この善→無明はそんな、ありがたい教訓を教えてくれます。
ちなみに、五行論の相剋って、本来は相生に比べて、エラー扱いで、悪い意味なのですが、元々の五行論の自然界の流れが、輪廻の輪の中でぐるぐる回るような、仏教的にはデフォルトで迷いの世界のため、相剋状態の方が、(仏教的に)正しいというヘンテコリンな結論になっています。
正直、いきあたりばったりで構築している豊河もびっくりです。
まあ、こういうものは、代々伝わるものの最初の発見は、こういう意図しないような発明品で、要するに、神伝仏授というやつでしょう。
要するに、人智で考えて、作れるものではなく、無意識の発見とかそんな感じなのでしょう。
では、次回は、五芒星の次のルートの、無明→苦の相剋パターンを見てみましょう。
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輪廻転生に記憶が無い理由
さて、悪→苦の因果応報で人は苦しみました。
そこで、苦しめば人間は反省してまた善をやるようになります。
ちなみに、水→木の象意です。
人は苦しむと反省します。
逆を言えば、苦しまないと反省しないということです。
痛い目を見ないと、人は反省しないのです。
まあ、ここらへんは、みなさんも自分の人生に自覚があると思います。
人の強制がなければ、いくらでも人はだらけますが、鬼軍曹がいると、ピシピシ動くのです。
しかし、ここで、矛盾が出ます。
死んだあとの地獄で記憶があるとか、生きてる間の老後になって因果応報とかなら、まだ反省しやすいのです。
が、転生して記憶が無い場合の、因果応報の苦に何か意味があるのでしょうか?
悪事の記憶が無ければ反省しようがありません。
転生で記憶が無いのに、因果応報が来る理由は一体何でしょうか?
これは、簡単な話です。
因果応報が目に見える形で現世に存在していると、人は、あらゆる悪に対して許容して、あらゆる善を貶めてしまうからです。
考えても見て下さい。
皆さんは、陰徳ということを実践しておられると思いますが、少なくともこのブログを見て始めた人の目的は開運でしょう。
しかし、そもそも、自分の開運目的に善を行うのはレベルが低い段階なのです。
もちろん、しない善よりする偽善の方が百万倍はマシですので、続けて頂きたいのですが、高度のレベルに比較すると、自分のエゴが残っているのです。
本当の善は善そのものが目的です。
いちいち、この善行は何点+だのと、賢しいことを考えないのです。
厳密に言えば、智慧として考えてもいいですが、それよりも善への愛によって自発的に動いているのです。
つまり、はじめは欲得ずくの開運目的で善を行ってもよいのですが、やがては善と一体の境地となるのです。
これは、悪でも同じです。
自分に罰があるから、不運になるから悪をやらないというのは、まだまだレベルが低いのです。
輪廻転生で記憶が消去されているのも、記憶があると、ああ、この賞罰はあの時のカルマだなとわかってしまいます。
そうすると、全ては保身のための陰徳になってしまいます。
果報があってもなくても、善をし、罰があってもなくても悪をしないのが王道なのです。
さらに、輪廻転生で記憶が無い理由として、他者への視点の問題もあります。
例えば、アフリカの飢えている子どもたちを見て、彼らが前世、悪徳三昧で飽食搾取していたのを知っていたとしたらどうでしょうか?
自業自得として助けないのではありませんか?
王侯貴族やブルジョア階級が、平民を睥睨して、豊かに飽食搾取している時に、前世がわかってしまったら?
ああ、彼らは前世で尊い人生を送られたのだ、これは当然の果報なのだと認識してしまい、社会悪への抗議という正当な正義を行う気が無くなるのではありませんか?
要するに差別思想を生んでしまうのです。
自他ともに前世の記憶が無ければ、新鮮な善悪を生むことが出来ます。
アヘン
さて、話がそれましたが、苦から善は生み出されます。
大抵、人は、どうしようもない苦しみは宗教に走るからです。
「宗教はアヘン」
とマルクスは喝破しましたが、現実世界の社会問題に対して、宗教は基本のモルヒネです。
普通、この言は、社会問題や搾取から逃げてる悪意のある言葉として使われます。
まあ、実際、そのとおりなのですが、すべての社会問題や搾取が解決出来るわけではありません。
社会レベルでなくても、闘争や貧困や病気の個人的問題は、個人の力では解決出来ないことは多いのです。
その時に、人は宗教に走ります。
貧乏人を勧誘するのはカルトの常套手段で、さらに搾取されることも多いのですが、それは、他の貧病争の問題と同じで、運の問題です。
もっと、言えば、悪徳宗教に騙されるというカルマがあるためで、これも、自業自得です。
もっと、ハッキリ言えば、悪徳宗教に騙されて搾取したというのは、過去生で同じように悪徳宗教の騙す側にいたということです。
それもまた、苦しみとして、反省しこのような悪を行わない、善をやろうという前向きな進化の契機になるのです。
あるいは、初めからまっとうな宗教に出会えて、陰徳を「積ませて頂く」チャンスも出てきます。
実際、今、こうしてこのブログを読んでいる貴方は、まっとうな宗教(?)のこのブログで教えを頂いているでは有りませんか?
他のカルト新興宗教と違って、お布施も強要しない極めて、真っ当な宗教(?)なのです。
これも、前世の善業の結果なのです。
さて、運命にボコボコにされ、反省し、善に帰った人間は、これでようやく、五行の循環を一周しました。
善→楽→無明→悪→苦→善と一周したわけです。
基本、人間はこのループをぐるぐる回ります。
一周目がどのくらいかかるかは人によりけりです。
周が回るたびにより高度になってくるでしょう。
いつも言っているように、善悪の問題は、所属集団が増えてマクロになっていくに従って、複雑化・矛盾化していくからです。
しかし、そこまで行ったら、神への進化の道は近づいているのです。
あるいは、仏教的に、とっとと、こんな矛盾した世界に愛想を尽かして、解脱ルートを進むのでもいいでしょう。
まだまだ、世界に執着があるのなら、陰徳を積んで、チートキャラとして無双しながら好きなだけハーレムするのも良いでしょう。
何をやろうが、自分の人生です。
この人生ゲームという、クソゲーのエンディングルートはいかようにも決められるのです。
さて、これで五行は一周しました。
が、外回りの相生だけで、中の五芒星の相尅はまだです。
次は、相尅を見てみましょう。
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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
十善に相当する行為
◯一民害を除く。
後の祭り
前回、悪→苦のパターンを見てきました。
要するに、悪いことしたので、因果応報で苦に陥ってるというパターンですね。
まあ、過去生でやってしまったものは仕方がありません。
それで、あの世とこの世の間で、総決算して次の人生が決まってしまったわけです。
基本、一番の開運のターニングポイントはこの生死の間です。
例えば、陰徳や神頼みで開運したとしましょう。
しかし、だからと言って、いきなり人種が違ったり、性別が違ったりはしません。
生まれた瞬間の命式(天球図)も変わりません。
一番の開運のタイミングは死んだ後から生まれた瞬間までです。
生まれてしまっては、後の祭りなのです。
そのため、来世のために普段から陰徳を積んでいくというのが、合理主義的な戦略です。
さて、とは言え、やりなおしセーブポイントが生死の間しか無いとは言っても、また次の生まで、ろくでもない状況に甘んじているのは、工夫が無いと言うものです。
どうにか、この生の間で、なる早(俗語)で開運したいところです。
ここらへんを考えてみましょう。
開運
さて、では、どうやって前世の悪からくる今生の因果応報による苦の人生を改善(改運・開運)するのか?
という、話ですが、究極的には、悟りを開き解脱することです。
悟りと言っても、仏教だけでも三種類(上座部と大乗と密教という大雑把な分類)くらいあるのですが、ぶっちゃけ、どれが本物というのは個人の意見になります。
まあ、どれでも、何もしていない凡人よりはマシなので、お好きな悟りを開いて下さい(他人事)。
仏教以外にも各宗教で目指すべきゴールがありますので、まあ、詳しいやり方は、各宗教各宗派で勉強してみてゴールを目指してみましょう。
基本的に、何度も言っているように、六道輪廻そのものがクソなので、とっとと、解脱しましょう。
んで、時点が、今生は苦だったけど、頑張って、六道輪廻の、天道、つまり天国ですね。
ここに行くことです。
来世まで待たなければいけないので、今生の開運には間に合わないのですが、来世、地獄に堕ちるよりはましです。
やり方は、まあ、みんな知っているように、悪いことしないで、善業を積めばOKです。
今の日本人は昔に比べて信仰心は落ちてますので、そもそも、宗教でなければこういう発想すら無いので、他の日本人がのんべんだらりと生きていて、死後地獄に堕ちる(細木数子風)のを尻目に、「ははは、悪いな皆の衆・・・!」とばかりに天国コースに行くことが出来ます。
(ちなみにこういう慈悲の無い思考回路は地獄に堕ちます)
とは言え、死後なんて呑気な話ではなく、今の人生も開運したいということであれば、何をするかと言うと、実は、やっぱり上記の天国行きと同じで、悪いことをしないで善業を積めば良いのです。
まあ、このブログをここまで読んでいる読者様に今更な話ですが、理由は、因果応報です。
陰徳で、前世の罪を補い、徳を積み、生まれ持った運命の業を修正していくのです。
ここらへんは、陰騭録本編でも読んで下さい。
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しょせん、運命と言っても、因果応報の結果に過ぎません。
因果応報と言うのは、善→楽と悪→苦の集積に過ぎません。
どんなに複雑な運命でも突き詰めればこの二つのパターンに過ぎないのです。
どんなコンピューターだって電子のON・OFFの陰陽で成り立っているのと同じです。
ぶっちゃけ、人間は所詮、自分の苦楽が全てです。
あとは、どうでもよいのです。
そういうと、そんなことはない。人間は他人のことを考えることが出来るんだ!という反論がありますが、同じことです。
例えば、子供のことを心配するのは、子供と自分を自己同一化しているので、子供の苦楽が自分の苦楽と同期しているからです。
子供が苦痛を感じると、自分が苦痛を感じるのです。
だから、助けたりするのです。
逆の快楽も同じです。
その証拠に別に自分に関係ないアフリカの子供のことは大部分の日本人はどうでもよいのです。
さて、じゃあ、もう今、苦しみの場合はどうするのか?
という話ですが、緊急避難としては、神仏の助けが良いでしょう。
神仏は善人の塊なので、基本、初回は助けてくれます。
ただ、あくまで初回だけです。
その後、自分が改心しないと助けてくれません。
改心とは、まあ、要するに因果応報の理を理解して、善を始め悪を見直すことですね。
あと、単純に、努力しないようなクズの怠け者というのも問題です。
もちろん、初回助けてもらったのだから継続的に信仰すればさらにグッドでしょう。
当たり前ですが、世の中全て自業自得です。
表面的な世界の動きは理不尽なろくでもない不幸や生まれによる身分があって、自業自得の論理は通用しない(というか言ってはいけない差別思想)のですが、真理は自業自得なので、結局、自分がなんとかするしかありません。
神仏は慈悲深いので助けてくれますが、最後は自分がなんとかするしかありません。
結局、これが最大の開運方法です。
さて、悪→苦のパターンの次は、苦→善パターンです。
これで、ようやく、相生の外周を一周できます。
で、その前に、長くなりそうなのでこの五行シリーズを、
功過格表197 十善 公共のために良いことをしようの枠から抜いてカテゴリを、独立させましょう。
五行道徳倫理シリーズとして、分離します。
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悪→苦パターン
さて、楽になると人間、無明が生じてきて、そして悪になります。
そうすると、因果応報で苦が生じます。
要するに、悪いことすると自業自得で不幸になってしまうということです。
本来なら、善→楽で、無明にならずにまた善→楽のループに行けばいいのですが、なにせ、諸行無常ですので、ついうっかりと、また無明から悪→苦のループに入ってしまうのです。
人間は、暑さ過ぎれば忘れる生き物で、特に輪廻のリセットの生まれ変わりがあれば、悪→苦のループだったころを忘れてしまいます。
一端、悪→苦のループに入ると、余裕が無いため、延々とこのループを形成してしまいます。
※貧困やスラムから抜け出せないなど。
逆に、楽であれば余裕があるので、時間も金も使えますので、陰徳が積みやすいのです。
※逆に、悪をすれば権力があるので、業も大きくなりやすいという欠点もある。
とは言え、人生、何が起きるかわかりません。
やってしまったものは仕方がありません。
業は消せないので、因果応報を受けるしかありません。
色々と事情はあるでしょうが、悪事をやってしまって、因果応報で苦が来訪してしまった場合を考えてみましょう。
困ったことに、この時には、すでに過去の時間軸において、悪行をやってしまっているので、現在、不幸になっています。
病気、頭の悪さ、貧困、親がクズ、社会や国がクズなどなど・・・。
明らかにマイナスの状態からの人生スタートや人生途中からの不幸があると、それだけで人生ゲンナリします。
まあ、とは言え、(悪行を)やってしまったものは仕方が無いのです。
悪いのは己の前世なので、文句を言っても仕方がありません。
幸い、今、マジでどうしようもない地獄(比喩じゃなくて六道のマジの地獄)ではなく、こうして豊河の駄ブログを読むだけの余裕がある状態です。
つまり、今こうしてのんきにブログ見てるだけのぬるい業なのです。
もしくは、もう、前前世で悪行をやって、前世で地獄に落ちて、今生は地獄から登ってきた状態です。
地獄に比べればヌルいヌルいヌルヌルゲーです。
なんとかこうにかなります。
次回は、ここらへんを考えてみましょう。
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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く
十善に相当する行為
◯一民害を除く。
無明→悪の防止策
前回、無明→悪の流れを見ていきましたが、そもそも、自然の流れに逆らうことこそ、万物の霊長の人間の本質があります。
というか、楽→無明の時点で、すでにそこでツッコミを入れる必要があります。
本来ならこの時点で止めなければなりません。
人間は全生物の中で、唯一、経験の上位の歴史から学ぶことの出来る生物です。
幾多の古典聖典経典や聖賢君子の教示があるのですから、その歴史的データの蓄積から来る、叡智を継承出来るのです。
※このブログみたいな存在もその一端です。
さて、楽(幸運、幸福、快楽)が来たら、まずは疑うべきです。
「これは・・・!、罠だ・・・!」と。
よく、不幸な人は、幸福を信じることが出来ず、不幸な状態に戻ると安心するとかディスられてる人の心理によく似てるような気がしますが、細かいことは気にしてはいけません。
そもそも、幸運は、因果応報による、過去の善業の結果なのです。
無駄に福運を消費しているのです。
騙されてはいけません。
要するに、特典ポイントを貯めていたのに、それを無理に消費しているのです。
特に、現代日本のような人類史でも屈指の極楽生活をしている我々、日本人はそれが当たり前であるという、無明の認識をしてはいけません。
つい前世紀には、アメ公が日本に空爆していたのです。
今だって、生まれる緯度経度がちょっとズレていたら、北朝鮮でマスゲームしていたのです。
騙されてはいけません。
安全、食料が完備されている現代は人類史の中でも極楽浄土なのです。
皆さんは、前世で凄まじい善業を積み重ねてきたから、アフリカの飢えている子どもたちを尻目に、今の日本でのうのうと暮らしているのです。
さて、そういう認識を持っていたところで、問題は、福分のその特典ポインがどのくらいあるか、ブラックボックスであるということです。
今生で切れるのか、明日には切れるのかわかったものではありません。
明日、福分が尽きて、トラックに跳ねられるかも知れません。
大切なのは、投資や貯金と同じく、現状の福分ポイントの量を増やすことです。
まあ、もしかして、前世の貯めた善業からの福分ポイントが半端なくあり、三世くらいのうのうと生きていけるかも知れませんが、なにぶん業のストックは、ブラックボックスなので、リスク管理としては除外したほうが良いでしょう。
この、一見、徳を金と混同するバカバカしい考えは、実は想像を絶する叡智なのです。
だって、これで楽→無明→悪の流れから解脱することが出来るからです。
幸福になるとそれが当たり前の話となり、疑問にも思いません。
しかし、皆さんはここまで読まれたので、この状態(今のみなさんののんきな人生)が、凄まじく恵まれたものだということを知っています。
今の状態ですら、猛烈に過去に貯めた善業ポイントを消費しまくっているのです。
わかりやすくいえば、ドラクエでバリアの上をバリバリ歩いて猛烈にHPを減らしているようなものです。
※宗教をドラクエで例える斬新な説法。
無明とは文字通り真理の叡智に昏い状態です。
真理とは釈迦が喝破した、
諸行無常・諸法無我・一切皆苦・涅槃寂静の真理です。
因果応報もその一つです。
早い話が、今の生活、過去の善業を猛烈に消費している今ののんべんだらりとした生活は諸行無常なのです。
「楽」状態で、「無明」に陥ってはいけません。
ましてや、「悪」に移行するのはもっと悪手です。
「楽」状態の時に、「無明」にならないように心得る必要があります。
「楽」→「善」→「楽」→「善」の無限のインフレスパイラルのループになればOKです。
あとは善業による陰徳を積み重ねて死後に、神を目指すなり、輪廻からの解脱を考えたりと、好きなルートが選べます。
結局、ビジネスと同じで、肝は、始めのタネ銭をいかに用意するかが全てです。
タネ銭が用意できればあとは投資や商売で倍々ゲームに増やしていけるのです。
陰徳も同じで、まずは、運命を転換し、プラスの状態にもっていくことです。
そうすれば、あとは、油断せずに慢心せずに堕落せずに、陰徳を積んでいき、寄付や布施を止めなければいいのです。
で、とは言え、五行は、自然の流れなので、道を踏み外して、楽→無明→悪のルートに入ってしまうこともあります。
次回は、悪→苦のパターンを見ていきましょう。